虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

NHK「坂の上の雲」ナレーション

2009-11-30 | 映画・テレビ
昨日は、内藤亀田戦の合間にチラチラと「坂の上の雲」を見ていた。
文句をつけず、素直にドラマを楽しんだらいいのだけど、文句爺は悪口言うのが好き(笑)。

ナレーションで司馬遼太郎の一説を流すことにある危惧を覚えた。
一小説家として、司馬が小説の中で、自分の考えを語るのはいい。読者も本を通して司馬と対話することになる。しかし、これが、テレビのナレーションとなると、どうも一小説家としての司馬の顔が消え、公共放送としての別物がものを言っているように聞こえる。司馬もそれは望んでいなかったのではないか。

変なのがあったぞ。司馬はわかりやすく極端にものを言うけど、そのフレーズだけを画面に文字つきで出されると、待ってくれというのではなかろうか。

「明治維新は士族の革命だった」。ナレーションは言い切る。待てよ。百姓も町人も参加したし、士族の大半は革命に反対したぞ。

よくわからないのは、次の言葉(メモしてないので、正確ではないが)

「この歴史的変革の経費は諸大名が自腹を切って払った。その代償が廃藩置県。何のための明治維新であったかと武士は思っただろう」。

大名の経費は領民たちから集めた金ではないか。自腹とは何だよ。恩着せがましい。しかも、倒幕のための費用をすべての大名が払ったわけではない。なんのための明治維新だったか?財産や地位を求めて明治維新をやった武士はいないだろう。実に、断片的で誤解を与えるフレーズだ。司馬もこんなことは言ってない。あっちこっちから司馬の片言隻句を取り出して構成しないでほしい。テレビの洗脳力は大きいのだから。渡辺謙がナレーションだからいいだろう、というのはないぜよ。

終わりの出演者の名前が出るところで、脚本諮問委員会というのが出てきた。関川夏夫や松本健一とか7名くらいの名前があったけど、NHKの作った脚本を有識者に検討してもらった、ということ?政府と同じく、責任逃れをするつもりか?

これからどういう具合にドラマが展開するのかは知らないが、司馬の作品とはまったく異質なものができそうだ。軍人の敬礼するシーンや日の丸の旗がたびたび出るのだろうな。

これをNHKでドラマ化するように圧力をかけた人たちがきっといた気がする。
でも、来週も楽しみに見るつもり、がいなドラマになりそうやけん、注意しとかないけんけん(笑)


BS映画「渚にて」

2009-11-29 | 映画・テレビ
録画しておいたBS映画「渚にて」を見た。

「渚にて」はSF小説の名作とされていて(読んでないが)、前から見たいと思っていた。

監督は「ニュールンベルグ裁判」のスタンリー・クレイマー。社会派監督だ。
配役は、グレゴリー・ペック、エヴァ・ガードナー、フレッド・アスティア、アンソニー・パーキンス。

1959年の作品で、映画の舞台は1964年。近未来の核戦争後の世界だ。
北半球は核戦争で全滅、南半球のオーストラリアに人々は生き残っているが、放射能汚染のため、人々が生きていられるのも長くはない。

白黒で、今はやりの派手な破壊的シーンはまったくなく、画面は静かなドラマが続く。全編通じて、よく耳にする音楽が流れてくる。なんだっけ?と思ったら、これはオーストラリア民謡らしい。

世界の終末を前にしたラブロマンスであり、核による平和の愚かしさを静かに訴える反戦映画。いい映画だ。


坂の上の雲 松山の思い出

2009-11-28 | 日記
明日から「坂の上の雲」(NHK)が始まる。内藤と亀田の試合もある。同じ時間帯だったら、「坂」の方を録画しておこう。

「坂の上の雲」の秋山真之は宇和島市吉田町の山下亀三郎(山下汽船の創業者。吉田の立志伝中の人物)とは親交が深く、真之は亀三郎の別荘で息をひきとったらしい。

さて、松山。子供の頃、遊んだ町だから懐かしい。あの松山城、腰にロープをぶらさげて友達とよく行った。お城の石垣をロープでよじ登るのだ。少年探偵団のつもり。この頃は(小学二年生だったが)、とにかく、ワルかった。

学校では、映画は父母同伴が決まりだったが、何度もただで映画館にもぐりこんだ。いきなり、サっと入り口から入る。暗い館内に入ってしまえばわからない。あるとき、すばやく走り抜けたとき、ポケットのコルトのピストルを落としたが、かまわず館内に入った。館内は人でいっぱいで、一番うしろで立つはめに。映画館の主人がわたしの肩をうしろからたたき、「このピストル、ぼくの?」と聞き、「うん」と答えてつかまってしまった(笑)。

おもちゃの連発ピストルの火薬の粉末を鼻紙にひろげ、その上に小石を何個か置き、それをまるめてポケットにしのばせておく。わるものが来たら、ポケットからまるめた鼻紙をエイッと道に思い切りたたきつける。すると、ババーンと音がし、鼻紙が燃え出す。フフフ。忍者のつもりだ。

あるとき、市民会館とかでスターがショーをしたとき、友達と見に行って、よく覚えていないのだが、座席の上を飛び跳ねて遊んでいたらしい。翌日、先生が、その市民会館で遊んでいた生徒(友達ではなかった、知らない子)を教室に連れてきた。みんなを立たせ「昨日、市民会館で遊んだ子はだれだ!この子に見つけてもらう」とその子にみんなの顔を一人ずつ確認させた。その子が私の前に来た。だが、その子は黙っていた。これは一生、忘れない。

このころ、いつもいっしょに遊んでいた子がいた。名前もよく覚えている。松本よしあき(漢字はわからない)。親友だった。小学校時代、ずっとこの名前を思い出していたから忘れない。母と子の二人暮らしだった。もうめちゃめちゃ気が合った。突然、松山を去ることになったので、別れもいえなかった。今、どうしてるのだ?

四国から大阪に出てきたとき、お好み屋のおやじから、「おまえは愛媛やろう」といわれた。なんでわかると聞くと、「けん、けん言うやないか」と言われた。そうだ。このころは、いつも、お金ないけん、とか、けんをよく使っていたな。

番町小学校で、担任の先生は丹下先生といったけ?大友柳太郎の友達だったそうだ(大友は松山中学出身)。校庭には、たしか子規の銅像が建っていた。

アランの文学語録

2009-11-26 | 読書
この本が、67年続いていて、今、80歳過ぎのおばあさんが一人でやっている小さな狭い、きたない(ごめん)古本屋の本棚から抜き出して買った本。

創元社 昭和15年1月10日8版 定価 2円。初版は昭和14年11月だから、2ヶ月も立たずに8版とはいかに?めちゃ売れたのだろうか?この本を読んだ多くの若者は戦地に出たのだろうか。装幀は青山二郎とある。

いい本買った、と思っている。全部で84章あるアランの文学プロポ(短文)。中央公論の世界の名著(アラン)にも「文学論」としてこの本を訳しているけど、半分以下の抄訳だ。これは全訳版。

この本で、哲学者であり、当代一の読書人であるアランはホメロスからプラトン、パスカル、ルソー、ゲーテ、スタンダール、トルストイなどなど世界の散文、文学について語るのだけど、最後にもってきた84章はロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」。この本の最後を「ジャン・クリストフ」への讃辞でしめくくるとはうれしい。

プロの文学者で、ロマン・ロランをほめる人は少ないのだが、アランは堂々とロマン・ロランをあちこちで語る。好きだったのだろう。認めていたたのだろう。

アランは人から「ジャン・クルストフ」について書くことを求められたが、ひきうけなかった。それは、「私がこれを初めて読んだときに感じた感激の中のあるものを、もっと成長したときの自分の批判力が否認するということがあるかもしれぬと考えた」そうだ。だが、アランはこう書く。
「ところで少しも左様はならない。初めて読んだときの通りの感銘を返読してみて私は感じる」。

アランは「ジャン・クリストフ」の中から老シュルツ、叔父ゴットフリートの情景を語る。ジャン・クリを読んだことがある人なら、「老シュルツ」とや「ゴットフリート」の名はだれでもが人生の中でも決して忘れられない面影の名になっている。

他の本でもアランがロマン・ロランについて書いていることはある。しかし、この本のように13ページにわたって「ジャン・クリストフ」について語ったものはない。

古本の状態としては、下、経年劣化というところだが、いい本、手に入れた。しかし、これも、いつか売るのだ(笑)。独占せず、人から人へだ。



本屋に世界文学全集が・・・

2009-11-24 | 日記
過日、駅近くの比較的大きな新刊屋さんにいった。梅田の紀伊国屋や旭屋ほど大きくはないが、市では一番大きな本屋さんだろう。1階2階があり、1階は一般書、2階は専門書、児童書、コミックが置いてある。

世界文学(外国文学の古典)は果たして置いているだろうか、そんな目的、視点で本屋を調査した(笑)。

ない。だいたい、単行本の外国文学のコーナーは狭い。外国文学の古典となると、文庫本コーナーしかない。この本屋、どこの本屋もそうかもしれないが、文庫本のコーナーは1階のスペースの半分を占めているが、外国文学のコーナーはその中でも20分の1くらいのスペースしかない。まだブックオフの方が多いくらいだ。むろん、外国文学を網羅するこはできず、一部だけだ。何回も書いたが、ロマン・ロランなどない。

わたしたちが中高校生のころはこうではなかった。ずらりと全50巻以上になる世界文学全集が棚に並んでいた。しかも、ひとつの出版社だけではない。数種類の世界文学全集が並んでいた。その本の函には時には映画の場面や版画の絵があり、読みたくさせる巧みな宣伝コピーも書かれていた。

世界文学は全部読む必要はない。1冊か2冊、5冊も読めれば上等だろう。人それぞれによって波長の合う作品は違うし、出会いもいろいろだ。しかし、その1冊に出会うためには50冊以上100冊くらいの世界文学全集が目の前になければならない。目の前に並べてくれてはじめて選ぶことができる。昔の中高校生はそれができた。今の中高校生にはそういう場が与えられていない。これは実に不公平だ。
わたしたちの世代は十分に世界文学全集を与えられておきながら、今の中高校生からは世界文学と出会う機会を奪っている。だいたい、本屋さんで中高校生の姿を見たことがない。

出版社の責任だ!と思った。
目先の利益に走って公共の福祉、文化への貢献を忘れているのはJRだけじゃない。

なお、古本うしおに堂では世界文学全集を数種類ご用意いたしてございます(笑)



67年続く古書店

2009-11-23 | 日記
池田駅近く、176号線沿いに古書店がある。
いつも戸は閉まっているので、営業してるのかしてないのか気になっていた。
ブックオフや古本市場を別にすれば、おそらく北摂で唯一の古書店だろう。
わたしが学生のときにも寄ったことはある。狭い、小さい、ほんとに、古い本屋さん。まだ、やっているのだろうか。

今日、ついでの用事のさいに、寄ってみた。
戸は横にガラガラと開けるやつ、おそるおそる開けた。
おお、やっていました。お客さんも一人いた。よかった。

かなり埃をかぶっていて、手が汚れるからと、テッシュペーパーをかしてくれた。そんな本屋さんです。でも、これぞ、ほんとうの古本屋です。
裏が映画館だから、ちょっと寄ってもいいのだが、古本好きでない人はきっとだれも寄らないだろう。

80歳くらいのおばあさん、一人でやっている。
聞くと、開業は昭和17年だという。当時は疎開してきた人も多く、繁盛したらしい。

昭和15年出版のアランの「文学語録」(片山敏彦訳)、「トルストイの言葉」、ツヴァイクの「精神による治療」などを購入した。まけてくれた。

アランの「文学語録」を渡すと、「あ、これはいい本です。おもしろい本です」と言っていた。きっと、昔、読んだんだ。

店を出て、しばらくして小林秀雄が訳したアランの「精神と情熱の八十三章」も函入りで(函はやぶれていたけど)あったことを思いだし、1時間後に、再び、店をのぞくと、店はもうしまっていた。

もう営業ということではなく、おじいさんがつくった古書店をおばあさんが生きている限りは店を閉じないで続けようとしているのかもしれない。
店の建物も、昭和17年から変わっていないと思う。こんな店は貴重だ。しかし、どんどん消えていく。



富田林 寺内町散策

2009-11-21 | 日記
三連休で、今日は、京都や奈良などは最後の紅葉を鑑賞する人でいっぱいでしょう。でも、渋滞する中、わざわざ遠くまでいく必要はありません。大阪にも静かな、人のいない穴場があります。富田林寺内町。古い歴史的な家並みの続く空間です。

以前、富田林はいったことがあったけど、ここは初めてだった。
車を止めるところはないので、市役所第三駐車場(市役所ではない)という駐車場に車を止めるといいです。無料。ここから歩いて5分で、古い家並みにつきます。

まず目にするのは旧杉山家住宅(重要文化財)。ここは公開しています。中に入ると、ここは石上露子(いそのかみつゆこ)の生家だと知った。石上露子(1882年~1959年)は長谷川時雨の「明治美人伝」(岩波文庫)で名前と顔だけ知っていた。

明治の歌人で、「明星」に歌や詩を発表したり、「大阪平民新聞」なんかとも関係したそうだ。南河内一の大地主のお嬢さん(本名は杉山たか)だ。大地主の長女なので、親の決めた相手と結婚せざるをえず、しかもその旦那から歌や詩を発表することを禁止されたそうだ。詳しいことは何も知りません。

仲村家住宅というのもある。ここは安政6年、吉田松陰が黒船に乗り込む前だが、けっこう長く滞在していた家だという。実は、吉田松陰だけではない。この富田林に滞在した志士には、清河八郎の親友であった安積五郎、平野国臣、宮部鼎蔵、 美玉三平、 松本奎堂などもいる。みな、清河八郎の仲間だ。当然、清河八郎も訪れた可能性が大だ。八郎、もし暗殺されず、生きていたらこの天誅組の大将になっていた可能性も大だ。
この富田林は、草莽の志士のアジトだったのかもしれない。

この仲村家の隣には水郡善之祐の祖父の隠居所があったそうだ。水郡善之助、天誅組河内勢(天誅組のメンバーの4分の1を占める)のリーダーだ。仲村家からも天誅組に参加した人がいる。

また、あの五条の森田節斎はこの仲村家と親戚になるそうで、節斎もよくきている(松陰を連れてきたのも節斎)。

水郡善之助の家はかなり前訪ねたことがあって(富田林だった)、この寺内町とだばかり思ったのだが、今日探すとどうも見あたらず、あとで調べると、こことはなれた甲村にあった。でも、あそこも町並みは静かだと思った。

いろんな古い家があります。でも、公開しているのは、旧杉山家住宅と勝間家住宅の2軒だけで、他は今でも人が生活しています。静かです。

天誅組も、この町並みを歩き、そして観心寺にむかいました。
天誅組を追いかけて観心寺にもいってみることにしました。

観心寺については、古本うしおに堂の店長日記に書くね(宣伝するな!大笑)

画像は松陰が滞在した仲村家住宅(富田林)。

訂正 「明治美人伝」ではなくて、「近代美人伝」でした。この文庫を調べてみたけど、石上露子は出ていなかった。勘違いだった。ご容赦。でも、あの顔はどこかで見たはずだけど、今はわからない。

復活せよ 河出のグリーン版世界文学

2009-11-20 | 読書
古本屋で河出のグリーン版世界文学全集の「静かなドン」を見つけた。

わたしが持っているのよりも、函も中身もきれいだ。このシリーズの本は、中央公論社のチェーホフ全集とともに、好きな本の装幀だ。片手で持てる手頃な大きさ。シンプルで固い函、ビニールカバーがついた緑の表紙(函も緑)。実にセンスがいいではないか。懐かしくてまた買ってしまった。昭和30年代のシンボルだ(以前にも書いたっけ?)。

このシリーズ、昔は本屋にはいつもずらりと並べられていた。本棚の前にたたづんで、どれを読もうかと迷ったもんだ。1970年代にもまだ平積みにされていたこともある。「静かなドン」の奥付けを見ると、昭和35年初版発行、昭和46年22版と書いてある。10年以上も本屋の店頭に並べられていたのだ。今、そんな本があるだろうか?

今、世界文学の古典を見つけようとすれば、文庫のコーナーのほんの狭いスペースにしかない。それもドストエフスキーやトルストイならあるけど、有名作家の一部だけ。見つからないものも多い。たとえば、この河出の世界文学にもあるが、ロマン・ロラン、ショーロホフ、カロッサ、ゴーリキ、ムシル、エレンブルク、バルザック、サルトル、メイラー、リルケなどないだろう。ショーロホフの「静かなドン」やロマン・ロランの「魅せられたる魂」などは絶版状態だぜ。

この河出の世界文学全集は、今、復刊して本屋の棚に並べてもきっと売れるはず。


文庫、新書ばやりで、編集者の求めに応じて2,3時間で書き上げられたようなゴミばかり本屋に並べていては、だれも本屋に足を運ばないのは当然だ。

固い函入りというのもなかなかいい。なんといっても、それぞれの世界文学は人生が、人の情熱、悲しみ、喜びがいっぱいつまっている。函の中に入れなくては、あの作品世界はとてもおさまり切らないと思うのだ。

固い函の背をなぜ、ちらっとページを開いて、その作品の世界、人生の匂いをかぎ、では、今度ね、いつか読むからね、と函にしまっておける。

「静かなドン」、今度こそ、函から出してその大河のような物語の流れに飛び込みたいと思っているけど、いつも沈没しています(笑)。本の背をなぜて想像をふくらませるだけでもいいか。


坂本龍馬・中岡慎太郎命日

2009-11-15 | 日記
今日は、坂本龍馬命日。
NHKテレビのニュースで龍馬の誕生祭がおこなわれた、という報道があった。こんな報道を見るのは初めてだ。来年度の大河ドラマ「龍馬伝」の宣伝?

京都でも、高知でも龍馬祭みたいな行事があったらしい。
11月15日ということだが、これは旧暦だから、新暦になおすと12月9日か10日くらいになるのではなかろうか。京都の冬は寒い。龍馬は風邪をひいていたというが、うなずける。西洋占星術では龍馬は射手座になるのではなかろうか。射手座は、下半身は馬だから龍馬に合う。

それにしても、中岡慎太郎だ。慎太郎は龍馬よりもほんの少しだけ生き延びたので、正確にはこの15日が命日ではないけど、しかし、龍馬といっしょに死んだと同じだ。15日は龍馬の誕生を祭るのではなく、志の途中で暗殺された二人の志士の命日として祭るべきだ。

生まれた年月は違うが死ぬときは同日に、というのは三国志でもおなじみの義兄弟の誓いだが、龍馬と慎太郎はほんとに義兄弟のように共に一緒に死んだ。

慎太郎は、討幕、革命路線を一直線に進んだ草莽の士。龍馬も慎太郎について「わたし同然の人」と言っている。慎太郎こそが龍馬の数少ない同志で、岩崎弥太郎なんてまったく無縁だぜ。

龍馬、慎太郎の命日なので、お酒をいただくことにする。

映画「パリは燃えているか」

2009-11-14 | 映画・テレビ
昨日、録画しておいたBS映画「パリは燃えているか」を見た。

以前、見たことはあるのだが、途中であきてやめてしまったが、今日は最後まで見た。
連合軍のパリ解放までの動きをレジスタンスたちの活動を中心に淡々とドキュメンタリー風に描く。おもしろかった。これは大人の映画だと思った。白黒映画だが、最後は現代のパリを上からカラーで描く。なかなかしゃれてる。

往年のスターがたくさん出てくるのも楽しい。オーソン・ウエルズ、イブ・モンタン、アラン・ドロン、ジャン・ポール・ベルモンド、カーク・ダグラス、グレン・フォード、「アンタッチャブル」のネス役のロバート・スタック、アンソニー・パーキンス、ジョージ・チャキリス・・・、きりがない。監督はルネ・クレマン。音楽はモーリス・ジャール。モーリス・ジャールって、ほんとにいい映画音楽を作る。

第二次世界大戦が終わり、せっかく平和がもどったのに、なぜ、今なお、戦争をしているのか、映画を見ながら不思議に思わせられる。これは反戦映画だ。

ドイツ軍将校が降伏が決まったとき、「これで「戦争と平和」が読める」とつぶやいていた。

気になる「龍馬伝 」

2009-11-13 | 映画・テレビ
来年度大河、龍馬伝の配役が少し決まっているようだ。

福山雅治の龍馬は悪くないと思っている。
しかし、勝海舟になんと武田鉄矢だ。ウヘー!これだけはいやだ。

西郷隆盛や桂小五郎、岡田以蔵、加尾、お龍なども決まっているようだが、なぜだか中岡慎太郎が決まってない。中岡慎太郎の出ない坂本龍馬もないだろう。そんなに重要視していないのだろうか。清河八郎、吉村寅太郎なども龍馬にとっては縁の深い人物だが出そうもない。そんな龍馬とは何だ?

岩崎弥太郎は準主役だが、龍馬との接点はあるのだろうか。
龍馬の手紙はたくさん残っているが、岩崎弥太郎にあてた手紙はない。そんな親しい関係にはなかったと思う。ただ、長崎時代に岩崎は海援隊の土佐側会計官(海援隊員ではない)みたいなことをしていたようで、わずかにその時だけだろう。

だいたい、岩崎弥太郎自身にも龍馬について語ったり、書いたりしたものが残っているのだろうか。龍馬も弥太郎も互いに無視し、深く交わらずにいただろう。接点があるとは思えない。

岩崎弥太郎は、後藤象二郎派であり、土佐勤王党を弾圧した側の人間だ。弥太郎は、吉田東洋暗殺犯を追いかけて大阪にまできたことがある。藩の役人だ。互いに反発したはずだ。

海運業を興した、ということで岩崎弥太郎は、龍馬のあとを継いだという人もいるが、二人はまったく違う。
明治政府の高官だった佐々木高行は後年、「岩崎は学問もあり、慷慨の気にも富んでいるが、商業を以て国を興すという主義を懐いていて、ちょうど海援隊とは反対である」と書いているそうだ(佐々木老侯昔日談)。
岩崎は利益を目的とするビジネスに命をかけたが、龍馬の海援隊はそれと同じものではない。

よりによって、この二人をからませるなんて思いつきではあるがが、どこからかの求めがあったのではないか、と邪推したくなる。

NHK大河ドラマ化してほしい、という要求は、日本全国さまざまな地域、団体からあるそうだが、財閥側から求められても不思議ではない。まあ、そんなことはないと信じる。

俳優はなんの関係もなく、一生懸命に演じるはずだから、まっとうな龍馬像を描いてほしい。
プロデューサーがどんな人物なのか、を探った方がよいのかもしれない。

NHKの推すビジネスマン龍馬像 

2009-11-12 | 映画・テレビ
昨日、NHKの歴史秘話ヒストリア「坂本龍馬と海援隊」をたまたま見た。
亀山社中が土佐藩の後援を受けることになったことと、紀州藩の船と衝突した「いろは丸事件」で龍馬が都々逸をはやらせた、という内容。

いやー、つまらない。
龍馬は、前半では「利益追求のためには手段を選ばない「射利」を掲げたビジネスマンだを強調し、後半では、龍馬の交渉術、メディア戦術を取り上げる。革命家、反体制運動家としての龍馬の顔はない。

幕府を倒すとか新しい世の中を作るとかはどうでもいい、龍馬の本来の事業はビジネスなのだ、「海外への熱い志」「チャレンジ精神」「交渉術」「利益追求の志」
これでは、まるで経団連がビジネスマンに求める企業青年の姿ではないか。

なぜか岩崎弥太郎も、海援隊の世話をした、として出てくるが、大河ドラマ「龍馬伝」で登場させるからだろうか。なんだかおずおずとした出し方だ。おおっぴらに大々的に三菱財閥の岩崎弥太郎を出すのは気が引けるのか、来年度大河では、龍馬を前面にたてて岩崎弥太郎の活躍を見せる趣向のようだ。姑息ではないのか。

来年度大河「龍馬」は福山雅治だそうだが、福山雅治のためにも強く望む。岩崎弥太郎が後を継いだというような経営者好みの龍馬像にはしてほしくない。

龍馬は、あの危険な清河八郎に「虎尾の会」参加を求められたほどの男だし、土佐勤王党の同志であり、脱藩し、藩からも幕府からも捜索されたお尋ね者だ。

会社を作り、貿易をし、海外に夢を持った事業家の面もあるかもしれない。しかし、一方では、中江兆民以後自由民権、平民社、民主運動など反体制運動の源流の精神も濃厚であり、平民派の数少ないシンボルなのだ。

商売、事業、海外への夢、利益追求、交渉術、先見の明、この程度のものを身につけているヤツは龍馬でなくてもざらにいるだろう。

龍馬をあちら側に盗まれてはいけない。


声の欄に赤松啓介

2009-11-10 | 新聞・テレビから
今日の朝日の声の欄に兵庫県福崎町の人が「民俗学赤松啓介を顕彰しよう」の文を投稿していた。

赤松啓介は播州加西市の出身で、今年生誕100周年になるようだが、地元でも知る人は少ないらしい。

投稿によると、赤松は「柳田民俗学を、民衆の実態から目をそらせた「常民」の民俗学であると批判し、被差別民など底辺の人々に温かいまなざしを注ぐ「非常民」の民俗学を展開した」と書いてある。

柳田国男は福崎町出身だ。自分の町の出身の柳田国男よりも隣の加西市の赤松啓介を顕彰しようとするのがおもしろい。

柳田は民俗学の大家だが、しかし、一揆についてだけは学問の対象からはずしている。赤松は、「幕末の百姓一揆」(内容は兵庫の百姓一揆だが)という本を書いた。兵庫の百姓一揆史として貴重であり、明治2年の三田一揆についても詳しい。

筆者は地元の教育委員会にも働きかけて、「しのぶ会」を開きたい、としているが、さて、地元の教育委員会は動いてくれるだろうか。動くべきだ。

画像は播州清水寺の紅葉

播州の寺 法道仙人

2009-11-07 | 日記
丹波、丹後、播州は近場だし、見るべき名所はだいたい行ったつもりだが、加西市の一乗寺というのはまだ行ったことがないので、行ってみることにした。できたら紅葉の風景も見たかった。

一条寺に行く前に、加東市の朝光寺、清水寺にも寄った。

朝光寺は、だれもいない。国宝なのだが、無人。もちろん、入場料なんかいらない。そばには小さな滝もある(名前を忘れた)。いかにも古刹。だれにも見られず知られず、ひっそりとそこに立っている姿がいい。

播州清水寺は、広い駐車場があって、観光バスも止まる。西国33寺の一つだ。朱い門は、いらっしゃい、と招いているよう。根本中堂、大講堂、薬師堂、平清盛の母祇園女御が建立した多宝塔跡とかいろいろある。紅葉もきれいだった。その井戸の水に顔を写すと3年寿命が延びるといわれる井戸もあり、もちろん、のぞいた。これで3年は大丈夫だろう。

朝光寺、清水寺は以前、来たことがあるが、一乗寺(加西市)は初めて。
ここも広い駐車場があり、観光バスが止まっている。西国33カ所巡りツアーの観光バスだ。

石段を登ると、三重の塔がある。今日はご開帳の日とかで、拝観料400円のところ300円にしていた。

ところで、今日訪れた朝光寺、清水寺、一乗寺も開基は法道仙人とある。
法道仙人とはインドから推古朝の頃にやってきた謎の超能力者らしい。播州にはこの法道仙人が関わる寺が100カ所以上もあるらしい。三田の花山院もそうらしい。

仙人というなら、老子、荘子の系統の人かもしれない。おもしろい。

清水寺では、お経が聞こえてきた。あのお経、あの調べは1000年以上前から変わらないものなのだろうか。1000年以上前の調べを聞いていることになるのだろうか。

ちょっと早いけど、今日は紅葉を鑑賞できてよかった。寺よりもやっぱり紅葉がいい
画像は一乗寺の三重塔。他の画像は古本うしおに堂の店長日記にものせるつもり。

貧困率の社説

2009-11-04 | 新聞・テレビから
今日の朝日の社説。
「15・7%の衝撃 貧困率が映す日本の危機」が見出し。

「日本の相対的貧困率は、07年調査ですでに15・7%だったと長妻厚労相が発表した」が書き出しで、「04年の調査では、加盟国30カ国中、4番目に高いと指摘されていたが、自民党政権は公表を避け続けてきた。日本が「貧困大国」となった現実に目を背けてきたのだ」と、書く。

まてよ。OECD(経済協力開発機構)の調査だそうだが、こんなことは、自民党政府から公表することを待たなくても、新聞社だったら、情報を入手するのは朝飯前のことだろう。こんなことすらも政府が公表してくれないとわからないなんて、これこそが問題だ。政府に公表を止められていたのか、それとも、関心がなかったのか?

貧困が深刻に進んでいるのはもう何年も前からわかっていることだ。しかし、朝日はつい1年か2年ほど前、「新戦略」と称して、この国に未来について21の提言をしていたが、その中に、労働者や貧困の文字はひとつもなかった。(あの、まるで官僚が書いたような21の提言は何だったのだ?日本の貧困から目をそむけてきたのは自民党だけではないぞ。つい最近のことだから、朝日の自社の考えを検証してほしい)。

新聞記者はこうではないだろう。政府から止められてもすっぱぬくのが記者だ。その意味で、密約事件の西山記者なんかは新聞記者だ。

松本清張の推理小説にも、よく新聞記者が出てくるが、かれらは有能だ。警察に対抗して独自で取材する姿がたびたび描かれる。1度や2度、牢屋にぶちこまれることも辞さないような記者魂、それが今の大新聞にはない。

なにが衝撃だよ。わかっていたことじゃないか、とみんな思うぜ。

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