虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

後藤さんの母の記者会見

2015-01-23 | 新聞・テレビから
「イスラム国」に拘束された二人の日本人の運命が心配で、スペインツァーはしばしお休み。ちょっと書く気になれない。

夕刊で、後藤さんの母の記者会見を知った。
インターネットでは記者会見の中継を見ることができるのかもしれないが、PCが苦手で見られない。

NHK7爾のニュースではトップに報道するだろうと、午後7時を待った。だが、最初の10分は現地特派員とか官邸の様子(なんの進展もない)を報道し、後藤さんの母親の記者会見はたった1分弱。そのあと、アメリカや各地の波紋のようすの報道が4分ほど。15分間、身代金問題を報道したが、記者会見は1分のみ。9時のニュースウオッチ、10時の報道ステーションはどうだろうか。まだ見てないからわからない。

そもそも、なぜ、外国特派員教会で、記者会見をしたのだろうか。
日本の記者クラブではできなかったのか。また、なぜ、今日まで、後藤さんの母への新聞やテレビでの取材、報道はなかったのだろうか。

後藤さんの母は昨年の10月(11月だったか?)には、息子がイスラム国に拘束されたことを知っていたようだ。奥さんに身代金の要求があったのだから。家族は外務省にも連絡したという。

ほんとに、新聞記者たちは、あのユーチューブのメッセージがあるまでこの事件を知らなかったのか?報道規制はなかったのか?

安部首相は、すでに昨年、知っていたことになる。知りながら、解散、総選挙。
そして、知りながら、中東訪問。おかしくないか?

安部首相は、解決に向けて全力をあげるよう、関係閣僚に指示した、という。指示だけ?
政府関係者は、解決に向けて全力をあげている、といっているが、情報収集と対応を協議するだけ。

実際は、水面下で、解決にむけて全力をあげているとは期待するが、もし、そうではなかったら
救われない。

二人の日本人の無地帰還を祈ってやまない。、

スペインツァー③ アンダルシア

2015-01-20 | 日記
三日目は、アンダルシア地方のミハス、ロンダを散策.



地中海に面したミハス。山沿いに白い家が建ち並ぶ。雨が降らないので、土砂崩れの心配はなし。
家を白くしているのは、直射日光を反射するためで、そういえば、スペインは白い家が多い。
ここは、大富豪やハリウッドの大スターなどの別荘もあるそうだ。眺めがよい。
風が強かったけど、初夏のような暖かい風だった。



午後は、ロンダ。ミハスと同じように白壁の家が多いが、断崖絶壁の上に立つ。大きな古い橋があり、そこからの眺めが絶景だった。ヘミングウエイも別荘を持っていたらしい。

ミハスもロンダも散策時間は1時間弱なので、もう少しゆっくり滞在したかった。スペインはツァーできた後、個人旅行で再び訪れる人が多いそうだ。アンダルシアには2,3日滞在したい。

 


夜、夕食後、グラダナにある洞窟フラメンコショーを見に行く。途中、アルハンブラ宮殿の夜景を見る。

フラメンコダンスは、ジプシーとアンダルシア地方の文化が融合して生まれた。
ガイドさんによると、ジプシーは北インドから流れてきた人々で、長く差別されてきた歴史がある。フラメンコの激しい踊りも、ジプシーの苦難と悲劇が秘められている、とか。
素晴らしい!







スペインツァー②  交流

2015-01-19 | 日記
かつて海外旅行の魅力といえば、現地の人々との交流だったと思うけど、今の海外旅行ツァーの目的は、名所見学と買い物が中心で、現地(異国)の人々との交流はまずない。むしろ、海外旅行ツァーは、日本人との交流が中心。だから、外国語の必要はなし。

今回、わたしが海外の人と交流したといえば、バスの運転手さん、お土産屋(売店)の店員さん(かなり日本語ができる。いや、日本人だったことも)。あと、ワインを買ってきたけど、せん抜きがないので、ホテルのバーにワインを持って行って「開けて」と頼んだくらい。

バルセロナの空港で、「トイレ、どこ」とお店の人に聞くと、「まっすぐいって右」と日本語でい
われた。「日本の方ですか?」「はい」「どちら」「東京は世田谷です」なんてこともあった。

自由行動の時間がなかったこともあるけど、現地の人との交流はなかった。添乗員さんがやたらに治安が悪いので、やたら話しかけないように、とクギをさされたこともあるかもしれない。

その代わり、日本人同志の交流は不可欠になる。

1日に朝、昼、夜の3度の食事があり、合計15回ほど、レストランやホテルの食堂でツァーの人達と会食することになる。

一人席や二人席はなく、だいたい6人、8人席のテーブルにつく。自由席だが、どんどん順番に座ってください、と促されて席につく。その時によって、隣の人、前の人、テーブル席の人の顔ぶれは変わる。

朝をのぞき、昼、夜とも、決まって、ワインかビールの飲み物の注文をとりにくる。
さて、ビールを手にし、人のことは我関せず、と不動明王のような顔をして黙って宙をにらんでいるわけにもいかない(こういう方がいたら、きっと好きになる、だが、わたしはできない))。

隣や前の方に話しかけないわけにもいかない。謎の、変なおじさんと見られ、不快な印象を与えるのもエチケットに反する。で、「どちらから?」「どこがよかったですか?」とか話しかける。人見知りなわたしには、ちょっと気が重い(そのくせ、横に若い美人が座るとやたら話しかけるのだが)。

とにかく、食事の時間はちょっと気をつかう。さて、どんな方と同席するのだろう、などと考える。
むろん、それはそれなりに楽しいこともあるのだけど・・・。

年配のご夫婦、娘と母親、孫と祖父母、いろいろな方がおられる。特にびっくりしたのは、海外ツァーの常連さんがほとんどで、20回目という方もいた。わたしなどは初心者。
ガンになり、再発率50%といわれた、今のうちに見るべきものは見ておこうと、半年に1回はツァーに参加している、という方もおられた。 

今回の団体客は約40名。いっよにバスにのり、いっしょに見学し、いっしょに食事をした人達。おそらくもう二度と会うことはない方たちで、まさに一期一会。海外旅行ツァーは日本人との交流の場でもあるのです。

二日目は、アルハンブラ宮殿にいきました。余計なこと書きすぎたので、画像のみ。






スペインツァー ①

2015-01-18 | 日記
1月8日から15日までスペインツァーに参加。

5,6年前なら、旅をしたら、その日のうちにすぐにもブログに書いたのだけど、近頃は、書く意欲がわかない。何事もそうなのだけど、これが年をとった、老いた兆候なのかもしれない。

昔の修学旅行のように、連れていってもらうだけの団体旅行なので、忘れてしまいそうなので、ちょっとだけメモしておきます。

海外旅行は、老人にとっては、飛行機が難関。なにせ関西空港からヘルシンキまで10時間以上、ヘルシンキからバルセロナまで約4時間、合計14時間ほど飛行機。これは体力的にきつい。遠い国は、元気なうちに行っておくべきです。むろん、タバコも吸えない。しばらく前から禁煙をしていたが、旅行中は完全禁煙でした。

乗り継ぎのヘルシンキは雪が積もっていましたが、スペインは温暖。
スペインの冬は厳しい、とか聞いていたので、帽子、マフラー、手袋、カイロまで用意していたのだけど、すべて無用。春のような暖かさでした。

さて、一日目。


バルセロナの聖家族教会。ガウディの有名な建物。SFかファンタジーにでも出てきそうな建物。
さすがここは観光客が多かった。
まだ建築中ということだが、中はほぼ完成。
志摩のスペイン村で5年ほど働いていたという現地ガイドさんが説明してくれる。

次、バスで移動してタラゴナへ。
バスの窓からは、オリーブやオレンジの畑、岩むきだしの山々というスペインの風景が延々と続きます。


タラゴナでは、ラス・ファレラス水道橋(ローマの遺跡)を見学。スペインはローマとイスラムと中世の遺跡が残っていて、ヨーロッパの中でも独特。

では、次回に。











スペイン

2015-01-04 | 日記
今週、スペインツァーに参加することにした(海外旅行ツァーは一月が一番安いのです)。
高齢者になると、いつまで元気でいるかわからず、元気なうちに「見るべきものは見ておこう」と思っている。

スペインといえば、闘牛、フラメンコ、セルバンテスくらいしか頭に浮かばず、ほとんど何も知らなかったのだけど、スペイン、好きになりそうな予感がする。昼寝の習慣や、明日にしよう、というのんきな、あくせくしない処世態度もさることながら、ここは、一揆の土地柄でもあったようで、強いシンパシーを感じる。

ヨーロッパの後進国とされ、フランス革命後も、民主的な改革はなく、19世紀になっても、封建領主、教会、貴族たちが農民たちを支配していた国だ。

そして、あのスペイン市民戦争。

貴族、教会、富裕層と手を結んだファシズム勢力に対して、市民たちが立ち上がるも、結局、ファシストたちに弾圧される。「世界の歴史」でも第二次世界大戦やヒトラーのナチスのかげに隠れて、あまり注目されなかったのではないか。

せいぜい、ヘミングウエイ、アンドレ・マルロー、ジョージ・オウエルが義勇兵として参加したという知識くらいで、実際、それはどんな戦いだったのか、よく知らない。

スペイン市民戦争がおきたのは、日本の満州事変のころだけど、日本の新聞はまったくといってよいほど報道しなかった。日本人はほとんど知ることがなかった。耳をふさがれていた。

でも、欧米では新聞で大ニュースとして流れたようで、アメリカにいたジャック・白井という日本人が義勇兵に参加し、戦死している。知っている人は知っていることなんだろうけど、最近までまったく知らなかった。



スペイン、知らないことばかり。







2015年正月の新聞

2015-01-01 | 新聞・テレビから
毎年、正月は、新聞の正月の社説について、例によって悪口を書いてきたけど、もう今年はいいかげんやめようと思った。

昨年の自民圧勝(?)の選挙後、新聞は、日本の政治に(安倍政権に)正面から立ち向かう姿勢を捨ててしまった感が強い。

あの政治資金なんとか法に違反して辞任した小渕優子も(ドリルでパソコンを破壊して証拠隠滅をはかったそうだが)、うちわをうちわじゃないと言い張ったあきれたおばはん(名前も忘れた)も選挙で当選。30年前なら考えられないことだが(選挙民は恥じるべし)、新聞はその後、何も書かない。追求しない。
史上最低の投票率という大問題についても考えようとする姿勢がない。選挙のことは不問。
テレビは完全にジャーナリズムからはなれたけど、新聞も後を追っているのかもしれない。

今日は、新聞にふれるのはやめようと思ったけど、しかし、これからの一年、日本の政治、人々の暮らしが大きく変わることを思うと、大新聞の朝日がどんな新聞を国民に届けたのか、やっぱりメモしておく。

今年の特集は、「鏡の中の日本、戦後70年」として一面、二面を使っている。「日本は戦後70年を迎える。豊かで平和な戦後は、世界と日本との関係を新たに築こうとした個人抜きには語れない。一人一人のドラマが日本の姿を映し出す「鏡」となる」という主旨。

トップバッターはあの冨永格氏。再生朝日は、この人達がリードするのだろうか。まるで、政治離れを宣言したかのようだ。内容は、例によって無内容なので、書かない。興味のある人はどこかで読まれたい。

社説は「グローバル時代の歴史 「自虐」や「自尊」を超えて」。
例によって、他の人の言葉の引用や蘊蓄を披露して、責任のない感想をちょろりと書くコピペ論法。(いいたいことがわからない朝日論法)。ひょっとして、この社説も冨永格氏が関わっているのではないか、と思ったほどだ。

朝日の悪口ばかり書いているけど、何十年もの朝日の購読者だ。自分の店に朝日を置いているが、お客さんからはいつも朝日の悪口をいわれる。それでも朝日を止めない。それでも朝日にまだ期待しているのだ。しっかりしてくれい。