虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

龍馬伝 黒船と剣

2010-01-31 | 映画・テレビ
吉田東洋に田中 。これはなかなか楽しみだ。山内容堂、なぜ、白髪にしたのだろう。これから武市の土佐勤王党と吉田東洋の対立のドラマがおもしろそう。武市半平太は準主役級なんだ。

千葉佐那がなぜ龍馬にほれたのか、そのへんもっと細かく描いたらよかったのだけど、あっさりカットしたのは残念。

里見浩太郎の千葉定吉先生は、龍馬をどう見ているのか、まだよくわからない。龍馬とのいいからみを作ってほしいな。

世の中を見る、と称して黒船を見る龍馬。

今なら、龍馬は何を見にいくだろう。
アメリカの戦争の実態を見にいくかもしれない。そして、日本の米軍基地も。
やはり、夜も眠れなくなるかも。

来週は吉田松陰の登場らしい。やはり楽しみ。

旧西尾家住宅

2010-01-30 | 日記
吹田市の旧西尾家住宅を見学してきた。
ここは昨年、国の重要指定文化財になったそうで、先週も朝日新聞で紹介されていた。
吹田市には10年以上住んでいたが、ビルの多い吹田市にこんな建築物があるのは知らなかった。公開されるようになったのは5年ほど前からだそうだ。

この屋敷は江戸時代は仙洞御所にお米を納める由緒ある庄屋さんの屋敷だったそうだ。明治中期になって、11代目と12代目が大型和風建築を建てる。宅地2400㎡以上で、ドイツ製という塀がぐるりと周囲を囲む。どれだけ財産があったのかはかりしれない。

見学料無料。ボランティアの方が親切に丁寧に説明しながら案内してくれる。約1時間半くらいかかる。今まで、いろいろな古い建築物を見学したが、入り口で入場料を払ったあとは、ただ、こちらがさっさと見て回るだけだった。無料で、こんなに親切に案内してくれるところは初めてだ。

案内してくれたボランテイアの方は朝日新聞で取材を受けコメントも話した人で、この家については実に詳しい。この屋敷の近くに住み、屋敷の当主とも知り合いだったそうで、この屋敷の保存のために長く活動されてきたらしい。

この柱はなになにでできています、天井は、欄間は、床は、廊下は、茶室は、それぞれについて説明してくれ、こちらは「ほう、ほう」と感心するような顔をしているけど、建築物については何もわからず、狭い家にしか住んだことのないわたしは、「子供だったら、この屋敷の中を走り回り飛び跳ね、障子をぶすぶす指でついたらどんなにおもしろういか」などと考えていた(笑)。でも、説明してくれて勉強になった。

話の中に、牧野富太郎、武田五一、貴志康一、薮内流、という名前が出る。牧野富太郎は土佐の植物学者で名前は知っていたが、あとは初めて聞く名だった。武田五一は国会議事堂とか同志社大学のなにとか大阪の橋とかたくさんの建築設計をした有名な建築家らしい。この家と親戚になるらしい。貴志康一はこの屋敷で生まれた音楽家、ベルリンフィルの朝比奈さんも、この人が生きていれば、わたしの出る幕はないといったほどの音楽家。20代で夭折した。薮内流とは茶道の一派で武将風の趣のある茶道らしい。

和菓子とお茶も出してくれる(250円)。昔の大きな建築物には、どこでも茶室がある。酒ならわかるけど、お茶のたしなみはまっったくないわたしは、お茶の魅力はなんだろうと、そんなにいいものだろうか、とちょっと知りたくなった。貧乏人用の茶室ってないのだろうか。

この屋敷で将棋の阪田三吉も厄介になったようで、三吉が愛用した将棋盤も置いてある。
屋敷は外から見たら和風だけど、中は洋風のところもあり、和洋折衷だ。

駐車場はないけど、すぐ近くにパーキングがあります。これほどの財産のある大屋敷があったとすれば、一方でひどく貧しい家々もあったはずで、一揆はここではなかったのだろうか、などと思った。

施政方針演説

2010-01-29 | 映画・テレビ
ネタがなく、書くこともないけど、お昼、テレビから聞こえてきた施政方針演説から。

「日米同盟をシンカさせます」。シンカ、進化ではなく深化なのだろう。
また、へんな言葉を持ってきたものだ。深化とは何をどうするのだろう。

第二の維新と意気込んでいた政権交代、日米同盟を大胆に見直すことは大事で、沖縄の米軍基地についても国民的な議論をおこすべきなのだが、新聞は、ツマラナイ「政治とカネ」ばかりで、あまり日米同盟についてふれようとはしない。たまに語らせるといえば、防衛大学校の識者というぐあいだ。

維新は、国民的大議論から始まった。阿部正広が、情報を全大名に打ち明け、みんなで議論しようとしたことから、その任でない市井の人まで政治に関心を持ち、草莽が陸続と立ち上がった。阿部正広のテツをふむまいとしてるのだろうか。やはり、議論は上でだけでしよう、と。

かつて、70年の安保延長の時は、書店には安保関係の本がずらりと並んでいた。ノンポリのわたしも手にとり、勉強しようかな、と考えたほどだ(やっぱりむずかしいので、やめたけど)。

まったく、新聞も出版社も日米同盟については声をひそめているような感じだ。何が出版、言論の自由だ、と思う。

岡田外相の演説も聞いた。これが、「革命」政権の政治家の言葉だろうか、と思う。もっと、自由に、大胆に、自分の言葉で話せばよいのに、その話し方に、ひとつも新しさがない。
しかし、これは期待しすぎだよね。今、政治家に英雄を、快男児を求めるのはまちがいなのだろう。


高橋 敏「清水次郎長」(岩波新書)

2010-01-27 | 読書
新刊屋さんでは買わない、といいながら、これは買わざるを得ないという本がある。
出たばかりのこの本、さっそく、入手。副題は「幕末維新と博徒の世界」。庶民から見た幕末維新史だ。「虎尾の会」も出てきます。ちょっとだけ(笑)。

ぺらぺらとめくってみただけだが(いつも、これで終わってる?)、「東海遊侠伝」を下敷きにしながら、清水次郎長の生涯を検証していく。赤報隊に入った黒駒勝蔵にも詳しい。
天誅組の松本奎堂が清水次郎長に隊への勧誘にきたという説なども紹介している。おもしろい。

博徒、侠客については、長谷川伸、子母沢寛の作品が有名で評価も高いけど、学者が研究することはまず、希だ。筆者はあとがきで、「稗史から一貫して正史を撃ちつづけた長谷川伸の仕事、とくに「相楽総三とその同志」は本書の原点である」と書いていた。やはりな、と思った。

次郎長や黒駒勝蔵など、やくざ者、無頼の者から幕末維新を見ていくのは興味深い。百姓一揆の頭領になった者たちとも重なる部分がありそうだ。

古本うしおに堂でも、「東海遊侠伝」、子母沢寛「駿河遊侠伝」、「相楽総三とその同志」や、この本の参考文献にあげていた「梅蔭寺清水次郎長伝」「博徒と自由民権」などご用意しています(笑)。

大阪のやくざ者から幕末維新史を見た名作としては、長谷川伸の「狼」(または「足尾九兵衛の懺悔」もはずせない。これは幕末の大阪で名を鳴らした橋尾九兵衛の生涯を追ったものです。


新車

2010-01-26 | 日記
年末に事故を起こし、車が大破(おおげさすぎた、笑 でも修理費用が高い、で)、新車を買う羽目になった。

同じく軽四だが、最近のは、すごいなあ。車のキーを鍵穴に入れる必要がない。
指で押すだけで、エンジンがかかるのだ(みんな知ってるよね、わたしは知らなんだ)。

ホラー映画でよくありますね。ゾンビや殺人鬼に追われ、なんとか車に乗りこむ。しかし、真っ暗だし、あせっているので、手がふるえ、なかなか車のキーが鍵穴に入らない。そうしているうちに、ゾンビが車の窓に、キャー。

もう、こういうことはない。ブレーキを踏んで、指で押すだけいいのだから。しかし、ポケットに鍵を入れておく必要はある。

この鍵はかんたんには合い鍵も作れないようで、どうも落としたりすると、めちゃめちゃ不便みたいだ。

車は、命を預けるものだ。「よろしくお願いします」と挨拶しておいた。

前の車は実にいろんなことがあった。新車で買った当日にさっそくぶつけてへこませる。ナビゲーションが狂う。バッテリーがいかれる。パンクする。突然、エンジン停止。最後は、ガードレールに衝突。でも、不思議と命は無事だった。運がよいのか悪いのか。「お世話になりました」といっておかなくては。





「龍馬伝」第4回

2010-01-24 | 映画・テレビ
NHK大河が始まる時間を楽しみに待つのは、何十年ぶりだろう。

今までは、ほとんど武将、将軍、大奥さま、とか支配なさる上のお偉いさまの視点を中心としたドラマだったけど、久方ぶりに、庶民から、下級武士からの、下からの目線のドラマが始まった感じだ。幕末ドラマは本来、こうでなくてはいけない。

今回は、千葉道場での剣術修行の回で、まあまあ、というところ。

龍馬が胸にぶらさげているお守り(ペンダントみたい)は何だろう。今までの時代劇で武士があんなのぶらさげているのを見たことがないけど、おそらく、ちゃんと考証しているはずだから、あんなの首にかけていた人もいたのだろうな。

弥太郎が売っていた鳥かご、。たしかに、あんな木で作った虫かご、幼いころに見たことがある。内職で作っていた人がいたのだろうな。

桂が出たのだから、高杉もきっと出るよな。江戸では清河八郎も出してくれい!(笑)


再び、昭和8年の「少年倶楽部」

2010-01-23 | 読書
昭和8年の「少年倶楽部」、ここにはネタがいっぱいだ。
雑誌こそ、その時代をよく写す、といわれ、大宅壮一文庫などにも雑誌は大量に保存しているそうだけど、ほんとに、そうだ。

もう少し、広告から。グリコの広告。「グリコの中には脳の養いなる薬が入っていますから、勉強が大変よくできます」と書いてある。「英語通信講座」の広告では、「小学5,6年の学力さえあればわずか15ヶ月で英語が読める話せる書ける」 嘘だ!(笑)

画像は新年号。口絵は乃木大将の水師営の会見。その裏は帝国の元帥たちの顔写真。
カラーページは、まず宮城の絵。「我等の上には、萬世一系の天皇がいらせられる。我等の国は、世界のどの国にもまして美しい。われらの祖先は、この君に忠義をつくし、この国を愛しつつ、三千年の歴史を輝かしてきた。この立派な国を、いよいよ良い国にしましょう。いよいよ強い国にしましょう。大日本帝国万歳!」の文字。
あと、軍艦旗の絵、富士と桜、靖国神社、二見ケ浦の絵が続く。

付録は、空中軍艦の大模型。空飛ぶ軍艦だ。きっと少年たちは大喜びしたはず。
二月号の付録は「爆弾三勇士の銅像模型」と予告にある。

この少年倶楽部には、平田晋作という名前の人がよく軍事記事を書いている。「われらの陸海軍」とか、軍部の宣伝をしている軍事評論家だ。こういう人は、戦後はどうなったのだろう、と思い、ちょっと調べてみたら、この人は兵庫の赤穂の出身で、もとは共産党系の人で、180度転向して軍部の提灯記事、少年に愛国心を奮い立たせる記事を書くようになったようだ。しかし、交通事故で30代の若さで亡くなったため、開戦も敗戦も知らないままだ。

敗戦を境にして、180度意見を変えた学者、教師、文人たちが多かった、という話はよく聞いている。しかし、敗戦前までどんなことを書いていたか、あまり公表されていないので、実態はわからない。当時の大人の雑誌も復刻してほしい。

常に時流に乗り、時の権力に迎合する人たち。なんとなく、今のテレビで見る政治コメンテーターのような人物を思い浮かべた。

「少年倶楽部」の復刻もいいけど、ぜひ、われらの雑誌、「少年」も復刻してほしいな。付録つきで。

サスケの最終巻

2010-01-23 | 一揆
白土三平の「サスケ」の最終巻。背中に手裏剣が突き刺さったまま終わったことだけは覚えていたが、他は忘れていたので、今日、確かめてみた(笑)。

やはり、最終巻は「一揆」だった。一揆への報復のため、サスケが育てていた弟、小猿は行方不明(おそらく殺された)で、「小猿・・・」とつぶやきながらさまようところで終わり。最終巻に、由比正雪が出てきて「仲間に入らないか」としきりに誘うのもおもしろい。
この「サスケ」をかくなかで、白土三平は、あらためて江戸時代を本格的に描こうとして、「カムイ伝」に取りかかったにちがいない。「カムイ伝」は「サスケ」の続きともいえる。

よろめきながら歩くサスケの後ろ姿をじっと見つめる柳生十兵衛。これが最後の場面だ。

このへんまでテレビのアニメは放送したのだろうか?アニメのサスケは声が変だったので、見てなかった。たぶん、やってないよね。

昭和8年の「少年倶楽部」

2010-01-22 | 読書
昭和8年の「少年倶楽部」が一月号から六月号まで手に入った。復刻愛蔵版というやつで、昭和50年に発行されている。

名前だけ聞いていたが、実物を見るのは初めて。350ページ以上、厚さも2cm越え、読み物も冒険小説、武侠小説、義士物語、戦記小説などもりだくさん。マンガは「のらくろ」だ。
1冊50銭。

昭和8年といえば、わたしの親父が小学一年生のころだ。満州事変で日本が国際連盟を脱退した年。親父も、小学校のころはきっとこの雑誌を読んだはずだ(一年生ではまだ早いけど)。

内容はまた別の機会に譲るとして、この雑誌の中の広告を見るのが楽しい。

目立つのは、そして毎号、のっているのは、小学校卒業後、中学校に進学できない子供のための中学講義録とか独学で学べる中学知識とかの宣伝だ。鳩山総理のおじいちゃんも推薦している広告もあった。

松本清張は小学校卒の学歴しかなかった、といわれるが、別に清張が特別だったわけではなく、当時は、それが普通だったのだろう。中学に進学し、なお大学まで進めるのは恵まれた環境にいた者に限られる。当時は、今では想像できない格差社会だ。しかし、小学校を卒業しても子供は学びたい。だから、「独学で」「働きながら学べる講義録」が人気だったのだろう。

「小学教員受験講義録」という広告もある。当時は小学校教員は小学校卒業だけでなれた。「鉄道員受験講義録」もある。それから「少年航空兵募集」の宣伝。官費で学校にいけ、靴も服も支給され、その後、給金もくれる。こんな幸せなことはない、諸君、今すぐ応募しよう、などと書いている。一銭もいらない、となれば軍人への進路を考えた小学生も多いはずだ。

広告や雑誌の記事で大人たちは、さかんに少年たちに「立身出世」を説いていることが印象に残る。
「偉くなる」とは、「出世すること」であり、偉くなった「陸軍大将」の美談などを紹介している。

昭和8年、この雑誌を読んだ多くの小学生たちは、十年後には南洋諸島、あるいは中国大陸、太平洋の海で命を奪われることになる。

日米同盟50周年

2010-01-21 | 新聞・テレビから
2010年、今年は日米同盟50周年とかで、政府も新聞もさかんに「日米同盟を深化させる」とか書いている。

50年前、1960年は日米同盟反対、安保闘争で、戦後最大の国民運動が起きた年だった。ところが、どこの新聞からも安保闘争50周年とかいう言葉は聞かれない。1960年、当時はまだ小学生で何もわからず、ただテレビのニュースのまねをして、「あんパン反対、ジャムパン賛成」なんていって遊んでいた。今一度、日米の安全保障問題を国民の側からの議論が必要なのだが、この時代は、安全保障問題は、政府と専門家にまかせておけ、という風潮だ。

1960年の50年前、1910年は、大逆事件が起きた年、明治の終わりだ。石川啄木が「時代閉塞の現状」を書いた年だ。

その50年前は、1860年、万延元年だ。桜田門の変がおき、清河八郎が、虎尾の会を結成した年だ。

アバターを観た

2010-01-19 | 映画・テレビ
子供たちはふたりとも先に観ていた。「おもしろかった」「観た方がいいぜ」というので、観ることにした。映画館にいくのは何年ぶりだろう。立体映画というのが魅力だった。

むかーしも、赤青のメガネをかける立体映画はあった。だいたいB、C級のホラー映画(しかも白黒)でやっていたが、たいしたことないので、そんなに流行らなかった。

入り口でメガネをもらう。赤青の紙のメガネではなくて、金属でできたメガネ。
字幕までがそばに浮かんで見えるので、字幕は読みにくい。
しかし、3時間、楽しめる。映像が素晴らしい。見たこともない生き物、見たこともない風景、未知の異次元の世界が体験できる。映画の宣伝文句は「観るのではない。そこにいるのだ」のようだが、たしかに一瞬、そんな気にさせられる。でも、少々、疲れる。

映画の撮影技術はすごいなあ、と思う。これからの映画はこうなるのかもしれない。


龍馬ブーム

2010-01-18 | 読書
本屋にいくと、龍馬関係の本がずらりと並んでいる。
大河ドラマの影響だ。
岩崎弥太郎関係はそんなに多くはない。それでいい(笑)。

弥太郎については、わたしはよく知らない。
しかし、その後の三菱財閥の悪印象があって、どうも知りたい、という気持ちが起きない。
岩崎弥太郎は富豪になり、日本資本主義の形成のためには功績があったのかもしれないが、かれに、龍馬のような、人々のことを考える、という発想があったのだろうか。

本屋さんでは、やはり司馬の「竜馬がゆく」が圧倒的な人気だ。
古本うしおに堂でも司馬遼太郎全集の「竜馬がゆく」が2セット売れた。
全集本の函に入った3冊はやはり持っておきたいものだ。わたしも、実は、わたし用の「竜馬がゆく」3冊セットを持っている。これは売りません。

歴史家寺尾五郎は、無数にある竜馬関係の解説書について、たしか百害あって一利なし、参考にすべきは、坂本龍馬全集と平尾道雄の「龍馬のすべて」、この2冊以外に推薦すべきものは全くない、といっていた。よく言うなあ。うちも、龍馬関係の本、新着商品として、近く出品しますよ。

今年は、龍馬の新説が現れるだろうか。

龍馬伝 第3回

2010-01-17 | 映画・テレビ
今回の龍馬伝は今いちだったなあ。
やはり演出者がかわるとこうなるのかな。
弥太郎を中心にした場面だったからかな。

もっとも、弥太郎を演じている役者には文句はない。歯をきたなくしているメークもいい。
ただ、岩崎弥太郎が好きじゃないのだ。今回の龍馬紀行は「弥太郎の生家」だったが、高知にいったときも、ここは訪ねなかったぞ。

はじめのタイトル、出演者の名前が出るところの画面は斬新でいいよね。

次回を期待する。

細井平洲の本

2010-01-16 | 読書
古本うしおに堂に江戸時代の儒学者 細井平洲の本(小語)を登録していたけど、削除した。

本の造り、内容からいっても2000円の価値はあると思って(他の古本屋さんではそれくらいの値がついていた)値をつけたのだが、これは、もっと安い値段で新品を買える。お客さんには新品を買ってもらった方がいい。その方が安い。

わたしは10年ほど前に買ったのだが、今はもう値上がりしているだろうと思ったのだけど、調べると、まだ値上げしていない。1100円で売っていた。1000円以下で売るなら、売らずに持っておいたほうがいいと思った。

細井平洲の生まれた東海市の東海市教育委員会が発行している。ここの教育委員会はいい仕事している。日の丸をあげさせたり、学力テストをやらせるのが教育委員会の仕事ではない。

もう何冊か出ていて、小野重という人が細井平洲の漢文を読み下し文にし、通釈を書き、注もつけ、読み下しの漢字にはすべてルビをつけるなど、初学者にも親切な本になっている。本屋では売ってないので、知らない人もいるかと思って紹介した。

細井平洲は農家の生まれだ。上杉鷹山の先生として有名だが、高山彦九郎の先生でもある。
なにせ、江戸両国橋で道行く人に学問の道を説いた、という人だ。庶民から離れた書斎人ではなく、学問を実際の人生に生かそうとした人だ。

道行く人に、雑踏の中で、人に呼びかけて学問の話をするなんて、並の学者にできることではない(選挙に出る人は別やけど)。

「日本の名著」などには、名前が出ないけど、こちらの先生のが偉いと思っている。
吉田松陰や西郷隆盛も、愛読したそうだ。

細井平洲の著作としては、「嚶鳴館遺草」というのが一番有名だが、これは東海市教育委員会がネットのホームページに公開している。なかなか親切ではないか。

なお、古本うしおに堂には、現代語訳した「嚶鳴館遺草」という本は出品しています。

訂正。

出品していませんでした。自分で検索してみると、「ありません」と出た。
たぶん、漢字を出すのが難しくて、やめたのかもしれない。今度、出品してみます。

青春の古本屋

2010-01-12 | 日記
古本屋をしていながら、ときにたまらなく古本屋巡りをしたくなることがある。

大阪の一番の不満は古本屋街がないことだ。
いや、阪急古書の街などはある。でも、ここは若者相手ではない。高価な本ばかり並んでいる感じ。京都にはあるのかもしれないが、知らない。

東京にいた時分は、古本屋をよく歩いた。もっぱら、高田馬場の古本屋街だ。駅を降りて、学校までの道筋の両側に20軒以上並んでいる。1軒1軒のぞいて歩く。これが楽しい。おじちゃんやおばちゃんおねえちゃんが座っていたけど、今どうしているのだろう。わたしも古本屋になりました、よろしく、と言ってみたいな。

学校に近づいたあたりに、当時から有名な文献堂もあった。狭い小さな古本屋だが、ここには革マル、中核、共産党など各種の機関紙なども置いてあった。ドイッチャーのトロツキー伝を知ったのも、この古本屋だった。ここのおやじさんは、さるものではある、といううわさは聞いていたが、おとなしくて、いつも黙って座っていた。

古本屋を歩くと、新刊屋さんの世界とはまったく違う世界があることがわかり、この世界にひたっていると、時代感覚がずれてくるような気がした。ネットではなく、店舗の古本屋さんもぜったいに必要だ。

古本屋がなくなると、もうそこは学校の門、そこで回れ右をしてまた家路についたものだ。教室でつまらぬ講義なんか聞いて時間をつぶせるかってんだい。おかげで卒業まで6年半かかった。まあ、登校拒否のハシリだ(笑)。

10年後くらいに再び、このへんを歩いたことがあるが、ビニール袋に包まれたマンガ本が目立っていたのでびっくり。

文献堂のおやじさんは、何年か前、バイク事故でなくなった、という話を耳にした。もう文献堂はないのかもしれない。

この通りの古本屋はいつまで続くのだろう。東京へいったら、また、寄るつもりだ。なんだか、ガロの「学生街の喫茶店」の歌が流れてきそうだぞ(笑)。