安部首相の所信表明演説。その教育についての内容。
「教育の目的は志ある国民を育て、品格ある国家、社会をつくることです。吉田松陰は、わずか3年ほどの間に、若い長州藩士に志を持たせる教育を行い、有為な人材を多数輩出しました。小さな松下村塾が「明治維新の胎動の地」となったのです。家族、地域、国、そして命を大切にする、豊かな人間性と創造性を備えた規律ある人間の育成に向け、教育再生に直ちに取り組みます。まず、教育基本法案の早期成立を期します」
途中の「吉田松陰」は、突然で、なんとも内容に何の関連性もない。安部氏が長州出身というだけで、出してきただけだろう。まったく、品格がない。
だいいち、吉田松陰のような危険で過激な思想家は、安部さんはじめ政府がもっとも唾棄すべき教育者のはずだ。
松下村塾の門下生が影響を受けたのは、なによりも松陰の革命家としての生き方であり、人間だ。松陰に学力をつけてもらったわけではない。
自分の立場をわきまえずに青少年に過激な政治的発言をする松陰のような教育者の存在をゆるさない、というのが今度の教育改革の目的ではないか。
安部氏は、規律や規範をよくいうが、松下村塾におは、規律や規範など何もなかったのではないか。武士であろうと農民であろうと、来るものは拒まず、師として指導するよりも、ともに学ぼうとする仲間意識があった、と聞く。松陰は、先生としては、威厳のあるタイプではなくて、ドジだが、愛すべきアブナイ教師ではなかったか。その赤裸々な人間性にこそみんな感動したのだ。
「草莽クッキ、あに他人の力をからんや。おそれながら天朝も幕府・わが藩もいらぬ、ただ六尺の微躯が入用」と、武士(政治家)ではなく、全国の草莽(市民)によびかけた松陰。テロリスト容疑として処刑された松陰。
今なら政府もあてにならぬ、政党もあてにならぬ、志ある市民の決起こそが入用、というだろう。
安部氏のいう「志」とはなんだろう。せいぜい、自分だけの「成功」だけではないのか。「志」という言葉のいかに落ちたものよ。
「虎尾の会」の清河八郎も、松陰の「志」を持つ草莽の志士だった。
「教育の目的は志ある国民を育て、品格ある国家、社会をつくることです。吉田松陰は、わずか3年ほどの間に、若い長州藩士に志を持たせる教育を行い、有為な人材を多数輩出しました。小さな松下村塾が「明治維新の胎動の地」となったのです。家族、地域、国、そして命を大切にする、豊かな人間性と創造性を備えた規律ある人間の育成に向け、教育再生に直ちに取り組みます。まず、教育基本法案の早期成立を期します」
途中の「吉田松陰」は、突然で、なんとも内容に何の関連性もない。安部氏が長州出身というだけで、出してきただけだろう。まったく、品格がない。
だいいち、吉田松陰のような危険で過激な思想家は、安部さんはじめ政府がもっとも唾棄すべき教育者のはずだ。
松下村塾の門下生が影響を受けたのは、なによりも松陰の革命家としての生き方であり、人間だ。松陰に学力をつけてもらったわけではない。
自分の立場をわきまえずに青少年に過激な政治的発言をする松陰のような教育者の存在をゆるさない、というのが今度の教育改革の目的ではないか。
安部氏は、規律や規範をよくいうが、松下村塾におは、規律や規範など何もなかったのではないか。武士であろうと農民であろうと、来るものは拒まず、師として指導するよりも、ともに学ぼうとする仲間意識があった、と聞く。松陰は、先生としては、威厳のあるタイプではなくて、ドジだが、愛すべきアブナイ教師ではなかったか。その赤裸々な人間性にこそみんな感動したのだ。
「草莽クッキ、あに他人の力をからんや。おそれながら天朝も幕府・わが藩もいらぬ、ただ六尺の微躯が入用」と、武士(政治家)ではなく、全国の草莽(市民)によびかけた松陰。テロリスト容疑として処刑された松陰。
今なら政府もあてにならぬ、政党もあてにならぬ、志ある市民の決起こそが入用、というだろう。
安部氏のいう「志」とはなんだろう。せいぜい、自分だけの「成功」だけではないのか。「志」という言葉のいかに落ちたものよ。
「虎尾の会」の清河八郎も、松陰の「志」を持つ草莽の志士だった。