虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

薮中前外務次官問題を今日報じた朝日

2011-09-28 | 新聞・テレビから
いつも、朝日の悪口ばかり書いているようだけど、朝日一紙しか購読していないので、しかたない。だいたい、政府・政治家や大企業・大新聞社は公的存在なのだから、庶民の悪口(批判)は当然、甘受すべきだと思う。小さな個人を対象にした悪口や誹謗中傷はしてはいけないと思っているが、テレビなどに出てくる芸能人・有名人は別だ。
会社でもそうで、同僚の悪口はいうべきではないが(言うなら面と向かって言うべきだ)、上司や社長の悪口(批判)は言うべきだ(言ってもいい)と思っている。

さて、昨日、各新聞(朝日のぞく)に出たウイキリークスの薮中問題、朝日は、今日、記事にしていた。ごていねいに、社説にも書いている。見出しは「大統領と広島 なぜ原爆と向き合わぬ」。

朝日は、今回の問題は「歴史のトゲ」だという。どういうトゲか。日米の原爆観の対立がそれだという。どういう対立か。日本は原爆を許されぬ無差別攻撃と見、米国は戦争終結を早めるための必要策だった、という対立。こんな対立観なんか聞いたことがない。米国の国家指導者と被曝した住民の歴史観をだれも対峙させてはいないはずだ。

そんな問題意識で、国民は、オバマさんを広島に呼ぼうとしたのではない。あの戦争の原爆だけではなく、核という問題で、未来の問題として招こうとしたのだろう。

社説子は、オバマさんが広島を訪問すると、「どちらも、政権や外務省には波乱要因に映っていた可能性がある」と、まるで、薮中氏の弁護にも聞こえることを書く。波乱要因とは、ひとつ、広島訪問をすすめても米国内の保守派の反発が大きい。もうひとつは、「もし、実現すれば、日本はアジアに対する戦争責任を果たしたのか否かが、国内外で問い直される」というものだ。オバマ氏を広島に招けば、日本のアジアに対する戦争責任の問題が浮上する、この飛躍、妄想には驚かされるではないか。ここまで言うかあ。

結論は、こうだ。
「今回、たまたま(たまたまとは恐れ入った)、政権交代期の外務官僚の発言が問題になったことで改めて確信する。「歴史のトゲ」は政治全体で抜いていくしかないのだ、と。

要するに、薮中問題はなんでもないのだ、日米両国の歴史観の問題で、政治全体(な・なんだ、これは?)で解決していくしかない、しばらく放置しておくしかない、といっている。

ジャーナリストなら、歴史観とか歴史のトゲとか言う前に、薮中前外務次官の言動をあくまでも問題視し、追求すべきだろう(「死の町」発言した大臣をあんなに問題視したのに)。

薮中氏を守らなければならない朝日なのだ。


薮中前外務次官

2011-09-27 | 新聞・テレビから
みのもんたの朝ズバで、オバマ大統領が広島訪問を検討していた時、当時の外務省トップ外務次官の薮中氏は、広島訪問は時期尚早、まだ訪問しなくてもよい、と伝えた、とウイキリークスの公電でわかった、と報道していた。

日本国民があんなに希望していた大統領の広島訪問を外務省幹部は来ないほうがいい、とは、どういうことだ?きっと反核の世論が高まるので、日米両国(政府)のためにはならない、と知恵者ぶった助言をしたのだろう。

以前にも、ウイキリークスで、外務省幹部が、米国に「普天間問題では、民主党政権に妥協しなくてもよい、譲歩しなくてもよい」と伝えたことが明らかになたが、これも薮中かも?

今回、野田総理がオバマさんと会談したとき、オバマさんから「普天間、結論を急ぐように」きつく求められた、と報道されたが、このへんも外務省幹部が、助言後押しがあったのかもしれないぞ。

きみたちは、アメリカの代理人か、と国民から思われてもしかなあるまい。恥ずべきだ。

ところで、今日のオバマさんの広島訪問についてのウイキリークスの公電の記事は朝日にはなかった。読売、産経、毎日、東京新聞には出ているのに。

朝日は、ウイキリークス公電情報を独占しているはずだから、この件もとっくに知っていたはずだ。知っていたけど、この件は隠した。他紙がこの件を報道したけど、あとに続いて報道することはさすがかっこ悪くてできなかったのだろう。

今日の朝日の社説は「小沢氏の責任は明白だ」。1面、2面、3面、社会面など5ページを小沢記事に使っている。そして、いつもなら、裁判の結果については、疑問などをあげるのに、今回の判決は文句なく支持している。

決定的歴史の当事者

2011-09-25 | 新聞・テレビから
おおげさな見出しをつけてしまった(笑)。

今年2011年からは、大震災・原発事故を受けて、人々と、大企業・政治家・メディアなどこの国の支配者との対決が始まった年だと感じる。ここまで、政治家や大企業(電力会社など)の驚くべき実態が明らかになったにもかかわらず、国民は、まだ知らんふりをして、やっぱりお上のいいなりになるか、それとも、そうではないのか。日本の歴史がどっちへ動くか決定的な時代が始まった。今の人々は、後世から見れば、みんな歴史の当事者だもの。

今日の朝刊、19日の「さようなら原発集会」の写真を今頃のせている。そして、今になって、また集会の様子を伝えている。大江健三郎氏の言葉も、前回とちがって、「経団連の実力者たちに」という言葉も入れて書いてある。前回はたった10行だったが、今回は20行。集会を取材した記者は今頃、記事を書かせてもらったのか?見出しは、「原発のあり方 私たちで決めたい  うねる直接民主主義」。記事はかなり記者の感想もまじえたものだ。

この「さようなら原発集会」の記事といっしょに、記者は続けて、8月におこなわれた「みんなで決めよう「原発国民投票」のシンボジュウムについても書いている。反原発集会と原発国民投票とをいっしょにするのはどうかと思うのだが、この記者は、「直接民主主義」という言葉を強調した記事にしたかったのかもしれない。意図が不明な記事だ。
「うねる直接民主主義」?デモでいいではないか。記者の名は高橋純子。覚えておこう(笑)


地方面「大阪版」に、24日に大阪でおこなわれた橋本知事の「教育基本条例」「職員基本条例」廃案を求める全国集会の記事がある。760人集まったとか。

新聞はのせないかもと思ったが(東京版には出てないのでは)、けっこう長い記事を書いていた(記者は阿久沢悦子)。写真入りで、あの6万人集まった「さようなら原発」の記事よりもくわしく伝えている。悦っちゃん、よく書いた(笑)。
「君が代を歌わないヤツはクビにする」という条例だ。大阪府民は、この条例をだまって通すのだろうか。この条例が通れば、歴史の歯車はまた大きく動くことになる。会場周辺には街宣車が集まっていたそうだ。集会の様子・内容は、レイバーネットで見ることができる。高橋哲也が講演している。少なくとも、大阪府民は関心をもたなくてはいけないと思う。わたしたちは、歴史の当事者になるのだから。

映画の話 いろいろ

2011-09-25 | 映画・テレビ
往年の日活青春スター山内 賢さんが亡くなった(がん)とのニュース。まだお若い67歳。ご冥福をお祈りします。

山内賢は、よく和泉雅子と共演し、「二人の銀座」は大ヒットした。和泉雅子といっしょに出るなんて、くやしい!と生意気高校生は思っていた(和泉雅子ファンだったので)。今東光原作の映画「悪太郎」も見た。山内は戦前の不良中学生を演じていたが、これも和泉雅子共演、いい映画だった。山内賢の代表作かもしれない。

このころの日活映画は、札幌の「日活館」というところでよく見た。封切り映画館ではなく、古いのを3本立てくらいで上映していた。日活スターや日活映画はすきじゃないのだが(時代劇がないし)、安いのでよく通った。「花と龍」「男の紋章」なんか印象に残っている。「日活館」なんて、とっくの昔になくなっているのだろうな。

最近、昔のテレビや映画の俳優の死亡記事が続いている。わたしたちが昔、親しんだ俳優たちが亡くなる、そういう時期になったのだろうか。杉浦直樹さんも亡くなった。「岸辺のアルバム」が代表作になっているが、山口 瞳の「江分利満氏の優雅な生活」がテレビドラマになった時も主役のサラリーマンを演じていた。山口瞳、江分利満氏はわたしの父親と同じ世代で、その平凡で猛烈で哀しいサラリーマン生活像は父親の姿と重なって見えた。山口 瞳ももう忘れられた作家になりつつある。

話は変わるが、先日、時代劇「一命」が新聞の広告に出ていた。
大昔、小林正樹監督の「切腹」のリメーク版だ。監督は、なんと、あのリメーク版の「十三人の刺客」を作った人。主役は海老蔵。ぜったい、見ない(笑)。ビデオが出ても借りない。認めない。

映画「切腹」は暗い題材だけど、時代劇映画としては秀作だった。仲代達矢、いろいろな映画に出ているけど、たぶん、この一作を越える作品はないだろう。風吹く草原での丹波哲郎との決闘場面がよかったな。見たのは中学生の時だったけど、いい映画は子供でもわかる。

今度の「一命」は立体映画だという。それがどうした。総天然色であろうと(古い言い方)、立体映画だろうと、白黒映画の「切腹」には遠く及ばないのは明らかだ。
また、悪口になってしまった。ご無礼つかまつった!



大学教授 原子力賠償紛争審

2011-09-23 | 新聞・テレビから
今日の朝刊のトップニュースは当然、野田総理の国連での「原子力安全」に関する演説だと思ったが、そうではなかった。「原発再開」を宣言した演説は、さすが1面トップには持ってこれなかったのだろう。「首相、原発収束、年内に」という見出しで、1面の下段にのせていた。財界やメディアからは歓迎される演説だけど、国民からは不信を抱かれる演説なので、こんな処置にしたのだろう。姑息。社説では、なんと書くのだろう。まあ、それはおいておいて・・。

1面には、原子力賠償紛争審査会の2委員が、電力会社の団体から報酬をもらっている、という記事があった。これには、あきれてものがいえなくなった。

「日本エネルギー法研究所」という団体は、電力会社が運営費を出し、「学者を味方につけるために」作った団体のようだ。そこの理事、所長をしている野村豊弘(学習院大学教授)と研究部長をしていた大塚直(早大教授)が紛争審査会の委員になっていた、という。今はこの団体を辞めているが、審査会委員になるまで、この団体の役職者だった高橋滋(一橋大学教授)を入れると、この電力会社が作った団体に関係する人物が、審査委員9人のうち3人もいたことになる。審査委員の三分の一が電力会社に世話になっているわけだ(他の人物はどうなんだ?という疑いも出てくる)。

記事によると、大塚 直の場合は、週に1回ほど、研究所に行っていたが、報酬は固定給で20万円とある。大塚氏の場合は、審査会委員になって、周囲の助言で6月頃、団体を辞めたそうだが、本来なら、電力会社と深いつながりのあった人なら、審査委員を引き受けるべきではないだろう。断るべきだ。それとも、そういう人物(電力関係者)だからこそ、審査委員に選ばれたのか?

委員を選んだ文科省は「疑義が生ずれば、そのときに対応を考えたい」として、今すぐ対応することは考えていないようだ。おそらく、だれも文句をいうまい、文句をいってきたら考えよう、と国民をなめているごとし。これからどうなるか注目したい。

松本清張の小説では、大学や大学教授の腐敗、文科省との癒着などがよく描かれるが、大学教授は、「地位と金」に一番執着している人物かもしれない(もちろん、例外もいるだろうけど)。

そんな(欲と金の巣)大学に入学するために、多くの子供達が、受験勉強に心身をすり減らされているわが日本。あーあ。

追加

あとで、損害賠償審査会委員の名簿を見てみたら、あの悪名高い「山下俊一」の名前も出ていた。また、元原子力安全委員長でにいた田中俊一もいた。

いったい、原子力損害賠償審査委員会とはなんだ?こんなところに、住民は被害の調停、審査をたのむのか?





社説「脱原発集会」

2011-09-21 | 新聞・テレビから
朝日の今日の社説「脱原発集会 民主主義が動き出す」。

19日の新聞(大阪版)では、1面に持ってくることはおろか、写真ものせず、わずか10行程度の記事で、解説も関連記事もいっさいのせず、脱原発集会の報道は明らかに抑制したとしか思えない朝日が、社説に「脱原発集会」について書く。

しかし、内容は、あの「脱原発集会」で人々が訴えたことを真摯に受け止めて語るのではなく、「民主主義」はこうした動きなんだ、と高所からのご卓説だ。

「民主主義とは、ふつうの人々が政治の主人公であるということだ」などと、えらそうに解説し、米国の公民権運動、ベルリンの壁、ベトナム反戦などの例を出し、民主主義一般の話にすりかえる。短い社説の中で「民主主義」という言葉は7回も出てきた(「脱原発」は2回のみ)。

あの「脱原発集会」が意味あると思うなら、今からでもおそくない。主催者達が集会に集まった人々に語りかけた文章をすべて紹介してほしい。デモに参加できなかった人々のために主催者や参加者の声を紙面に伝えてほしい。

社説の結びは、こうだ。
「この絆を太くし、現実の変革につなげるには、もっともっとたくさんの手が要る。」
(もっともっと参加者がほしい、デモの輪を広げ、メディアももっと協力応援すべきだ、というのかと思ったら、ちがう、次の文が結論)

「新聞や放送などのメディアが変化に注目し、政党や政治家も問題意識を共有することが欠かせない」

あの脱原発集会やデモだけではだめ。やはり、新聞や放送のメディアがかれらの動きを誘導統制し、政党や政治家の手に解決をまかさなければいけない、という風にも読めるぞ。

メデイアも政治家も、自分たちの統制外のデモや集会、人々の自主的な民主主義運動には大いに警戒してるのとちゃうのかい?

「さようなら原発集会」の報道

2011-09-20 | 新聞・テレビから
昨日、19日、東京・明治公園で開かれた「さようなら原発集会」には約6万人の人々が集まったそうだ。脱原発デモとしては最大の規模だ。わたしは、これをネット(レイバーネット)の記事で知った。夕刊は休みだから、テレビのニュースを注目した。

午後7時のNHKニュース。まったくなし。無視。
午後9時のNHK「ニュースウォッチ}。冒頭10分近く台湾まで泳いだ若者の報道を流す。原発デモは、原発相が「年内冷温停止」といっしょに報道されたが、集会の方は30秒程度、原発「年内冷温停止」の方は5分以上時間をかけていた。NHKも原発デモは少しも重きを置いていない。

さて、朝刊(朝日)はどうだったか。
1面、なにもなし。社会面の下のほうに、たった10行の記事。写真もなし。忙しく紙面を繰る人は見逃しやすい。大江健三郎、内橋克人、落合恵子の名はあるが、澤地久枝も鎌田慧も山本太郎君の名もなし。大江の言葉として「私らは原発に抵抗する意志を持っているということを政党の幹部に知らせる必要がある」と書いていたが、これは、正確なのだろうか。テレビでは、「経団連の幹部」という言葉も聞こえていたのだが。第一、政党の幹部に知らせたって、意味ないだろう。政府であり、国会議員であり、東電であり、原発を推進する立場の者へだろう。

ついでだが、今朝の一面にくだらない記事が出ていた。
朝日の「ニッポン前へ委員会」の提言がまとまった、と。それによると、国会から独立した組織を作って、そこで選挙権を国政選挙では18歳に、地方選挙では16歳に年齢を引き下げることを検討するんだ、と。大震災の復興のために作ったのが朝日の「ニッポン前へ委員会」だそうだが、それが、こんなことを言い出す。

契約が終わったら(なにせ更新時にビールを販売店からもらってるので、今すぐ止めるわけにはいかない)、朝日をやめよう。


国民をなめている

2011-09-14 | 新聞・テレビから
朝刊のトップ。東電、「値上げは3年間」の記事。
来年度から、東電は15%の電気料金の値上げを検討しているが、その期間は3年間としていることがわかったそうだ。つまり、3年たてば、原発再稼働が可能で、事故前と同じ体制でいける、と予測しているのだ。東電には、前代未聞の原発事故の深刻な反省もなく、脱原発の国民の声もまったく聞こえないようだ。

だいたい、東電は、事故がおきてから社長こそ交代したが、その事業体制の改革も反省も何もないのではなかろうか。会社として何かが変わったのだろうか。ほんらいなら、国民の代表である政府が東電に乗り込んで東電の存続までを含めた改革をするべきなのだが、とてもとても政府にそんな力はない。大臣の首を変える力があるのは東電の方なのだから。

東電が変わるとしたら、国民の多数の抗議の声、あるいは大デモだけかもしれない。東電はそれをなによりも恐れているはずだが、しかし、今の国民にはそんな力はない、となめているのだろう。

「法人税 臨時増税4%強」の記事もとなりに。
政府は復興にあてる臨時増税について、法人税も4%強増税する方針をたてたそうだが、まず、法人税率を5%下げてから、3年間に限って4%増税するとのこと。法人税率5%下げてから、増税4%なら、大企業は少しも損をしないではないか。法人は増税になっていない。このどさくさで、念願の法人税率を下げることができたら、得策だ、と思っているのだろう。どんなに国民が疲弊しようと、大企業は自分の利益だけは手放さない。法人税を下げないような政府は、これまた東電さまどうよう、首を変えてやると思っているにちがいない。

この国難の中、大震災や原発事故の被災者に大企業が、法人としても、個人としても義援金を大盤振る舞いしたところがあるだろうか?経団連としても大企業から義援金を集める運動でもしてくれれば、少しは見直すのだが・・。


3・11から半年

2011-09-13 | 新聞・テレビから
秋の虫の鳴き声が聞こえます。
セミはもういなくなりましたね。

9月11日(日)は日曜日、夕刊は休み。翌9月12日(月)は新聞休刊日。
9月11日には原発事故から半年ということで、各地で脱原発のデモや集会があったそうだが、新聞は一切報道せず。

むのたけじは、今年、テレビのインタビュー番組で、朝日新聞について、あれは、新聞ではないですね、広報紙、チラシではないでしょうか、と話していたが、ほんとに、なんと名付けたらよいのか。財界紙、日米同盟紙か?

文藝評論家の柄谷行人も東京の脱原発デモに参加していた。難しいことばかり書く人だから、しゃべるのは苦手と、原稿を読んで演説していた。柄ではないのに、デモに出ざるをえない気持ちなのだろう。「デモができる社会にしたい」と語っていた。

デモといえば、100年以上前の江戸時代は御法度だった。それにもかかわらず、毎年、どこかでは、デモが行われていた。

いろんな問題があるにもかかわらず、この国では、ほとんど有識者、審議会頼み。学識があって、上品な紳士たちだから、なんとか考えてくれるだろう、と思っているのか。

このつまらない新聞も、上品な有識者である紳士たちが書いているのだがなあ。

何してんの?

2011-09-08 | 新聞・テレビから
野田政権になって、財界もアメリカもメデイアも一安心したような感じだ。
大震災・原発大事故があったけど、それがまるでなかった頃の体制に早くも戻った。
もうまたぞろTPPなんかいいだしてる。
大連立なんかしなくても、もう自民も民主も変わらない政権になったのではないか。

最近は、テレビの政治討論会でも、自民と民主の政治家だけの出演で他の弱小政党は存在しないが如しだ。

今日の夕刊に、前原政調会長が、アメリカで講演。PKO5原則見直し、武器輸出三原則の見直しの話をしたそうだ。アメリカには歓迎されるよな。これは憲法に関わる問題だ。

まだ国会も開かれず、国民の前で政権演説をする前に、アメリカで憲法に関わる講演をする政治家。
アメリカを相手にはするが、国民は相手にせず、か。

今の政権、前原政調会長には、憲法改正について少しでも動いてほしい、という期待が、財界やアメリカから寄せられているのではないか?そんなことしている時か。この政権は、原発収束と震災復興だけに全力を出せばよい。


 田原坂と心霊

2011-09-04 | 日記
もう9月だ。日も短くなってきた。
夏の思い出を語る間もなく、秋になりそう。
年取ると、ほんとに時が流れるのは早い。

夏の熊本旅行、最後に田原坂に寄った。
田原坂のあと、車のナビが狂ってしまったことは以前、書いたけど、こういうこと(お墓を訪ねたあと車のナビが狂う)はよくあるのだ。

帰って田原坂を調べると、熊本では有数の「心霊スポット」とあった。やっぱり(笑)。

といって、心霊を信じているのではない。
子供の頃から、臆病で、そのくせ、不思議なことが大好きなのだが、幽霊とかは信じていない。

江戸時代の大坂の学者、山片蟠桃だったか、幽霊が着物を着て出ることについて、なんで着物を着てるのだ?着物にも霊があるのか?と、その不合理を指摘していたが、そんな科学的な根拠からではなくて、先の「戦争」への思いからだ。

あの田原坂でも多くの人々が戦死したが、なによりも、恨みを残して死んだのは、太平洋戦争だろう。もし、霊があるものなら、霊力というものがあるなら、戦死した人々は、その思いを表出すべきだろう。300万を越える人々の霊力が結集したら、それはすごいエネルギーになるはずだ。なぜ、訴えないのだ?幽霊があるなら、幽霊諸君、戦争の反省と総括をやってほしい。

霊があるかどうかは知らないが、ただ、現実生活、現実の人間に及ぼす力は残念ながらゼロだ。少なくとも、ナビを狂わせたり、人をこわがらせるような霊話など、とるにたらない。
(ついでだが、ナビが狂ったのは、ナビの調子が悪かったからで、田原坂(お墓)と勝手に関連づけたのは自分)。

亡くなった人にたよってはいけない。過去の死んだ人の思いを受け取って、現実の自分が、現実と対応しなくてはいけないのだな。うーん、いいこと言う(自画自賛)。失礼しました-(笑)


今日の「ひと」欄

2011-09-01 | 日記
朝刊(朝日)のひと欄に、「朝日がん大賞」を受けた山下俊一氏の記事。

山下俊一といえば、広瀬 隆らが刑事告発している御用学者であり、たしか福島県民も山下俊一の福島県のアドバイザーを解任させよ、という書名活動もしているのではなかったか。「大丈夫です」と放射能被害を軽く言ってきた学者ではなかったか。原子力村の有力な学者の一人なのだろう。その学者に「朝日がん大賞」を与え、ひと欄で紹介する。

朝日は、脱原発や反原発の人々とは共に歩まないと宣言したのかもしれぬ。