虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

能勢氏の菩提寺 清普寺

2005-09-30 | 日記
日記のカテゴリーだけど,別に今日いったわけではない。画像をアップするのがおもしろくなって、先日とった写真をアップしたかっただけです。

能勢陣屋跡の近く、田んぼの中の森に能勢氏の菩提寺、清普寺がある。
この境内の能勢氏累代の墓所がすごい。墓所は2箇所にあり、五輪塔がずらりと立ち並ぶ。能勢頼次の墓や、大奥に入った頼次の娘の墓もたしかあった。メモなんかしてないので、忘れた。しーんとした墓所に相手十何人が立ち並んでいるような大きな墓。こちらはたった一人。圧倒されます。
累代の墓というのでは、柳生家の墓を見たことがあるけど、あんなものじゃない。墓石がもっと大きい。

このずらりと立ち並ぶ墓所の画像をアップしようと、さっきからもう10回以上も試みているのだけど、出てこない。
他の画像はすぐに出てくるのに、どうしてだろう?やっぱり、お墓なんかむやみにカメラにとったりするものではないのかなあ。変だなあ(単に操作のしかたをまちがえているだけなんでしょうが、迷信深くなると、こうなる)。

だいたい、お墓にいっても、神社にいっても手を合わせたり、頭を下げたりしない野蛮人(ときに、がまんしきれなくて、神社のうらで立小便をしたこともある)。
そのくせ、おくびょうで、夜なんかぜったいお墓や神社を一人ではよう歩けないヤツ(わたし)。

お墓にいくときは、ちゃんと頭下げて、礼儀を守らないと、たたられるぞ、と人からおどかされたこともある。ほんまかいな。そういえば、人のお墓をいったあと、妙に肩がこったり、ケガをしたりするぞ。実は、今日、指を骨折してしまった。まさか!墓地を騒がした罰が当たったのだろうか?(笑)

そんなことはないですよね。これも、疲れ。なんといっても一番こわいのは、過去の人ではなく、現に生きている社会での、生きた人間たちの間でのストレスだもの。気が弱くなっているんだ。

しかし、これから、お墓を訪問する時には、礼儀正しくすることにしよう。
能勢一族のみなさま、どうもおさわがせしました。



能勢氏の城跡

2005-09-29 | 日記
ここは、能勢氏の陣屋跡です。江戸時代にここに幕末まで旗本能勢氏の陣屋がありました。今、石垣だけが残っていて、学校がたっています。

もともと能勢氏は、多田源氏の流れで、中世からこの能勢の地に城を築いていたとされるのですが、戦国時代、明智光秀に加担、能勢城主能勢頼次は領地を追われ、諸国(主に備前の国)に潜行の身に。それが家康の知遇を得、関が原の戦いで軍功をあげ、再び、能勢の領地を安堵されるという波乱の人生。能勢頼次以後、江戸時代の能勢氏は、菩提寺に代々の墓もあり、履歴もわかっているのでしょうが、戦国期のころの頼次は謎が多い。何者だったのだ?という感じ。

考えると、戦国時代のスターである秀吉や光秀ですら、前半生の履歴は不明で、その他の脇役たちは謎だらけといっていいのかも。戦国時代というのは、荒唐無稽に思われるようなことでも、なんでもありそうな時代なんだという気がします。(家康替え玉説や、秀頼逃亡説、光秀天海説、必ずしも簡単に否定しきれない気持ち。だいたい、秀吉が天下をとったことじたい、やっぱり驚くべき歴史だ。

大阪では有名な能勢妙見山(東京にも別院があり、勝小吉も信仰していた)を開いたのもこの能勢頼次で、能勢妙見山に行くと、入り口に、能勢頼次の像と神馬の像が建っています(これは戦後、新しく作られたものだけど)。神馬の像には十字架(矢筈十字紋)にしか見えない紋があって、びっくりしました。能勢氏は、戦国時代、キリシタンだったともいわれます。

池田城跡公園

2005-09-29 | 日記
吉三郎さん、こんちは。コメントありがとう。

>だいぶ画素数多いですか?

410万画素数とかいてます。印刷機(コピー機)とセットで2万円台で、テレビショッピングで買ったのです。

>手前に写っているのは置き石でしょうか?

なんでしょう?礎石でしょうか。発掘調査をして、遺構がわかってきたそうですが。お城型の展望台から見た庭が、この写真です。日本庭園。

>私も旅先の街に城跡などがあるとつい登ってしまいます。

今まで、城には(戦国も)あまり興味がなかったのですが、カメラを持つと、被写体としての歴史にも関心がわきますね。
この池田城には、信長が荒木村重の伊丹城を攻めるとき、本陣にしたとか。

>城跡の敷地に学校とか庁舎、公共施設などを建ててる街もあります。

近くには、旗本能勢氏の陣屋跡がありますが、石垣が残っていて、跡地は学校になっています。運動場のはしに能勢城跡の碑が立っています。これ、今度、アップしよう(笑)。能勢氏も信長や、家康と関わりがあって、おもしろそうです。

>今度の街はどんなですか?

住んで1年になります。静かな里です。

(摂津)池田城

2005-09-27 | 日記
これは!と自分が熱中してるものばかりブログに書こうと思ったら、そんなにたびたびは書けない。別にどうってことないんだけど、というネタも書きます。最近、地元ネタばかりだけど。

これは昨年まで住んでいた池田市に5年ほど前にできた城跡公園の展望台。
池田に住んでるころには、近くなのに、行ったことなかった。遠くから見ると、お城が見えるけど、これは戦国時代の城を復元したものではない。お城風にした展望台。公園の中は庭園になっている。市民の憩いの場としてはいいところだけど、なんせ何十億もかかったそうで、税金の無駄使いだ、という評価もあるそうだ(私の母の言)。入場無料。ただし、犬の散歩はダメとか。

ここのお城には戦国時代、池田勝政という人が殿様だったけど、家臣の荒木村重にのっとられ、荒木が伊丹に城を築いたあとは、廃城になったらしい。

アメリカのロベスピエール?

2005-09-25 | 日記
最近、画像を送るばかりで、ネタきれ。
写真をアップすることがおもしろくなったのかもしれない。

本もあまり読んでない。これはおもしろい、と熱中してるものが、今、ない。
気まぐれで、思いつきのものばかり。
枯れてしまったのだろうか?(笑)

最近、あれ?と思ったのは、ロベスピエールについて。
ブックオフで、中央公論社の世界の歴史21「アメリカとフランスの革命」(五十嵐武士、福井憲彦、1998年版)を買ったのだけど、その中でロベスピエールの写真の解説で、「アメリカ滞在の経験を持つ」と書かれてある。
これは初耳だ。いつ、何の目的で、どこに滞在していたのだ?今までの本でロベスピエールがアメリカにいたなんてなかったと思う。これはニュースではないのか。もっと詳しく知りたいと思った。
あの苦学生のロベスピエールにアメリカに滞在する余裕があったのだろうか?
ご存知の方は教えてほしい。

画像は、近場を取材中(笑)にとったすすき。写ってる車は愛車(^^)。

田んぼ道に建つ石仏

2005-09-24 | 日記
昨年、豊能町、能勢町という北攝(大阪の北西端)に引っ越してきたのだけど、とても気に入っています。通勤に時間がかかり、ガソリン代も厳しいところがあるのですが、休日は、うれしい。車で15分も走ると、すばらしい里の風景。茅葺の民家がたくさん残り、日本の里百選に選ばれてもおかしくない。その上、謎めいた歴史も多い。能勢には安徳天皇が(壇ノ浦で死なずに)潜んでいたという伝説もあるし、豊能町は高山右近の故郷であり、キリシタン伝承もある。石仏も多く、探せば、忘れられたような遺跡も多い。

写真は、豊能町の余野の十三仏。余野は、高山右近の妻の故郷です(余野城主の娘)。ここには、ザビエルのキリスト教布教に最大の功績のある修道士ロレンソ(隻眼で、昔は平家語りだった人ではなかったか?)が滞在し、布教につとめています。

田んぼの農道を入ったところにあります。十三仏と書いてあるけど、仏は13体ではなく、20体くらいある(いいかげん)。多尊石仏というらしい。ちょうど、ロレンソが余野に来たころの時代のものです。キリシタンの歴史と関係があるのかどうかはわからない。

このあたりの風景は今が一番よいです。収穫前の青く実った稲。そこに赤い彼岸花とコスモスが咲き乱れる。


彼岸花

2005-09-23 | 日記
今日はお彼岸。墓参りにいった。
途中で見た野の花。彼岸花。この時期、必ず咲くのは不思議。
花の名前は、ほんとに、チューリップとかひまわりとかくらいしか知らず、何も知らない。もちろん、花だけでなく、魚の名前(食事のとき、いつも聞いてしまう。これ何?)も木の名前も知らない。デジカメを使えるようになったのを機会に、いろいろ写真をとって勉強しようかな。神社仏閣、名所旧跡もいいけど、野の花もいいぞ、なーんて、やっぱりガラに合わぬか(笑)。

東海道関宿

2005-09-19 | 日記
このところ、毎週、遠出している。
ガソリン代も馬鹿にならないので、高速はのらないようにしている。
関宿(三重県亀山市)まで、一般道で、約3時間(大阪の北端から)。

関宿は、東海道の宿場の中で、昔の面影が唯一残っているところ。前からいきたかった。江戸から数えて47番目の宿場町。東から鈴鹿峠に入る手前の宿場。

道の駅関宿に車を置いて見学にいける。
1.8キロにわたって町並みが続く。ぶらぶら歩きだと、はしからはしまで45分はかかる。以前に行った鯖街道熊川宿よりも長い。人もぽつりぽつりしか歩いていない。清河八郎も歩いた道だ(東海道だ、あたりまえだ)。清河八郎は関宿については「関は伊勢大神宮に追分にして、人家いたって多く、近辺随一の宿場なり」と書いています。関から伊勢への道も分かれていたのですね。

歩いていると、江戸時代というより、なぜか昭和30年時代を思い出す感じ。昔の田舎にはこんな家が残っていたのでは。暗い家の中にはこわーいおじいさんが住んでいたり。

ときどき、車が通り過ぎたり、通りの横にジュースの自動販売機が置いていたりするのが、景観をそいでしまうけど、ここで生活している人がいるのだからそれはしかたがないのかもしれない。宿場町だけに、昔の、例えば、長谷川伸の「1本刀土俵入り」に出てくるような旅籠もあった。
「関で泊まるなら鶴屋か玉屋」といわれたそうですが、その旅籠玉屋は歴史資料館として中を公開しています。
こういうところは、夕暮れか夜歩くと一層興をますように思われる。夜だったら、提灯がほんとに似合いそう。

通りにある福蔵寺(信長の子信孝の菩提寺)には関の小万の墓がある。関の小万は有名で、鈴鹿馬子唄にも歌われているとか。関の小万には、近松が書いた遊女の小万と、仇討ちをした小万の2人いるようですが、この墓は仇討ちをした女性。享和年(1803)に38歳でなくなったそうな。

清源寺(木喰仏)

2005-09-18 | 日記
朝のマラソンじゃなくて、朝ドライブとして、丹波の清源寺(京都府八木町)まで走ってみました。家から1時間くらい。着いたのが8時半。清源寺の玄関は開いていて呼び鈴(鐘だったか?)もたたいたのだけど、だれも出てこない。案内をよく見ると、拝観は午前9時からとある。

早すぎたか。では、帰ろうと、ひきかえしたのですが、高速を走ってないのに、どうまちがえたか、高速の出口に出て200円をはらうことに。バカなことに同じところで、同じ間違いを2回もしてしまう。なるほど、これは、清源寺を見て帰れ、ということだな、と思い、また清源寺にいく。そこから10分で着いた。

清源寺にいくと、女の人(寺の人だろう)が早口で、この寺の由来を説明し、そのあと、木喰仏を保管している倉庫に案内してくれる。ガラスケースに16体の羅漢像がある。

文化3年上人が89歳の時にこの寺に来て5ヶ月間滞在し、ここで、22体を作ったそうな。ここには、16体が保管されている。

ほんもの、はじめて見たけど、この微笑の顔がいいですね。中には2体ほど、そでで顔をおおって笑ってるのもあった。自民党も民主党もバッカヤロウめ、と怒ってばかりいてもだめか。政治は政治、おれの生活はおれの生活、笑って暮らそう(笑)

木喰上人は甲斐の農民の子。45歳のころから日本全国を回り、1000体の仏像を残したそうです。木喰とは、穀類や肉は食べない、まさに仙人のような食事だけど、93歳まで長生きします。おもしろい日本人だ。

今日、画像のアップいろいろさわっていたら、どういうわけかアップできた。どうやったのかわからないから、また、できるかどうかはわからないけど。
なお、この画像は(よく見えないと思うけど)、木喰上人の自刻像だそうです。


光秀ゆかりの町坂本

2005-09-11 | 日記
比叡山延暦寺にいこうと思っていたのですが、比叡山は観光客でいっぱいかもしれないので(人が多いのはいや)、今回は比叡山の麓にある門前町坂本だけにしました(もちろん、選挙にはいった)。

坂本は、比叡山の登り口であり、比叡山の門前町。昔は栄えた町だったのかもしれない。

ここは、延暦寺の里坊といって、延暦寺で修行を積んだ僧侶たちが隠居して住み込むお寺(里坊)が50ほど残っています(竹林院とか蓮華院とかたくさん院がある)。その里坊は、独特の石垣で囲まれていて、周辺はちょっとした歴史的町並み。坂本だけで十分観光たりえる。

その里坊の中でも最も格式があるのが、滋賀院門跡。ここは代々、天台座主の居所とか。ここだけ団体客が来ていた。本堂の中には、有名な庭園とか絵があるそうだけど、拝観料をとるので、入るのはやめて、ここの境内の奥の慈眼堂まで歩く。ここは、天海僧正の霊廟で、大きなお墓(あとで、調べると、桓武天皇、家康、紫式部、新田義貞など)があった。

滋賀院門跡のすぐそばが日吉大社。よく聞く名前だけど、ここは、全国の日吉大社、山王さんの総本宮らしい。ここは拝観料をはらわないと歩けないようなので、しかたなく300円払って入る。受付には、週刊神社紀行「日吉大社」が置いてあった。知る人ぞ知る有名な神社なんだ。でも、人は少ないよ。立小便してもわからない(バカ!)。森の中には小川が流れ、古い社殿があちこちにあり、興味のある人には300円は安いかもしれない。


日吉大社から車で5,6分走ると西教寺。参道の入り口にはたしか歴史の道とかで、三浦綾子の「ガラシャ夫人」の小説の一節を書いた看板が立っていた。光秀もときどき心を慰めるためにここの道を歩いた、とかの内容だった。

西教寺は高台にあり、琵琶湖も見ることができた。境内に、明智光秀一族の墓があります。ここも聖徳太子創建とか由緒あるお寺だそうですが、そのへんはあまり関心なく、光秀ゆかりの寺というだけで来てみました。本堂を見ると、ついくつをぬいであがり、戸を開けてしまう無礼なタチ。中には金色の阿弥陀如来像がいた。一人の老人がカメラを写していた。「撮影禁止と書いてるけど、うつしてもいいですよ、せっかくここまできたのだから」とわたしに語りかける。で、わたしも2,3枚写した。ここも訪れる人はこの老人だけだった。拝観料を払わなくてはいけないのに、はらうところがなく、歩いているうちに境内の中にいた。あまり人が来ないので、拝観料もとらなくなったのだろうか?

選挙は自民党の歴史的大勝だとか。メディアが期待した通りじゃないか。明日、なんと論評するのだろう。いよいよ始まるニューファシズム時代。信長時代の到来に抗した光秀に同情するな。

このひと月の朝日新聞

2005-09-08 | 新聞・テレビから
朝日の社長の「解体的出直し」会見が出ていたけど、ほんとに、朝日は、報道機関ではあるかもしれないけど、ジャーナリズムとしては落第。

国会が解散になってから、憲法改正についての記事には注目してきたつもりだ。
このひと月、とうとう朝日に憲法改正についてのまとまった記事や特集はなかった。郵政民営化についての記事、特集は何回も目にした(しかし、さっぱりわからぬ難解な記事で、共産党が主張するようなアメリカの金融界からの要求という視点からの分析や検証などもない)。他に年金改革も何回も特集されたし、子育て支援の特集もあった。わたしは、毎日、憲法の記事を探していた。だのに、憲法はなし。ただ、今日の朝刊の編集委員会座談会に出た。こうだ。

根元:憲法改正問題も本来はこの選挙で問われるべきだ。自民党は解散直前に条文集を出した。11月には正式な草案も出す。それが争点にならないのは奇妙に映る。
早野:何の議論もないまま選ばれた議員が改憲を発議するなんてことは、とても許されることではない。

これだけ。無責任もはなはだしい。奇妙で、許されることではないのは、新聞だろう。朝日は、この1ヶ月間、憲法については何も議論しなかったことを肝に銘じておくぞ。新聞がやるべきことではないのか。

その代わりに、どんな記事を書いたか。あの世論調査。1ヶ月間にわたって、7回もやっている。あなたの支持政党はどこですか?とか、今回の総選挙をきっかけに、日本の政治が大きく変わってほしいですか、それほどでもありませんか?(それほどでもありませんか?とはバカにした質問とちゃう?)。この世論調査にどんな意味があるのか、説明できる朝日の社員はいるのか?

朝日新聞として憲法問題の意見を言うことができないのならば、あの憲法9条の会の識者に取材なり、寄稿してもらってもいいいのに、それすらやらない。ジャーナリストだったら、この選挙、9条の会はどう思っているのかもいいネタではないのか。

座談会でちょこっとふれて免罪符にしてもらってはこまる。



松木庄左衛門

2005-09-05 | 一揆
ほんとならデジカメでとった画像をここで紹介したいのだけど、その技術がないので、松木(まつのき)神社前に立っている木製の案内板の文章(これ、デジカメでとった)をそのままここに書き写します。
 
    松木神社
 関が原戦のあと若狭の領主となった京極高次は小浜湾に望む雲浜の地に壮大な城を築いた。そのため領内の百姓には年貢の増徴とか労役の提供など多くの負担がかけられたが、特にそれまで1俵4斗であった大豆年貢が4斗5升(または5斗)入りに増額された。そしてこの制度は領主が酒井忠勝になり、天守閣も造られて新しい小浜城が完成しても改められなかった。
 苦しみにあえぐ百姓たちは年貢引き下げの嘆願運動を十数年にわたって繰り返したが、小浜藩では全くこれを聞き入れなかった。捕縛投獄の抑圧にも屈せずあくまで年貢軽減を訴え続けた上中町、新道村庄屋松木庄左衛門は、慶安5年(1652年)5月16日ついに日笠河原で磔の刑に処せられた。
 しかし、悲願は聞き届けられ大豆年貢の引き下げは実現した。時に庄左衛門は、28歳の若さであった。
 義民の遺徳を永久にあがめ謝し奉るために昭和8年ここに松木神社が創建された。

江戸中期以降幕末にかけての一揆ならけっこう文書も残っているのですが、この松木(まつのき)庄左衛門については記録もほとんどなく、上記に書いていることぐらいしか確かなことはわからないようです。

明治16年に出た小室信介編纂の「東洋民権百家伝」(岩波文庫)に出てきますが、松木荘左衛門となっており、役人が逮捕にきたとき、松木は母親の前で謡曲(田村)をうたっていたのですが、捕吏にうたのとちゅうだから最後までうたわせてくれとたのんで最後までうたった、とか口碑も書いています。この本では領主は京極氏になっています。

小野武夫篇「徳川時代百姓一揆叢談」(刀江書房)にも出てきますが、これは熊川村役場の松木長操伝で、内容は「東洋民権百家伝」とほぼ同じ。ただ、処刑されたのは、酒井忠勝のときだろうと、訂正しています。

選挙前、財政改革のため、増税もしかながない、なんて世論(?)のある日本、江戸時代のお百姓さんが聞いたらびっくりだろう。

岩波文庫「東洋民権百家伝」は江戸時代の百姓一揆を集めた貴重な本です。おすすめ。

鯖街道 熊川宿

2005-09-04 | 日記
鯖街道の熊川宿にいってきました。若狭の国(福井県)です。
江戸時代、小浜と京都を結ぶ若狭街道は、鯖街道とよばれ、京都に鯖などの海産物を届けるルートでした。その街道の中でも、この熊川宿は特に栄えたところで、今もなお当時の古い町並みが残っています。

道の駅熊川宿に車を止めて見学。
約1キロくらい、古い家並みが続く。ただし、伝統的建築物に指定されたのは数年前なので、堀なども工事中のところもあり、今、鋭意整備中といったところか。途中に病院や老人ホームもあり、立ち並ぶ家も現在生活しているので、信州の海野宿や奈良井宿、馬篭宿などの観光地化された古い宿場町と比べたらいけない。
それでも、静かで、のんびりした一画で、通りも遠くに行く人が2,3人見える程度。鯖寿司が名物みたいだ。

旧逸見勘兵衛家というのが公開されていた(無料じゃないので入り口だけで、2階にはあがらなかったけど)、ここは、伊藤忠商事の2代目社長伊藤竹之助の家だとか。逸見(へんみ)という姓から、田中正造を支援した逸見斧吉を思いついたけど、この斧吉さんとも関係あるのではなんてふと思った。ここの小浜城主には浅野長政もなったことがあるが、かれはそのあと、広島にいく。斧吉さんの先祖は広島だから、戦国時代に分かれたとか?ちょっと意味のない思いつきか。

通りには松木神社がある。熊川宿にいってみたいと思ったのも、これがあるから。
松木神社とは、江戸時代初期、島原の乱が終わったあとくらいにおきた百姓一揆(強訴)の総代の松木荘左衛門を祭った神社。佐倉惣五郎よりも前だから、江戸の一揆としてはトップランナーではないかしら。しかも、活動を始めたのは16歳。磔の刑になったのが28歳。

神社の前に一応、説明版が立っているのみ。これでは町並みを見学する人は気がつかないよ。石段を登ると、神社があるが、小さな祠。よこには、義民館と看板のかかった建物があるが(神社の社務所かと思った)、戸は締め切ったままで、とりつくしまもない(だれもいないようだ)。大きな石の義民碑も立っていたが(中島信行が書いていた)、こけむしていて、どうも松木庄左衛門さん、手厚く顕彰されているとはいいがたいぞ。案内板もなにもない。道の駅くらいに、紹介のパンフレットでもおいておいたらいいのに、と思った。

松木庄左衛門については、また、かきます。


新聞記者

2005-09-01 | 新聞・テレビから
今日の新聞ではないけど、朝日新聞の記事捏造事件、昨日の朝日の社説は、その反省の弁だった。

しかし、でっちあげの記事発覚は氷山の一角だろう。週刊誌や芸能誌の記事は、読者は、みんな話半分で読んでいる。天下の朝日としては、あってはならぬという事件で若い記者を即刻懲戒解雇にしているが、臭いものにふたをしたという感じは否めない。

この記者は、連日の選挙報道合戦の中でどんな気持ちでいたのだろう。東京本社からせっつかれる秘話速報、東京本社の期待に答えるためにでっちあげた野心家か、くだらねえ、いちいち取材ができるか、と思った横着者か、あるいは、取材合戦の中で取材することに気後れがしたのか。わたしは、なんとなく気後れしたのではないか、と思う。JR西日本の事故の問題と無関係でもない気がする。

解散になって、選挙が紙面を占めてからもう1ヶ月近くなる。この間、新聞で読者に判断の情報を提供する時間は十分にあった。しかし、紙面はあいかわらず選挙劇か、政治部の事情通、消息通の話ばかりで、たとえば、わたしが一番気にしている憲法についてはまだ1度も朝日は問題にしていない。共産、社民が、争点の一つにあげている憲法を朝日は黙殺したまま。共産、社民には同情する。もちろん、朝日だけでなく、他紙もテレビ局も同様だが、改憲にはふれない、というのは、マスコミ界の暗黙の合意があるのではないか、と勘ぐってしまう。

新聞社も巨大になりすぎたんですね。明治の平民新聞社は、たしか10人もいなかったのではないか?朝日や毎日でも100人もいなかったのでは(これはよく知らない)。たとえ、記者が投獄されても、投獄中の給料は出したりしていた。かつての毎日は、木下尚江に足尾鉱毒事件を取材させた。おそらく記者冥利につきる仕事だったろう。今、新聞記者をして記者冥利につきる取材をさせてくれるところはあるのだろうか。おそらく、自民党担当とか、政界官界に顔のきく記者が大きな顔をしてるのでしょうね。

もう新聞やめようかな(何度も言ってる 笑)