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北海道美術ネット別館

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■山岸正巳回顧展(12月3日で終了)

2007年12月05日 21時11分43秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 この画家のことをぜんぜん知らなかったのは不勉強でした。
 1929年、後志管内岩内町生まれ。東京美術学校(現東京藝大)で安井曽太郎に油彩を学び、戦後は同管内共和町にアトリエを建てて、穏やかな人物画などを描き続けました。堂垣内氏など3人の知事の肖像画も描いたのだそうです。2004年歿。

 ネットで調べてみると、共和町の西村計雄記念美術館では、歿後に展覧会がひらかれています。
 札幌ではこれまで三越などで個展をひらいていたようです。

 展示されていたのは、ほとんどが「売り絵」とくくられそうな、おだやかなタッチの人物画や静物画です。
 「小さなバイオリニスト」や「馬と少女」といった作品を見ていると、いかにも三越ギャラリーに合いそうな絵だなあと思います。
 未完の作品もけっこうありました。ということは、作品の大半は、共和町に寄贈されてしまい、アトリエにはあまり多くは残っていなかったということなのかもしれません。

 あらためてすごいな、と感じたのは、戦後半世紀にわたり、画風がほとんど変わっていないこと。
 安井曽太郎というよりは小磯良平的な、ほんとにわかりやすい写実です。
 ただし、筆者は「売り絵」ということで一刀両断したくはないと思います。
 やっぱり東京美術学校、デッサン力など腕は確かです。

 1点、戦中に描かれたとおぼしき水彩画がありました。
 少年2人が、地面にはいつくばって機関銃を操作している絵柄です。帽子の徽章(きしょう)から判断して旧制中学生のようです。
 平和な題材ばかりの中で異例な絵でした。画風自体は変わっていないのですが…。


 こういうプロの画家を、「美術史」にどう位置づければよいのか、というのは、意外とむつかしい問題のような気がします。
 「文学史」では、大衆小説家はサブ的な位置づけをされてきました。「だれにでもわかる絵」を描いてきた画家も、それに倣えばよいのでしょうか。


三越札幌店(中央区南1西3  地図B)
07年11月27日(火)-12月3日(月)10:00-20:00(日曜-19:30)


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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山岸正巳さん回想 (助川敏弥)
2010-10-30 13:03:47
私は芸大時代山岸さんと懇友でした。ちなみに私は当時音楽学部の学生、作曲を仕事にしています。私もまた札幌出身です。在学時代のある年、夏休みから東京へ帰る列車の途中から山岸さんが乗ってきて、互いに自己紹介して仲良くなりました。音楽学部の食堂にも山岸さんはよく遊びに来て女子学生とも仲良くなりました。鶯谷の彼の下宿にも皆で遊びにいきました。中には山本直純君もいました。生きている内に藻一度会いたかったものです。
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ありがとうございます (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2010-10-30 21:24:33
助川敏弥さん、はじめまして。
山岸さんのような正統派の職人のような腕を持った画家というのは、いそうであまりいないと思うので、もっとちゃんと見ておけばよかったと反省しております。

先日も、札幌の三越で2人展が行われていたようです。

貴重な証言、ありがとうございました。
昭和20年代の青春ですね。
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