
「Essence」と題した札幌の Furukawa Yukoさんの個展を6月上旬に見ました。
動物や植物、キノコをモチーフにした布製のアクセサリーや立体が並んでいました。写真作品も数点ありました。
終了してから日時がたってしまっていて(申し訳ありません)、くわしく紹介しづらいのですが、個人的に気になっていることをひとつだけ書いておきます。
べつにどのように見ようと自由なのでしょうが、おそらく
「本物そっくりにつくること」
が作家の主眼ではないように思っています。
会場に貼り出されたステイトメントは次のように書き出されていますが、これは単なる動植物の擬人化ではないようです。
動植物は、ありきたりの童話がそうであるように、人間とおなじように知覚し、思考しているわけではない。仮に子どもを大切にする動物があったとしても、それは人間が考えるのとおなじく考えた結果そうしているのではないでしょう。
上の引用部分に続き、作者は「サピア=ウォーフの仮説」に言及しています。
先に外界があって、そこにことばをあてはめていくといった、単純なかたちで人は世界を認識しているんじゃないんだよ、まず言葉という枠組みが先にあって外界を認識していくという面も強いんだよ、という仮説です。
つまり、アンモナイトもキノコも、わたしたちとは根本から異なる様式によって、知覚し、考えているのではないかということです。
以下、筆者の私見ですが、犬は嗅覚で外界を判断しています。だとしたら、デカルト的な、視覚による実態判別を基盤とした人間の認識からは、想像もできない世界観をもとに行動しているのではないか。
ここで思い出したのが、今年の冬に札幌芸術の森美術館が開いた「札幌美術展 昨日の名残 明日の気配」における北川陽稔さんの作品です。
北川さんは、植物が人間とはまったく違うシステムによって周囲を知覚し、互いにコミュニケーションをとっているさまを視覚化しようと、カメラを自ら改造してセンサーを取り付けるなどして、野心的なインスタレーションを展開していました。
植物は黙ってそこにあるだけ―というのは昔の見方らしく、近年の研究で、草木は独自のやりかたで
「あ、人間が近づいてきたぞ」
などと「会話」しているらしいということが、次第にわかってきたようなのです。
北川さんと Furukawa さんの問題意識は、とてもよく似ているように思うのです。
この潮流? はどこに由来するのか。
「主体と客体、あるいは人間と自然とを、画然と区別する近代西洋の行き詰まり」
とまとめられそうですが、それはそれでわかりやすすぎるようにも思えるので、また別の機会に考察することにしたいです。
2023年5月31日(水)〜6月11日(日)正午~午後7時(最終日~6時)、月火曜休み
ギャラリー犬養(札幌市豊平区豊平3の1)
□ https://yukofurukawa.com/
Facebook □ Furukawa Yuko
過去の関連記事へのリンク
■Furukawa Yuko Solo Exhibition “Language of flowers" (2021)
■作品展 たましひ (2018)
■ Furukawa Yuko exhibition 風光る いきものたちのアクセサリー (2018年4月)
■Furukawa Yuko 作品展「闇に光る」 (2017)
■Furukawa Yuko 手芸作品展 したたかな小鳥(2017)
動物や植物、キノコをモチーフにした布製のアクセサリーや立体が並んでいました。写真作品も数点ありました。
終了してから日時がたってしまっていて(申し訳ありません)、くわしく紹介しづらいのですが、個人的に気になっていることをひとつだけ書いておきます。
べつにどのように見ようと自由なのでしょうが、おそらく
「本物そっくりにつくること」
が作家の主眼ではないように思っています。
会場に貼り出されたステイトメントは次のように書き出されていますが、これは単なる動植物の擬人化ではないようです。
ある夜、私は夢を見た。
陽光の射す海の中、アンモナイトが悠然と泳ぎ私に言う
「お前たち人間は、一体何をしているのだ?」
純粋にひたむきに生命を全うしようとする生き物たちの姿に私はいつも憧れる。
生き物たちを知ることで、現代の人間たちが忘れてしまった大切なもの(=Essence)を学びたい。
動植物は、ありきたりの童話がそうであるように、人間とおなじように知覚し、思考しているわけではない。仮に子どもを大切にする動物があったとしても、それは人間が考えるのとおなじく考えた結果そうしているのではないでしょう。
上の引用部分に続き、作者は「サピア=ウォーフの仮説」に言及しています。
先に外界があって、そこにことばをあてはめていくといった、単純なかたちで人は世界を認識しているんじゃないんだよ、まず言葉という枠組みが先にあって外界を認識していくという面も強いんだよ、という仮説です。

つまり、アンモナイトもキノコも、わたしたちとは根本から異なる様式によって、知覚し、考えているのではないかということです。
以下、筆者の私見ですが、犬は嗅覚で外界を判断しています。だとしたら、デカルト的な、視覚による実態判別を基盤とした人間の認識からは、想像もできない世界観をもとに行動しているのではないか。
ここで思い出したのが、今年の冬に札幌芸術の森美術館が開いた「札幌美術展 昨日の名残 明日の気配」における北川陽稔さんの作品です。
北川さんは、植物が人間とはまったく違うシステムによって周囲を知覚し、互いにコミュニケーションをとっているさまを視覚化しようと、カメラを自ら改造してセンサーを取り付けるなどして、野心的なインスタレーションを展開していました。
植物は黙ってそこにあるだけ―というのは昔の見方らしく、近年の研究で、草木は独自のやりかたで
「あ、人間が近づいてきたぞ」
などと「会話」しているらしいということが、次第にわかってきたようなのです。
北川さんと Furukawa さんの問題意識は、とてもよく似ているように思うのです。
この潮流? はどこに由来するのか。
「主体と客体、あるいは人間と自然とを、画然と区別する近代西洋の行き詰まり」
とまとめられそうですが、それはそれでわかりやすすぎるようにも思えるので、また別の機会に考察することにしたいです。
2023年5月31日(水)〜6月11日(日)正午~午後7時(最終日~6時)、月火曜休み
ギャラリー犬養(札幌市豊平区豊平3の1)
□ https://yukofurukawa.com/
Facebook □ Furukawa Yuko
過去の関連記事へのリンク
■Furukawa Yuko Solo Exhibition “Language of flowers" (2021)
■作品展 たましひ (2018)
■ Furukawa Yuko exhibition 風光る いきものたちのアクセサリー (2018年4月)
■Furukawa Yuko 作品展「闇に光る」 (2017)
■Furukawa Yuko 手芸作品展 したたかな小鳥(2017)