札幌の Furukawa Yuko さん、半年ぶり34度目の個展。
(※11月20日、回数を修正しました)
そのほか、空知管内由仁町で週末限定の2人展も開いていたようですが、さすがに遠くて伺えていません。
会期中にアップできなくて申し訳ありません。
画像は「闇に光る」。
案内はがきの作品です。
ご自身は「手芸作家」を名乗っており、もちろんその範疇のなかで
「かわいい~」
というふうにアクセサリー類を見ることもなんらかまわないことではあると思うのですが、そういう枠からどうしてもはみ出してしまう一種の精神性を作品から感じ取ってしまうということについては、前回の個展の際にあれこれ記したところです。
彼女のアクセサリーのモティーフになっているのは、昆虫や植物、キノコなど、身の回りの自然です。
ただ、チョウなどのかわいらしい姿態を、かたちにするというよりも、生まれては死んでいく、そして食べたり食べられたりする、ありのままの自然の営みを、とらえようとしているのだと思います。
画像は、飛んでいくタンポポの綿毛を思わせるような作品。天井から吊り下げられていました。
実物に似せることに精力を傾けているのでもなければ、ことさらに残酷さを強調しているわけでもありません。
自然を見つめるまなざしの深さみたいなものを感じるのです。
どうもうまく言えませんが。
今回の個展で、半年前の前回ともっとも異なるのは、昨年買ったばかりの一眼レフカメラによる写真作品が何枚か展示されていたこと。
聞くと、プリントでは定評のある廣島経明さんにお願いしたとのこと。
青虫やキノコカメムシや白い花などが、暗闇の中からぼうっと浮かび上がっています。うまい人はどんな表現手段を使ってもうまいんだな~と思わせられます。
「さすが、日の丸構図を避けてますよね」
と水を向けると
「そんなこともないですよ。それに、廣島さんからは『日の丸構図がどうこう言う人もいるかもしれないけど、そんなのはほっとけ』と言われました」。
(※11月20日にこの段落を一部修正しています)
かくいう筆者の写真はあまりうまくないですね。
前回のほうが、まだ会場の雰囲気をとらえていたような…。
フルカワさん、ごめんなさい。
黒い標本箱に並べられたような、アクセサリーの数々。コサージュだったりピアスだったり、こういうのを日常的に選んだり身に着けたりする習慣を持ち合わせていないので、あまり適切になにかをいえそうにありませんが、金工や宝石主体のものに比べると大きいかも―ということはいえそうです。
どれも数センチあります。
白いキノコやキノコ、タツノオトシゴなど、ユニークです。
アップライトピアノの上には、小さな透明のびんに入った、色とりどりのクモがならんでいます。
クモなんて、バタイユ(フランスの思想家)によって「とるに足らぬもの」の代表格みたいな扱われ方をしていて(もちろん、バタイユは、そういう蜘蛛や足指や唾液のような、取るに足らぬものこそが大事だと力説してるんですが)、女性からは忌み嫌われることも多いだけに、ふつうこういうモティーフは手芸にしないよな~、すごいなあと思うのです。
最後に画像を掲げる、キノコとチョウからなる作品は「わたしはあなた」と題されています。
「わたしは他者だ」と言ったのは、伝説の詩人ランボーでした。
というわけで、結論めいたことは書けないのですが、ひとつ確かなことは、この作家の作品は、けっして「かわいい」「本物みたい」といった評価のほうに収斂されていくことはなく、さまざまな解釈のほうに「開かれて」いる―ということではないでしょうか。
世の中にはいろんなアートがありますが、ひとつの解にしか導かれず、しかもその解を知ってしまったらもう見る気が起きない―というのは、だいたいつまんない作品なんですよ。そう思います。
2017年11月8日(水)~13日(月)午後1時~10時半(最終日~9時)
ギャラリー犬養(札幌市豊平区豊平3の1)
■Furukawa Yuko 手芸作品展 したたかな小鳥(2017年4~5月)
(※11月20日、回数を修正しました)
そのほか、空知管内由仁町で週末限定の2人展も開いていたようですが、さすがに遠くて伺えていません。
会期中にアップできなくて申し訳ありません。
画像は「闇に光る」。
案内はがきの作品です。
ご自身は「手芸作家」を名乗っており、もちろんその範疇のなかで
「かわいい~」
というふうにアクセサリー類を見ることもなんらかまわないことではあると思うのですが、そういう枠からどうしてもはみ出してしまう一種の精神性を作品から感じ取ってしまうということについては、前回の個展の際にあれこれ記したところです。
彼女のアクセサリーのモティーフになっているのは、昆虫や植物、キノコなど、身の回りの自然です。
ただ、チョウなどのかわいらしい姿態を、かたちにするというよりも、生まれては死んでいく、そして食べたり食べられたりする、ありのままの自然の営みを、とらえようとしているのだと思います。
画像は、飛んでいくタンポポの綿毛を思わせるような作品。天井から吊り下げられていました。
実物に似せることに精力を傾けているのでもなければ、ことさらに残酷さを強調しているわけでもありません。
自然を見つめるまなざしの深さみたいなものを感じるのです。
どうもうまく言えませんが。
今回の個展で、半年前の前回ともっとも異なるのは、昨年買ったばかりの一眼レフカメラによる写真作品が何枚か展示されていたこと。
聞くと、プリントでは定評のある廣島経明さんにお願いしたとのこと。
「さすが、日の丸構図を避けてますよね」
と水を向けると
「そんなこともないですよ。それに、廣島さんからは『日の丸構図がどうこう言う人もいるかもしれないけど、そんなのはほっとけ』と言われました」。
(※11月20日にこの段落を一部修正しています)
かくいう筆者の写真はあまりうまくないですね。
前回のほうが、まだ会場の雰囲気をとらえていたような…。
フルカワさん、ごめんなさい。
黒い標本箱に並べられたような、アクセサリーの数々。コサージュだったりピアスだったり、こういうのを日常的に選んだり身に着けたりする習慣を持ち合わせていないので、あまり適切になにかをいえそうにありませんが、金工や宝石主体のものに比べると大きいかも―ということはいえそうです。
どれも数センチあります。
白いキノコやキノコ、タツノオトシゴなど、ユニークです。
アップライトピアノの上には、小さな透明のびんに入った、色とりどりのクモがならんでいます。
クモなんて、バタイユ(フランスの思想家)によって「とるに足らぬもの」の代表格みたいな扱われ方をしていて(もちろん、バタイユは、そういう蜘蛛や足指や唾液のような、取るに足らぬものこそが大事だと力説してるんですが)、女性からは忌み嫌われることも多いだけに、ふつうこういうモティーフは手芸にしないよな~、すごいなあと思うのです。
最後に画像を掲げる、キノコとチョウからなる作品は「わたしはあなた」と題されています。
「わたしは他者だ」と言ったのは、伝説の詩人ランボーでした。
というわけで、結論めいたことは書けないのですが、ひとつ確かなことは、この作家の作品は、けっして「かわいい」「本物みたい」といった評価のほうに収斂されていくことはなく、さまざまな解釈のほうに「開かれて」いる―ということではないでしょうか。
世の中にはいろんなアートがありますが、ひとつの解にしか導かれず、しかもその解を知ってしまったらもう見る気が起きない―というのは、だいたいつまんない作品なんですよ。そう思います。
2017年11月8日(水)~13日(月)午後1時~10時半(最終日~9時)
ギャラリー犬養(札幌市豊平区豊平3の1)
■Furukawa Yuko 手芸作品展 したたかな小鳥(2017年4~5月)