
会期末になってあわてて江別市まで行ってきたのですが、すばらしい展覧会でした。
いや、展覧会自体としては、単に東京国立近代美術館工芸館から作品を運んできただけだから、特筆することはないわけですが、これだけの名品を見る機会は道内ではまずありえないのですから、眼福としか言いようがありません。
タイトルにあるように、明治期の超絶技巧から現代に至るまでの、陶磁、漆芸、竹工芸、染織、金工、木工など各分野を網羅したもの。
この種の展覧会で多くなりがちな陶磁に偏っていないのが特徴で、また、ガラスと人形が予想外に豊富でした(まさか四谷シモンが見られるとは思いませんでした)。
また、同館が発行する図録類も販売されており、ふだんあまり知ることのない、戦後の日展と伝統工芸展の関係などが平易に解説されており、大いにためになりました。
写真撮影が禁じられていなかったし、館内はすいていたので、たくさん撮ってきましたが、ホワイトバランスのまずい画像ばかりで申し訳ありません。
順番も、ばらばらです。
冒頭画像、左手前は清水九兵衛「層容」(1957)。
画像だと地味に見えますが、ほんとうは金彩が施され、ゴージャスな作品。
その右となりは河本五郎「色絵龍文壺」(1971)。
ろくろではなく「タタラ板づくり」という製法によるもの。

初代宮川香山「鳩桜花図高浮彫花瓶」(1871~82年ごろ)。
明治初期の超絶技巧のわかりやすい例。
桜花の枝に止まる雌雄のハトが浮き彫りで装飾された陶器で、輸出用として作られたもの。
とにかく細かく、幕末開化期の西洋人が驚嘆したのも無理はないです。

藤井達吉「銅切透七宝巻雲紋手箱」(1920)
銅版を打ち出した作ですが、とにかく透かしの文様が細かくて驚きです。

七大錦光山宗兵衛「上絵金彩花鳥図蓋付飾壺」(1884~97)ごろ
これも輸出用。とにかく色が派手。
京焼の陶器で、やや卵色っぽい白地は薩摩焼の影響でしょうか。
錦光山家は、江戸中期以来の京都の粟田焼を代表する陶家で、1884年に7代目を襲名したそうです。

松井康成「練上嘯裂文茜手大壺」(1981)
この作者(1927~2003)は、練上手の人間国宝。
確かに、単なる練上ではなく、細かい亀裂が無数に走った表面は独特です。
ここで思い出したのが、岩見沢の陶芸家、尾形香三夫さん。彼の作品がこれに負けないだけの独創性を備えていると感じて、うれしくなります。

ガラス作家も多く取り上げられていました。
右から、小林菊一郎、岩田藤七、藤田喬平。
あとの2人の作品は道立近代美術館も所蔵しており、よく見ます。

こちらも明治の超絶技巧の金工。
鈴木長吉「十二の鷹」(1893)。
もちろん、江別まで飛んできたのは12羽中1羽だけです。
一羽一羽姿態が異なるので、いつかまとめて見たいものです。
その右奥は佐治賢使の「都会」(1960)
漆芸に分類されています。
ビル街などから受けたインスピレーションがシャープな図案の中に織り込まれています。

堀柳女「瀞」(1957)
前述のとおり、人形はいろいろ展示されていました。

右端は四谷シモン「解剖学の少年」(1983)

加藤清之「作品65」(1965)
めずらしくガラスケースに入っていないこともあって、その焼き締めによる景色、重厚さあふれる存在感など、しみじみと見入ってしまいました。
ただ、全体としては、分野・素材の多彩さが重視され、戦後の前衛陶芸はあまりクローズアップされていなかったという印象があります。
中央省庁の地方移転政策にともない、工芸館は金沢に移転されることが決まっています。
これについては
「工芸イコール伝統工芸という発想しかない文部科学省は情けない」
という批判がありました。筆者も、その批判には、同意しますし、工芸館が現代的・前衛的なものにも広く目配りしていることをひろく地方に知らしめようとした巡回展なのかもしれないと思います。
ただ、東京にも機能は一部残るということで、日本が災害の多い国であることを考えると、所蔵品を分散することには大きな意味があるでしょう。
2018年7月14日(土)~9月30日(日)午前9時半~午後5時
祝日・振り替え休日を除く月曜休み。7月17日・8月14日・9月18日・9月25日いずれも火曜日休み
江別市セラミックアートセンター(西野幌)
一般500円、高大生200円
江別市セラミックアートセンターへのアクセス(都市間高速バス「野幌」からの道順)
いや、展覧会自体としては、単に東京国立近代美術館工芸館から作品を運んできただけだから、特筆することはないわけですが、これだけの名品を見る機会は道内ではまずありえないのですから、眼福としか言いようがありません。
タイトルにあるように、明治期の超絶技巧から現代に至るまでの、陶磁、漆芸、竹工芸、染織、金工、木工など各分野を網羅したもの。
この種の展覧会で多くなりがちな陶磁に偏っていないのが特徴で、また、ガラスと人形が予想外に豊富でした(まさか四谷シモンが見られるとは思いませんでした)。
また、同館が発行する図録類も販売されており、ふだんあまり知ることのない、戦後の日展と伝統工芸展の関係などが平易に解説されており、大いにためになりました。
写真撮影が禁じられていなかったし、館内はすいていたので、たくさん撮ってきましたが、ホワイトバランスのまずい画像ばかりで申し訳ありません。
順番も、ばらばらです。
冒頭画像、左手前は清水九兵衛「層容」(1957)。
画像だと地味に見えますが、ほんとうは金彩が施され、ゴージャスな作品。
その右となりは河本五郎「色絵龍文壺」(1971)。
ろくろではなく「タタラ板づくり」という製法によるもの。

初代宮川香山「鳩桜花図高浮彫花瓶」(1871~82年ごろ)。
明治初期の超絶技巧のわかりやすい例。
桜花の枝に止まる雌雄のハトが浮き彫りで装飾された陶器で、輸出用として作られたもの。
とにかく細かく、幕末開化期の西洋人が驚嘆したのも無理はないです。

藤井達吉「銅切透七宝巻雲紋手箱」(1920)
銅版を打ち出した作ですが、とにかく透かしの文様が細かくて驚きです。

七大錦光山宗兵衛「上絵金彩花鳥図蓋付飾壺」(1884~97)ごろ
これも輸出用。とにかく色が派手。
京焼の陶器で、やや卵色っぽい白地は薩摩焼の影響でしょうか。
錦光山家は、江戸中期以来の京都の粟田焼を代表する陶家で、1884年に7代目を襲名したそうです。

松井康成「練上嘯裂文茜手大壺」(1981)
この作者(1927~2003)は、練上手の人間国宝。
確かに、単なる練上ではなく、細かい亀裂が無数に走った表面は独特です。
ここで思い出したのが、岩見沢の陶芸家、尾形香三夫さん。彼の作品がこれに負けないだけの独創性を備えていると感じて、うれしくなります。

ガラス作家も多く取り上げられていました。
右から、小林菊一郎、岩田藤七、藤田喬平。
あとの2人の作品は道立近代美術館も所蔵しており、よく見ます。

こちらも明治の超絶技巧の金工。
鈴木長吉「十二の鷹」(1893)。
もちろん、江別まで飛んできたのは12羽中1羽だけです。
一羽一羽姿態が異なるので、いつかまとめて見たいものです。
その右奥は佐治賢使の「都会」(1960)
漆芸に分類されています。
ビル街などから受けたインスピレーションがシャープな図案の中に織り込まれています。

堀柳女「瀞」(1957)
前述のとおり、人形はいろいろ展示されていました。

右端は四谷シモン「解剖学の少年」(1983)

加藤清之「作品65」(1965)
めずらしくガラスケースに入っていないこともあって、その焼き締めによる景色、重厚さあふれる存在感など、しみじみと見入ってしまいました。
ただ、全体としては、分野・素材の多彩さが重視され、戦後の前衛陶芸はあまりクローズアップされていなかったという印象があります。
中央省庁の地方移転政策にともない、工芸館は金沢に移転されることが決まっています。
これについては
「工芸イコール伝統工芸という発想しかない文部科学省は情けない」
という批判がありました。筆者も、その批判には、同意しますし、工芸館が現代的・前衛的なものにも広く目配りしていることをひろく地方に知らしめようとした巡回展なのかもしれないと思います。
ただ、東京にも機能は一部残るということで、日本が災害の多い国であることを考えると、所蔵品を分散することには大きな意味があるでしょう。
2018年7月14日(土)~9月30日(日)午前9時半~午後5時
祝日・振り替え休日を除く月曜休み。7月17日・8月14日・9月18日・9月25日いずれも火曜日休み
江別市セラミックアートセンター(西野幌)
一般500円、高大生200円
江別市セラミックアートセンターへのアクセス(都市間高速バス「野幌」からの道順)
>工芸館は金沢に移転されることが決まっています。
ええっ、これは知らなかったです。
何回か工芸館は見ていますが、金沢に行くきっかけになるかもしれません。
https://mainichi.jp/articles/20170901/k00/00e/040/205000c