結局、27日夜は、北海道美術ネット(いわゆる本館)の表紙の更新に午前3時までかかってしまった。
28日は朝9時に家を出発して、新さっぽろギャラリーの小笠原み蔵さんの木彫展を見に行くつもりであったが、寝坊。
老人が連日のハードスケジュールに耐えられるわけがない(と言い訳)。
行きのバスでも、なんだかくたびれていて、持参した新聞を読む気がしない。
HOKUSEN ギャラリーivory、gallery new starをへて、FAB CAFEの2階にある「十一月」へ。
古ぼけた階段に本棚が置かれ、300円均一の古本がならんでいる。
その中に、原田康子「挽歌」(東書房版)があった。
原田康子さんはことし10月20日亡くなった小説家である。
「挽歌」は、初期の代表作で、1956年に出版され、70万部を超えるベストセラーになった。
いまでも文庫本で読むことができるが、最初の版である東書房版は、意外と古書店の店頭で見ることは少ない。
筆者は、生前の原田さんにお会いしたのは2度ほどしかないし、「挽歌」のほかに読んだ本も数冊しかないので、あれこれ語る資格を持ち合わせていない。
ただ、故三浦綾子さんとならび、道内在住の女性小説家を代表する存在でありつづけたことは、まちがいない。
最後のページに、刊行当時の原田さんの写真が載っていた。
幣舞橋を見下ろす公園に、コートのえりを立ててたたずんでいる。
さびしげな風貌と風景が、旅情をさそう。
ちなみに、ほぼおなじ場所には現在、中江紀洋さんの彫刻「地殻交信機」が設置されている。
本を買い、十一月の中で、いとうみなこさんの写真展を見る。
どこかの炭鉱跡(明示されていない)の、銭湯の廃墟などを撮ったカラー写真が展示されていた。
おそらく初冬。夕張だろうか。
会場にふさわしい、廃墟っぽさを強調するのではない、静かなたたずまいの作品だった。
(この項続く)
28日は朝9時に家を出発して、新さっぽろギャラリーの小笠原み蔵さんの木彫展を見に行くつもりであったが、寝坊。
老人が連日のハードスケジュールに耐えられるわけがない(と言い訳)。
行きのバスでも、なんだかくたびれていて、持参した新聞を読む気がしない。
HOKUSEN ギャラリーivory、gallery new starをへて、FAB CAFEの2階にある「十一月」へ。
古ぼけた階段に本棚が置かれ、300円均一の古本がならんでいる。
その中に、原田康子「挽歌」(東書房版)があった。
原田康子さんはことし10月20日亡くなった小説家である。
「挽歌」は、初期の代表作で、1956年に出版され、70万部を超えるベストセラーになった。
いまでも文庫本で読むことができるが、最初の版である東書房版は、意外と古書店の店頭で見ることは少ない。
筆者は、生前の原田さんにお会いしたのは2度ほどしかないし、「挽歌」のほかに読んだ本も数冊しかないので、あれこれ語る資格を持ち合わせていない。
ただ、故三浦綾子さんとならび、道内在住の女性小説家を代表する存在でありつづけたことは、まちがいない。
最後のページに、刊行当時の原田さんの写真が載っていた。
幣舞橋を見下ろす公園に、コートのえりを立ててたたずんでいる。
さびしげな風貌と風景が、旅情をさそう。
ちなみに、ほぼおなじ場所には現在、中江紀洋さんの彫刻「地殻交信機」が設置されている。
本を買い、十一月の中で、いとうみなこさんの写真展を見る。
どこかの炭鉱跡(明示されていない)の、銭湯の廃墟などを撮ったカラー写真が展示されていた。
おそらく初冬。夕張だろうか。
会場にふさわしい、廃墟っぽさを強調するのではない、静かなたたずまいの作品だった。
(この項続く)