
(承前)
さらに買物公園を、旭川駅の反対側の方に歩きます。
本来は噴水の「手」が、買物公園の終点(起点)に設置されています。
この噴水は1972年、買物公園のオープンとともに、4条通りを超えてすぐの場所に置かれました。
250×250×100センチという、巨大な作品です。
当初は多くの通行人がいる環境で、まさに買物公園のシンボル的な存在でした。
日本人は、抽象彫刻よりも、何がモティーフかはっきりした作品を好むのも、シンボルであった一因かもしれません。
リニューアルとともに現在地に移動しました(おそらく消防車など、緊急時の妨げになるためでしょう)。
買物公園のどん詰まりのため、いまは人通りも少なく、なんだか静かな余生を過ごしているような印象です。
いやあ、画像を見ると、新型コロナウイルスのせいもあるけれど、ほんとに人通りがないなあ。
ずーっと奥に「開拓のイメージ」が望まれます。
(さすがに旭川駅はちょっと見えないな)

「禮」は「礼」の正字なので、作者名は「木内礼智」と書かれることもあります。
この彫刻家については、ネット上ではあまり多くの情報は出てきませんし、このシリーズで大いに頼りにしている『あさひかわと彫刻』にもまったく記述がありません。
断片的な情報をつなぎ合わせると、1931年(昭和6年)生まれ、千葉県出身で、東京藝大を卒業した日展系の彫刻家のようです。
東京家政大学名誉教授の由。
札幌・月寒公園の池の中に、水が出る壺を抱えた女性像がありますが、あれも木内さんの作品らしいです。
こうしてみると、買物公園にある野外彫刻はぜんぶで6点ということで、案外少ないなあというのが実感でした。
さらに買物公園を、旭川駅の反対側の方に歩きます。

この噴水は1972年、買物公園のオープンとともに、4条通りを超えてすぐの場所に置かれました。
250×250×100センチという、巨大な作品です。
当初は多くの通行人がいる環境で、まさに買物公園のシンボル的な存在でした。
日本人は、抽象彫刻よりも、何がモティーフかはっきりした作品を好むのも、シンボルであった一因かもしれません。
リニューアルとともに現在地に移動しました(おそらく消防車など、緊急時の妨げになるためでしょう)。
買物公園のどん詰まりのため、いまは人通りも少なく、なんだか静かな余生を過ごしているような印象です。
いやあ、画像を見ると、新型コロナウイルスのせいもあるけれど、ほんとに人通りがないなあ。
ずーっと奥に「開拓のイメージ」が望まれます。
(さすがに旭川駅はちょっと見えないな)

「禮」は「礼」の正字なので、作者名は「木内礼智」と書かれることもあります。
この彫刻家については、ネット上ではあまり多くの情報は出てきませんし、このシリーズで大いに頼りにしている『あさひかわと彫刻』にもまったく記述がありません。
断片的な情報をつなぎ合わせると、1931年(昭和6年)生まれ、千葉県出身で、東京藝大を卒業した日展系の彫刻家のようです。
東京家政大学名誉教授の由。
札幌・月寒公園の池の中に、水が出る壺を抱えた女性像がありますが、あれも木内さんの作品らしいです。
こうしてみると、買物公園にある野外彫刻はぜんぶで6点ということで、案外少ないなあというのが実感でした。
(この項続く)