
北広島の陶芸家、松原成樹さんが「測りあえるほどに」という副題をもつ個展を開いている。
茶廊法邑での個展は初めてとのこと。天井の高い展示会場に、松原さんのオブジェがちょうどよい間隔を置いて配置され、緊張感のある空間が現出している。
副題をつけるときに松原さんの脳裡には武満徹のエッセー集の書名があったのかもしれないと思う。
いつものように、うつわは1点もない。

台の上に、棺をイメージした直方体と、微妙なまるさを持ったかたちが並んでいる。
「球でも卵でもない、ぼくの中では一番しっくりいくかたち。これ以上シンプルにすると、作れなくなっちゃうけどね」
と松原さん。
棺のてっぺんの部分には、切れ込みが入っている。文字の起源であろう一本の線への関心が松原さんの中で持続しているのだろう。
この線は、文字の始原であるばかりでなく、絵のはじまりであり、人間の認識の出発点の象徴でもある。

会場のいちばん奥に鎮座していた。
松原さんの作品は、石のように見える(ほんとうに石の彫刻だと思っている人もいた)。
焼成の後、何種類かのサンドペーパーを駆使して、表面をひたすら研磨する。鈍い光沢は、このような地道な作業の末に生まれている。
松原さんは、腱鞘炎になると苦笑していたが…。
石棺のような形は、焼成前の成形には30分ほどしかかけず、焼きあがってからのサンドペーパーがけに時間を費やすという。

手前に、青白釉を用いた、手の上に小鳥が載っている情景を描いた立体が3点だけあった。
サンドペーパーを動かす手の方向が同じなので、表面の細かい線が、油彩のタッチ(筆触)のようにも見える。あるいは、レンブラントなどのエッチングの線描にも共通するものがあると、松原さんはおっしゃる。
「作っているときは、こういうのがほんとうに楽しいんですよ」
「パブロ・カザルスを思い出しますね」
と言うと
「あ、それは考えなかったな。でも、いいな、それいただき」
と笑う松原さん。
「鳥を飼っているわけではないけど、友人の小鳥が肩にのったときの感触は今でもはっきり覚えています」
実在することの重みと、飛翔することで重みを帳消しにすることとの、矛盾の間にあるのが、鳥という概念なんだろうと思う。

棺というと、田村隆一、小谷博貞を思い出すし、石棺というとこんどはチェルノブイリだけど、直接的には今回の作品には関係ないと思う。
松原さんの作品にじかに対峙して頭に浮かんでくるのはむしろ、「もの」が存在することとはどういうことか―という、哲学的な問いである。
そういう根源的な問いに、言語ではなく、美術で答えを提示しているのが、松原さんの表現行為なのだとはいえまいか。
2013年10月26日(土)~11月3日(日)午前10時~午後6時(最終日~5時)
茶廊法邑(東区本町1の1)
【告知】松原成樹展 (10月25~30日、札幌)=2010年5月、北広島での個展の様子も紹介
■松原成樹展 (2009年7月)
■美水まどか・松原成樹 「余白から」展 (2008年11月)
■はしご展(2008年9-10月)=松原さん出品、プロデュース
■松原成樹展(08年7月)
■OPERA Exhibition vol.2
■松原成樹展(07年7月)
■松原成樹展(06年)
■三羽の会「棲むもの」 (06年)
■松原成樹展(03年)
■企画展「九つの箱」(02年)
参考
ガレリアセラミカの関連サイト http://inax.lixil.co.jp/Culture/ceramica/1999/05matsubara.html
・地下鉄東豊線「環状通東」駅から約790メートル、徒歩9分
・札幌駅北口か環状通東駅から、中央バス「東64 伏古北口線」に乗り、「本町1条2丁目」降車。約180メートル、徒歩3分
(1時間に1本)
・中央バス札幌ターミナルから中央バス「26 丘珠空港線」に乗り、「北13条東15丁目」降車。約460メートル、徒歩6分。なおこの路線は、環状通東、元町、新道東、栄町の東豊線各駅とも連絡
・地下鉄南北線「北18条駅」から中央バス「東62 本町線」に乗り「本町2条1丁目」から約450メートル、徒歩6分
茶廊法邑での個展は初めてとのこと。天井の高い展示会場に、松原さんのオブジェがちょうどよい間隔を置いて配置され、緊張感のある空間が現出している。
副題をつけるときに松原さんの脳裡には武満徹のエッセー集の書名があったのかもしれないと思う。
いつものように、うつわは1点もない。

台の上に、棺をイメージした直方体と、微妙なまるさを持ったかたちが並んでいる。
「球でも卵でもない、ぼくの中では一番しっくりいくかたち。これ以上シンプルにすると、作れなくなっちゃうけどね」
と松原さん。
棺のてっぺんの部分には、切れ込みが入っている。文字の起源であろう一本の線への関心が松原さんの中で持続しているのだろう。
この線は、文字の始原であるばかりでなく、絵のはじまりであり、人間の認識の出発点の象徴でもある。

会場のいちばん奥に鎮座していた。
松原さんの作品は、石のように見える(ほんとうに石の彫刻だと思っている人もいた)。
焼成の後、何種類かのサンドペーパーを駆使して、表面をひたすら研磨する。鈍い光沢は、このような地道な作業の末に生まれている。
松原さんは、腱鞘炎になると苦笑していたが…。
石棺のような形は、焼成前の成形には30分ほどしかかけず、焼きあがってからのサンドペーパーがけに時間を費やすという。

手前に、青白釉を用いた、手の上に小鳥が載っている情景を描いた立体が3点だけあった。
サンドペーパーを動かす手の方向が同じなので、表面の細かい線が、油彩のタッチ(筆触)のようにも見える。あるいは、レンブラントなどのエッチングの線描にも共通するものがあると、松原さんはおっしゃる。
「作っているときは、こういうのがほんとうに楽しいんですよ」
「パブロ・カザルスを思い出しますね」
と言うと
「あ、それは考えなかったな。でも、いいな、それいただき」
と笑う松原さん。
「鳥を飼っているわけではないけど、友人の小鳥が肩にのったときの感触は今でもはっきり覚えています」
実在することの重みと、飛翔することで重みを帳消しにすることとの、矛盾の間にあるのが、鳥という概念なんだろうと思う。

棺というと、田村隆一、小谷博貞を思い出すし、石棺というとこんどはチェルノブイリだけど、直接的には今回の作品には関係ないと思う。
松原さんの作品にじかに対峙して頭に浮かんでくるのはむしろ、「もの」が存在することとはどういうことか―という、哲学的な問いである。
そういう根源的な問いに、言語ではなく、美術で答えを提示しているのが、松原さんの表現行為なのだとはいえまいか。
2013年10月26日(土)~11月3日(日)午前10時~午後6時(最終日~5時)
茶廊法邑(東区本町1の1)
【告知】松原成樹展 (10月25~30日、札幌)=2010年5月、北広島での個展の様子も紹介
■松原成樹展 (2009年7月)
■美水まどか・松原成樹 「余白から」展 (2008年11月)
■はしご展(2008年9-10月)=松原さん出品、プロデュース
■松原成樹展(08年7月)
■OPERA Exhibition vol.2
■松原成樹展(07年7月)
■松原成樹展(06年)
■三羽の会「棲むもの」 (06年)
■松原成樹展(03年)
■企画展「九つの箱」(02年)
参考
ガレリアセラミカの関連サイト http://inax.lixil.co.jp/Culture/ceramica/1999/05matsubara.html
・地下鉄東豊線「環状通東」駅から約790メートル、徒歩9分
・札幌駅北口か環状通東駅から、中央バス「東64 伏古北口線」に乗り、「本町1条2丁目」降車。約180メートル、徒歩3分
(1時間に1本)
・中央バス札幌ターミナルから中央バス「26 丘珠空港線」に乗り、「北13条東15丁目」降車。約460メートル、徒歩6分。なおこの路線は、環状通東、元町、新道東、栄町の東豊線各駅とも連絡
・地下鉄南北線「北18条駅」から中央バス「東62 本町線」に乗り「本町2条1丁目」から約450メートル、徒歩6分