(承前)
先日のエントリが、あまりにミクロ的というか、マニアックだったので、展覧会の全体像についてすこし補足しておきます。
会場に入ると、まずは所蔵品による名作コーナー。
特別展のときは、2階の最後に設けられていることが多いと思うのですが、今回は冒頭でまとめて「檸檬持てる少女」「蝶」などを見せちゃいます。
階段入り口をすぎて、壁がななめになっている大きな展示スペースから、特別展がスタート。
第1部は「造形としての<オーケストラ>」。
三岸好太郎の代表作にして、表面をひっかいた線で交響楽団の演奏会を描き上げた「オーケストラ」と、同館が所蔵するデッサンやエスキスを展示。
宮城県美術館が所蔵する好太郎の「オーケストラ」ももちろん並んでいます。
ご存じの方も多いと思いますが、こちらは、ひっかいた線のほかに黒い線も描き込まれています。
いずれも、即興的な、スピーディーな線で、その描法からして音楽を意識しているといえるでしょう。
このセクションには、好太郎のコラージュなど、同時代の前衛的な作品や、宮城県美が所蔵するカンディンスキーの版画なども展示されています。
マン・レイによるシェーンベルク(20世紀西洋音楽の巨匠)の肖像写真(1926年)や、大辻清司が山田耕筰らをとらえた写真も、いずれも札幌コンサートホールKitara から借りて壁に掛けられていましたが、版権の関係なのか、図録には収録されていません。
2階に上ると、第2部「三岸を<オーケストラ>にいざなった人びと」。
好太郎の親友で早逝した俣野第四郎をはじめ、久保守「リュートのある室内」や、本郷新の首「音楽生」といった同世代の画家・彫刻家の作品が陳列されています。
前項で書いた、好太郎とともに演奏会へ赴いた女性作曲家のパイオニア吉田隆子による自筆楽譜も、このコーナーです。
2階の後半、最後が第3部「札幌・東京芸術家群像」です。
このセクションは、フランク・ロイド・ライトのもとで帝国ホテル建築に携わった、道内の建築家の草分け田上義也の建築図面が多くを占めています。
明治学院大から借りてきた、伊福部昭の自筆楽譜なども展示されていました。
ところで。
皆さんは疑問に思わないでしょうか。
いや、思わないのなら、それでいいんですが。
この展覧会のテーマは、要するに「三岸好太郎と音楽」ということですが、取り上げられているのは、札幌コンサートホール Kitara で演奏されるような西洋音楽ばかりです。
これは、強いてジャンル分けすれば「クラシック音楽」ということになるのでしょうが、その「クラシック」という言葉も今度の展覧会にはほとんど使われていません。
現代の私たちのまわりには、ジャズやロック、ポップス、ヒップホップといったさまざまな音楽があふれています。
しかし、大まかに言えば、20世紀前半まではインテリやアーティストがじっくり聴くに堪える音楽は、いわゆる「西洋音楽」しかなかった(あるいは、そう思われていた)のです。
1950年代にモダンジャズが隆盛期を迎える前は、ジャズはほとんど騒音と同義と思われていたという時代背景抜きには、例えばドイツの思想家アドルノのジャズ嫌い発言を理解できないでしょう。
ロックはそもそも50年代に生まれた音楽です。60年代に入っても、例えばビートルズは社会現象として取り上げられることはあっても、音楽としてまともに論じられることは全くといっていいほどなかったようです。
それらの音楽がレコードなどの再生手段の普及とともに高度化・多様化していくのとは反対に、同時代の西洋音楽は「現代音楽」となって聴衆離れが起きました。そして、古い(シェーンベルク以前)西洋音楽を「クラシック音楽」としてカテゴライズし、鑑賞する層が一定数生まれたのです。
いま「シェーンベルク以前」と書きました。これは相当乱暴なまとめ方ではありますが、アートにおける「デュシャン以前」と事情がよく似ています。「デュシャン以後」が「現代美術」になるようなものです。詩も音楽も美術も、上に「現代」が附くと、一般の人々にとっては分かりづらく取っつきにくいものになってしまうのではないでしょうか。
なので、三岸好太郎の世代の人が、単に「音楽」というとき、わたしたちが聴いたら眠ってしまいそうないわゆる「西洋音楽」「クラシック音楽」をさすのは、やむを得ないというべきでしょう。
(現代の人が単に「音楽」といって「クラシック音楽」のことをいうのであれば、ちょっとカチンとくるけどね)
先日のエントリが、あまりにミクロ的というか、マニアックだったので、展覧会の全体像についてすこし補足しておきます。
会場に入ると、まずは所蔵品による名作コーナー。
特別展のときは、2階の最後に設けられていることが多いと思うのですが、今回は冒頭でまとめて「檸檬持てる少女」「蝶」などを見せちゃいます。
階段入り口をすぎて、壁がななめになっている大きな展示スペースから、特別展がスタート。
第1部は「造形としての<オーケストラ>」。
三岸好太郎の代表作にして、表面をひっかいた線で交響楽団の演奏会を描き上げた「オーケストラ」と、同館が所蔵するデッサンやエスキスを展示。
宮城県美術館が所蔵する好太郎の「オーケストラ」ももちろん並んでいます。
ご存じの方も多いと思いますが、こちらは、ひっかいた線のほかに黒い線も描き込まれています。
いずれも、即興的な、スピーディーな線で、その描法からして音楽を意識しているといえるでしょう。
このセクションには、好太郎のコラージュなど、同時代の前衛的な作品や、宮城県美が所蔵するカンディンスキーの版画なども展示されています。
マン・レイによるシェーンベルク(20世紀西洋音楽の巨匠)の肖像写真(1926年)や、大辻清司が山田耕筰らをとらえた写真も、いずれも札幌コンサートホールKitara から借りて壁に掛けられていましたが、版権の関係なのか、図録には収録されていません。
2階に上ると、第2部「三岸を<オーケストラ>にいざなった人びと」。
好太郎の親友で早逝した俣野第四郎をはじめ、久保守「リュートのある室内」や、本郷新の首「音楽生」といった同世代の画家・彫刻家の作品が陳列されています。
前項で書いた、好太郎とともに演奏会へ赴いた女性作曲家のパイオニア吉田隆子による自筆楽譜も、このコーナーです。
2階の後半、最後が第3部「札幌・東京芸術家群像」です。
このセクションは、フランク・ロイド・ライトのもとで帝国ホテル建築に携わった、道内の建築家の草分け田上義也の建築図面が多くを占めています。
明治学院大から借りてきた、伊福部昭の自筆楽譜なども展示されていました。
ところで。
皆さんは疑問に思わないでしょうか。
いや、思わないのなら、それでいいんですが。
この展覧会のテーマは、要するに「三岸好太郎と音楽」ということですが、取り上げられているのは、札幌コンサートホール Kitara で演奏されるような西洋音楽ばかりです。
これは、強いてジャンル分けすれば「クラシック音楽」ということになるのでしょうが、その「クラシック」という言葉も今度の展覧会にはほとんど使われていません。
現代の私たちのまわりには、ジャズやロック、ポップス、ヒップホップといったさまざまな音楽があふれています。
しかし、大まかに言えば、20世紀前半まではインテリやアーティストがじっくり聴くに堪える音楽は、いわゆる「西洋音楽」しかなかった(あるいは、そう思われていた)のです。
1950年代にモダンジャズが隆盛期を迎える前は、ジャズはほとんど騒音と同義と思われていたという時代背景抜きには、例えばドイツの思想家アドルノのジャズ嫌い発言を理解できないでしょう。
ロックはそもそも50年代に生まれた音楽です。60年代に入っても、例えばビートルズは社会現象として取り上げられることはあっても、音楽としてまともに論じられることは全くといっていいほどなかったようです。
それらの音楽がレコードなどの再生手段の普及とともに高度化・多様化していくのとは反対に、同時代の西洋音楽は「現代音楽」となって聴衆離れが起きました。そして、古い(シェーンベルク以前)西洋音楽を「クラシック音楽」としてカテゴライズし、鑑賞する層が一定数生まれたのです。
いま「シェーンベルク以前」と書きました。これは相当乱暴なまとめ方ではありますが、アートにおける「デュシャン以前」と事情がよく似ています。「デュシャン以後」が「現代美術」になるようなものです。詩も音楽も美術も、上に「現代」が附くと、一般の人々にとっては分かりづらく取っつきにくいものになってしまうのではないでしょうか。
なので、三岸好太郎の世代の人が、単に「音楽」というとき、わたしたちが聴いたら眠ってしまいそうないわゆる「西洋音楽」「クラシック音楽」をさすのは、やむを得ないというべきでしょう。
(現代の人が単に「音楽」といって「クラシック音楽」のことをいうのであれば、ちょっとカチンとくるけどね)