
(長文です)
すでにこのブログでもお伝えしたとおり、札幌では老舗の貸しギャラリーである「大同ギャラリー」が3月29日限りで営業を終えます。
ギャラリーが入っている、中央区北3西3の大同生命ビルが、老朽化のため建て替えとなるためです。
新しいビルは2019年完成の予定とされています。
2015年7月1日の北海道新聞経済面には次のように書かれています。
このビルが完成したときには話題になりました。
3、4階の壁が外されたようになっていて、木が植えられているのが外からでも見えるのです。いわば空中庭園です。
また、今となっては信じがたいかもしれませんが、1975年当時、11階よりも高いビルは札幌市内には、市役所など数えるほどしかなかったのです。大同生命ビルは屈指の高層ビルだったのです。
大同ギャラリーは、その3階と4階にあります。
空中庭園のほかに、特徴として、地下から3階のギャラリー入り口まで続く螺旋階段があります。
ビルの正面、すなわち南西側の、北3条と駅前通が交差する十字路に面した側に、大きな円筒があり、螺旋階段はその中にありました。
螺旋階段の入り口の右側には、ギャラリーの日程が表示されています。
自動ドアから入ると、すぐに螺旋階段になっています。
なお、郵便局など1階のテナントや、エレベーターに通じる出入り口は、東側に別にありました。
階段の途中に、2階のテナントに通じる入り口があります。
てっぺんが空中庭園です。
どちらかというと北3条通側の方が長く続き、バルコニーのようになっています。
大同ギャラリーの出入り口もあります。左手には、本郷新の彫刻「鳥を抱く女」が置かれています。
出入り口を入ると、左側に、4週間分の予定が貼ってありました。
予定を掲示するギャラリーはいくつかありますが、札幌でこんなに本格的な予定表掲示板があるギャラリーは、「大同」とさいとうギャラリーぐらいなものです。
中に入ると、こんな感じ。
大同ギャラリーの最大の特徴は、中がメゾネットになっていることでしょう。
下のフロアの手前の部分が、吹き抜けになっています。
上のフロアには、内部の階段から上ります。
左側の画像に見えています。壁は大理石で、重厚な感じです。
上下のフロアを、同じ展覧会で使っている場合もあり、別々の展覧会で借りている場合もあります。
下のフロアの芳名帳は、入り口と階段の間の、左側の壁に沿って、置くことがほとんどのようです。
上のフロアは、螺旋階段では行けませんし、エレベーターもとまりません。
(搬入搬出に使う業務用エレベーターは4階にもとまります)
画像は、4階から見た吹き抜け部分。
窓を通して、空中庭園の木の枝が見え、その奥には、札幌のメーンストリートである駅前通(4丁目通)が見えます。
また、右下に見えるのが出入り口。
北海道によくありますが、扉が二重になっています。外側は自動ドア、内側は手で押すタイプのドアです。
ドアとドアの間に、前述の予定掲示板があります。
左下は、エレベーターホールへと続く、窓際の通路につながっています。
通路は、ギャラリー3階の壁と、大きなガラス窓に挟まれており、そのさらに外側が、空中庭園のバルコニーです。
通路の壁には、美術展のポスターなどが貼られ、ガラス窓側の台の上には、案内状やチラシなどが置かれています。
庭園の茂みの中には、峯田敏郎さんの彫刻「唄う女」が、ひっそりと設置されています。

エレベーターホール側(東側)にも、空中庭園への出入り口がありますが、近年は施錠されていたようです。
さて、こうして見下ろしてみると、ギャラリーの中は無地のカーペットが敷かれていますが、その外側は、派手な文様で覆われていることに気づきます。
2月にこの会場で個展を開いた益村信子さんから聞いたお話ですが、空中庭園と、この派手な床が、設計者の黒川氏がこだわった点だというのです。
本来であれば、3、4階の床もこの文様になっているはずでした。
しかし、この両フロアは当初別の用途につかわれており、少し遅れてギャラリーになったというのが益村さんのお話です。
ただし、同ギャラリーのサイトには、オープンは1975年8月と記されております。
たしかに、3階も4階も、壁に凹凸があるなど、ギャラリーのつくりとしてはちょっと変なところがあるのは否めません。
4階の、控え室のように使われている空間と展示空間の間の壁も、いささか不自然ではあります。
これは、最初は空中庭園が見える喫茶店か何かで、あとから壁をつけたのではないか。そのときに、ギャラリーに使うにはあまりにウルサイ床も改装したのではないか…。
というのが、益村さんの見立てです。
筆者は往時を知らないので、なんともいえないのですが。
メゾネット形式ですから、階段の踊り場にも絵がかけられるようになっていました。
また、自然光がなんとなく入ってくることも、このギャラリーのひそかな人気の秘密だったと思います。
吹き抜けのほうは、あまり活用されておらず、筆者が知る限り、1998年ごろの新道展企画展で、この空間に巨大なドローイングを展示したことがあったぐらいです。
なお、大同ギャラリーは基本的に「貸し」でしたが、道展、全道展、新道展の道内3大団体公募展には毎年、企画が行えるように便宜を図っていたようです。

ギャラリーの外側にある空中庭園です。
先述したように、東側の出入り口が閉ざされてしまっていますが、かつて、東側のスペースには喫茶店がありました。そのころには、東側の入り口もあいていたと記憶しています。
話は少しそれますが、ギャラリーのそばに喫茶店があるのはとても便利なことです。
作品を見に来たお客さんに、自分たちで茶を入れるのもいいですが、近くの喫茶店にコーヒーをテイクアウトしてくれるように頼めるからです。また、お客さんと喫茶店に行って話に興じることもできます(グループ展なら、留守番の人が、何かあったらすぐに呼び戻せます)。
かつては、スカイホールの階にも喫茶店がありました。エレベーターのすぐ前の空間です。
また、札幌時計台ギャラリーの場合、となりのロックフォールカフェが、ときどきテイクアウトをしているようです。
しかし「ギャラリー横の喫茶店文化」も過去のものとなりました。
いまは、郊外のギャラリーがカフェを併設するというのが、よくあるスタイルとなっていますね。
このスペースは、その後、「写真ギャラリー いとしさ」になったり、カートのお店になったりしました。いずれも短命におわり、この数年はずっと空いていたように記憶しています。
さて、じつは筆者は、螺旋階段はあまり利用せず、もっぱらエレベーターを利用していました。
2011年3月には、駅前通地下歩行空間(チ・カ・ホ)が、大同生命ビルと直結しました。
札幌のギャラリーで、地下から直結で入れるところは、大同ギャラリー、キヤノンギャラリー、テラス計画などきわめて少数です。
地下入り口に表示があるのは、大同だけだと思います。
大同ギャラリーがオープンしたころは、札幌市内には、時計台、大丸(現スカイホール)、HBC3条ビルなど、限られたギャラリーしかありませんでした。
札幌の「多ギャラリー化」(という語があるとしたら)の先鞭をつけたのが大同ギャラリーといえるかもしれません。
毎週木曜から火曜まで(午前10時~午後6時)で、土日もあいているのも強みでした(もっとも、オフィス街なので、土日はお客さんは少なかったらしい)。借り賃も比較的安く、絵画、現代美術、工芸などさまざまな分野で好んでいた人たちは多いと思います。
(たとえば「New Point」とか、来年からどうするんだろう?)

大同ギャラリーよ、ありがとう。さらば!
(もっと昔の話をすれば、この大同生命ビル前の交叉点は、駅前通から苗穂駅前行きの市電が分岐するところだったんだよな。ただし、西4丁目・山鼻と苗穂駅を結ぶ路線なので、札幌駅前から来て曲がることはできなかった。ビルの場所には「パーラー石田屋」というお店があって、パフェなどがおいしかったんだよね)
関連記事へのリンク
札幌時計台、たぴお、大同の各ギャラリーがない札幌アートシーンとはどんな世界なんだろう (2016年2月4日の記事)
ギャラリーたぴお、4月で終了

ギャラリーが入っている、中央区北3西3の大同生命ビルが、老朽化のため建て替えとなるためです。
新しいビルは2019年完成の予定とされています。
2015年7月1日の北海道新聞経済面には次のように書かれています。
現在のビルは1975年8月に完成し、地下2階、地上12階建て。鉄骨鉄筋コンクリート延べ床面積約1万3600平方メートル。建築家の故黒川紀章氏が設計したことで知られ、飲食店やオフィス、ギャラリーなどとして活用してきた。
同社はビルの老朽化に加え、耐震性の強化や災害時の電力供給能力を高めるため、建て替えを決めたという。
このビルが完成したときには話題になりました。
3、4階の壁が外されたようになっていて、木が植えられているのが外からでも見えるのです。いわば空中庭園です。
また、今となっては信じがたいかもしれませんが、1975年当時、11階よりも高いビルは札幌市内には、市役所など数えるほどしかなかったのです。大同生命ビルは屈指の高層ビルだったのです。
大同ギャラリーは、その3階と4階にあります。
空中庭園のほかに、特徴として、地下から3階のギャラリー入り口まで続く螺旋階段があります。
ビルの正面、すなわち南西側の、北3条と駅前通が交差する十字路に面した側に、大きな円筒があり、螺旋階段はその中にありました。


なお、郵便局など1階のテナントや、エレベーターに通じる出入り口は、東側に別にありました。
階段の途中に、2階のテナントに通じる入り口があります。
てっぺんが空中庭園です。
どちらかというと北3条通側の方が長く続き、バルコニーのようになっています。
大同ギャラリーの出入り口もあります。左手には、本郷新の彫刻「鳥を抱く女」が置かれています。

予定を掲示するギャラリーはいくつかありますが、札幌でこんなに本格的な予定表掲示板があるギャラリーは、「大同」とさいとうギャラリーぐらいなものです。


下のフロアの手前の部分が、吹き抜けになっています。
上のフロアには、内部の階段から上ります。
左側の画像に見えています。壁は大理石で、重厚な感じです。
上下のフロアを、同じ展覧会で使っている場合もあり、別々の展覧会で借りている場合もあります。
下のフロアの芳名帳は、入り口と階段の間の、左側の壁に沿って、置くことがほとんどのようです。

(搬入搬出に使う業務用エレベーターは4階にもとまります)
画像は、4階から見た吹き抜け部分。
窓を通して、空中庭園の木の枝が見え、その奥には、札幌のメーンストリートである駅前通(4丁目通)が見えます。
また、右下に見えるのが出入り口。
北海道によくありますが、扉が二重になっています。外側は自動ドア、内側は手で押すタイプのドアです。
ドアとドアの間に、前述の予定掲示板があります。
左下は、エレベーターホールへと続く、窓際の通路につながっています。
通路は、ギャラリー3階の壁と、大きなガラス窓に挟まれており、そのさらに外側が、空中庭園のバルコニーです。
通路の壁には、美術展のポスターなどが貼られ、ガラス窓側の台の上には、案内状やチラシなどが置かれています。
庭園の茂みの中には、峯田敏郎さんの彫刻「唄う女」が、ひっそりと設置されています。

エレベーターホール側(東側)にも、空中庭園への出入り口がありますが、近年は施錠されていたようです。
さて、こうして見下ろしてみると、ギャラリーの中は無地のカーペットが敷かれていますが、その外側は、派手な文様で覆われていることに気づきます。
2月にこの会場で個展を開いた益村信子さんから聞いたお話ですが、空中庭園と、この派手な床が、設計者の黒川氏がこだわった点だというのです。
本来であれば、3、4階の床もこの文様になっているはずでした。
しかし、この両フロアは当初別の用途につかわれており、少し遅れてギャラリーになったというのが益村さんのお話です。
ただし、同ギャラリーのサイトには、オープンは1975年8月と記されております。

4階の、控え室のように使われている空間と展示空間の間の壁も、いささか不自然ではあります。

というのが、益村さんの見立てです。
筆者は往時を知らないので、なんともいえないのですが。

また、自然光がなんとなく入ってくることも、このギャラリーのひそかな人気の秘密だったと思います。
吹き抜けのほうは、あまり活用されておらず、筆者が知る限り、1998年ごろの新道展企画展で、この空間に巨大なドローイングを展示したことがあったぐらいです。
なお、大同ギャラリーは基本的に「貸し」でしたが、道展、全道展、新道展の道内3大団体公募展には毎年、企画が行えるように便宜を図っていたようです。

ギャラリーの外側にある空中庭園です。

話は少しそれますが、ギャラリーのそばに喫茶店があるのはとても便利なことです。
作品を見に来たお客さんに、自分たちで茶を入れるのもいいですが、近くの喫茶店にコーヒーをテイクアウトしてくれるように頼めるからです。また、お客さんと喫茶店に行って話に興じることもできます(グループ展なら、留守番の人が、何かあったらすぐに呼び戻せます)。
かつては、スカイホールの階にも喫茶店がありました。エレベーターのすぐ前の空間です。
また、札幌時計台ギャラリーの場合、となりのロックフォールカフェが、ときどきテイクアウトをしているようです。
しかし「ギャラリー横の喫茶店文化」も過去のものとなりました。
いまは、郊外のギャラリーがカフェを併設するというのが、よくあるスタイルとなっていますね。
このスペースは、その後、「写真ギャラリー いとしさ」になったり、カートのお店になったりしました。いずれも短命におわり、この数年はずっと空いていたように記憶しています。

2011年3月には、駅前通地下歩行空間(チ・カ・ホ)が、大同生命ビルと直結しました。

地下入り口に表示があるのは、大同だけだと思います。
大同ギャラリーがオープンしたころは、札幌市内には、時計台、大丸(現スカイホール)、HBC3条ビルなど、限られたギャラリーしかありませんでした。
札幌の「多ギャラリー化」(という語があるとしたら)の先鞭をつけたのが大同ギャラリーといえるかもしれません。
毎週木曜から火曜まで(午前10時~午後6時)で、土日もあいているのも強みでした(もっとも、オフィス街なので、土日はお客さんは少なかったらしい)。借り賃も比較的安く、絵画、現代美術、工芸などさまざまな分野で好んでいた人たちは多いと思います。
(たとえば「New Point」とか、来年からどうするんだろう?)

大同ギャラリーよ、ありがとう。さらば!
(もっと昔の話をすれば、この大同生命ビル前の交叉点は、駅前通から苗穂駅前行きの市電が分岐するところだったんだよな。ただし、西4丁目・山鼻と苗穂駅を結ぶ路線なので、札幌駅前から来て曲がることはできなかった。ビルの場所には「パーラー石田屋」というお店があって、パフェなどがおいしかったんだよね)
関連記事へのリンク
札幌時計台、たぴお、大同の各ギャラリーがない札幌アートシーンとはどんな世界なんだろう (2016年2月4日の記事)
ギャラリーたぴお、4月で終了
ちょっと異次元空間を味わえました。
多少、呼吸がみだれましたが・・・
いい味出してましたね。
いよいよ、サヨナラです。感謝、感謝・・・
また、益村さんの個展のときに撮らせてもらった写真を使いました。
大同ギャラリーに「ありがとう」ですが、益村さんにも「感謝、感謝」です!
ギャラリーの空間自体がこんなに写真に撮って楽しいところは、ほかにあんまりないでしょうね。
大同ギャラリー、ついに、もう閉館してしまいましたね。
同じタイトルの記事を書いてしまいましたので、TBさせていただきました。
この先、時計台ギャラリー、たぴおの件もありますし、大通-札幌間を歩くことが少なくなっていきそうです。
なくなる画廊が大通公園の北側に集中しているのは偶然でしょうが、たしかに歩くことは減るかもしれません。
グランビスタ、ぱーとな、北星信金、キヤノンギャラリー、書道美術館、クロスホテル、道銀駅前支店など、駅前通付近にもそれなりにあるんですけど。
やはり、さびしいですね。
ただ、グランビスタだけなら大通側、道銀駅前支店だけなら札幌駅側のみという感じです。
また、キヤノンは土曜日に空いていないので私は行けませんし、ぱーとなは食事込みと思うとなかなか行かず、書道美術館・クロスホテルは毎週行くところでもなく、というところです。
北星信金で展示しているのは知りませんでした。見たことがないです。
キヤノンは、ふつうのサラリーマンはちょっと行けないですよね。夕方6時に閉まりますからね。
あと、テラス計画も駅前通沿いですか。
北星信用金庫には、3か月ごとに北海道陶芸会の会員の作品を展示しているので、通りがかった際にぜひ。
http://blog.goo.ne.jp/h-art_2005/e/453dd315d002593941221f5da6cb81f8
話は変わりますが、ぱーとなのハンバーグって、昭和ですよね。肉の風味を生かしたハンバーグが全盛のなか、マルシンハンバーグのように肉をならした味わいは、昔ふうです。
北星信金の件、ヤナイさんの記事を思い出しました。今度、のぞいて見ます。
ぱーとなのハンバーグですが、あれはいいです。
敷島ビルのエーデルワイスと並んで、あのあたりの昭和味の代表格ではないでしょうか。
画像にある螺旋階段をずいぶん上りました。空中庭園で休憩したり、峯田敏郎作「唄う女」を見つけて、嬉しかったです。
札幌駅近くで、時計台ギャラリー→大同ギャラリー→たびお→STV北2条ビルエントランスアート・・から、地下鉄東豊線へ、私のギャラリーコースでしたが、閉館でさびしくなりましたね。
休日は、これまで歩いていたさっぽろと大通の間は、ドニチカを利用してひと駅だけ地下鉄に乗るというパターンが増えるかもしれません。
わたしはエレベーターでのぼることが多かったので、螺旋階段をのぼっていらしたという怜なさんに敬服します。