
8月に亡くなった画家、笹山峻弘さんの個展。
葬儀の会場を出たところでいただいた案内状には、「遺作展」などの文字はまったくない。
アトリエの住所と電話番号が記されているということは、変な言い方になるが、直前まで、笹山さんは生きてこの個展に臨むつもりだったのだろう。
しかし、実際には先ごろ銀座で個展を終えた後に倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまった。
悲しいし、人の運命というのはわからないものだ。
案内状の裏面には略歴が書かれている。
1946 礼文島香深出身
1970-71 米国を経て欧州に渡りパリに住む
1974-75 渡欧、パリに住む
1977 渡米、サンフランシスコに住む-メキシコ等を歩く
1990 インド取材始まる
2002 稚内市立図書館レリーフ「海峡」制作
2007 チベット取材
個展 東京、札幌、大阪、岐阜など
表面には「白い村(ラダック・チェムディ) 岩絵具 194.0cm×130.3cm」。
相当な大きさに、北インド~チベットの村と、青い空に浮かぶ曼荼羅が描かれている。
笹山さんの魂も、通い詰めたインドの地に還っているのだろうか。
2013年9月10日(火)~15日(日)午前10時~午後7時(最終日~午後5時)
スカイホール(中央区南1西3 大丸藤井セントラル7階)
関連する記事へのリンク
笹山峻弘さん死去の報
■ギャラリー山の手を彩った作家展 II (2009)
■2008日本画の「現在」展
■笹山峻弘展 インド・チベット紀行(08年5月)
■笹山峻弘展(06年)
■第2回 風展(05年) ■こちらにも画像=笹山さん出品
■笹山峻弘個展(04年、画像なし)
■笹山峻弘日本画展(03年、画像なし)
■笹山峻弘個展 インド紀行(02年)
葬儀の会場を出たところでいただいた案内状には、「遺作展」などの文字はまったくない。
アトリエの住所と電話番号が記されているということは、変な言い方になるが、直前まで、笹山さんは生きてこの個展に臨むつもりだったのだろう。
しかし、実際には先ごろ銀座で個展を終えた後に倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまった。
悲しいし、人の運命というのはわからないものだ。
案内状の裏面には略歴が書かれている。
1946 礼文島香深出身
1970-71 米国を経て欧州に渡りパリに住む
1974-75 渡欧、パリに住む
1977 渡米、サンフランシスコに住む-メキシコ等を歩く
1990 インド取材始まる
2002 稚内市立図書館レリーフ「海峡」制作
2007 チベット取材
個展 東京、札幌、大阪、岐阜など
表面には「白い村(ラダック・チェムディ) 岩絵具 194.0cm×130.3cm」。
相当な大きさに、北インド~チベットの村と、青い空に浮かぶ曼荼羅が描かれている。
笹山さんの魂も、通い詰めたインドの地に還っているのだろうか。
2013年9月10日(火)~15日(日)午前10時~午後7時(最終日~午後5時)
スカイホール(中央区南1西3 大丸藤井セントラル7階)
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