
(承前)
「共和町合併60周年・町制施行45年記念」と銘打った写真展。
1.前川さんの視線
前川茂利さんは郵便配達の仕事のかたわら、中判カメラで写真を撮り続けたアマチュアカメラマン。
テーマにし続けたのは、ニセコ連山の北側山ろくに戦後緊急開拓に入った人たちだった。
戦争が終わって間もないころの日本は、想像を絶するほど貧しかった。
緊急開拓で、やせた土地に入植した人々は、家族総出で働いた。木の根を掘り返し、収穫時にはみなで芋を拾った。
戦後何年かは、まだ電気も来ていなかった。
豊かになりはじめていた都市の人々にとって、地方にはまだこういう暮らしがあるということ自体、驚きであっただろうし、地方に住んでいる人が、ぜひ伝えたいと思うのも自然な成り行きだろう。
あるいは、この図式は、1950~60年代の写真の世界では、いささか公式主義的な、よくある図式の主題であったのかもしれない。
しかし、もはや「戦後のリアリズム写真」という枠組みをまず持ってきて、その枠組みを、現存する写真に当てはめるという習いから解放されている私たちにとっては、現にある写真が、2010年代になおアクチュアルな意味を保ちえているか、それがまず、問題なのだ。
あるいは、こういう物言いも図式的なのかもしれないが、前川氏の残した写真には、伊達地方でアイヌ民族や農家などを採り続けた掛川源一郎に共通する資質を感じる。
それは、開拓農家という当事者ではないが、さりとて、高みから見下ろしている都会人でもない、「地元で寄り添う者ならではの視線」だと思う。
2.洗濯物とヤギ
しかし、筆者が最大に衝撃を受けたのは、彼の「若草の上で仔山羊と戯むる」という写真が、1960年代末に撮られたということだった。
日本が高度経済成長の道をまっしぐらに進んでいたときでも、わらぶき屋根の家に住み、洗濯ばさみすら無い暮らしがあった。
ところが、おなじく山の掘っ立て小屋に住み、ヤギを飼う家の話が、テレビアニメになって流れてヒットしたのは、このわずか数年後、1973年のことだった。
言うまでもなく「アルプスの少女ハイジ」である。
若き日の宮崎駿が全力を注いで制作に加わった名作アニメだ。
このアニメーション(当時はもっぱら「テレビ漫画」と呼称されていたが)を見る人は、遠い異国の昔話として、ヤギのいる山小屋の生活をとらえていたと思う。
日本の視聴者には、ヤギと山小屋はエキゾチックな記号として機能していたのだ。
しかし、実際には、日本国内のほぼ同時代に、ヤギのいる山小屋の暮らしが、現実に存在した。
その「落差」に、筆者は驚かずにはいられなかった。
もし、開拓農家が「ハイジ」を見たら、どう思っただろう。
いまにして思う。
日本人は戦後、豊かな暮らしの実現に夢中だった。ようやくそれがほぼ全国民に行き渡ったのは1970年代後半から80年代になってからといってよさそうだ。
70年代後半には、共和町の開拓農家はすべて離農していた。
そして、再び格差が拡大し、ワーキングプアとか下流老人という言葉が生まれるまで、四半世紀とかからなかった。
なんと短い日本の黄金時代!
単純になつかしく、そして、いろいろなことを考えさせられる写真展だった。
2015年9月2日(水)~10月12日(月)
西村計雄記念美術館(後志管内共和町南幌似)
「共和町合併60周年・町制施行45年記念」と銘打った写真展。
1.前川さんの視線
前川茂利さんは郵便配達の仕事のかたわら、中判カメラで写真を撮り続けたアマチュアカメラマン。
テーマにし続けたのは、ニセコ連山の北側山ろくに戦後緊急開拓に入った人たちだった。
戦争が終わって間もないころの日本は、想像を絶するほど貧しかった。
緊急開拓で、やせた土地に入植した人々は、家族総出で働いた。木の根を掘り返し、収穫時にはみなで芋を拾った。
戦後何年かは、まだ電気も来ていなかった。
豊かになりはじめていた都市の人々にとって、地方にはまだこういう暮らしがあるということ自体、驚きであっただろうし、地方に住んでいる人が、ぜひ伝えたいと思うのも自然な成り行きだろう。
あるいは、この図式は、1950~60年代の写真の世界では、いささか公式主義的な、よくある図式の主題であったのかもしれない。
しかし、もはや「戦後のリアリズム写真」という枠組みをまず持ってきて、その枠組みを、現存する写真に当てはめるという習いから解放されている私たちにとっては、現にある写真が、2010年代になおアクチュアルな意味を保ちえているか、それがまず、問題なのだ。
あるいは、こういう物言いも図式的なのかもしれないが、前川氏の残した写真には、伊達地方でアイヌ民族や農家などを採り続けた掛川源一郎に共通する資質を感じる。
それは、開拓農家という当事者ではないが、さりとて、高みから見下ろしている都会人でもない、「地元で寄り添う者ならではの視線」だと思う。
2.洗濯物とヤギ
しかし、筆者が最大に衝撃を受けたのは、彼の「若草の上で仔山羊と戯むる」という写真が、1960年代末に撮られたということだった。
日本が高度経済成長の道をまっしぐらに進んでいたときでも、わらぶき屋根の家に住み、洗濯ばさみすら無い暮らしがあった。
ところが、おなじく山の掘っ立て小屋に住み、ヤギを飼う家の話が、テレビアニメになって流れてヒットしたのは、このわずか数年後、1973年のことだった。
言うまでもなく「アルプスの少女ハイジ」である。
若き日の宮崎駿が全力を注いで制作に加わった名作アニメだ。
このアニメーション(当時はもっぱら「テレビ漫画」と呼称されていたが)を見る人は、遠い異国の昔話として、ヤギのいる山小屋の生活をとらえていたと思う。
日本の視聴者には、ヤギと山小屋はエキゾチックな記号として機能していたのだ。
しかし、実際には、日本国内のほぼ同時代に、ヤギのいる山小屋の暮らしが、現実に存在した。
その「落差」に、筆者は驚かずにはいられなかった。
もし、開拓農家が「ハイジ」を見たら、どう思っただろう。
いまにして思う。
日本人は戦後、豊かな暮らしの実現に夢中だった。ようやくそれがほぼ全国民に行き渡ったのは1970年代後半から80年代になってからといってよさそうだ。
70年代後半には、共和町の開拓農家はすべて離農していた。
そして、再び格差が拡大し、ワーキングプアとか下流老人という言葉が生まれるまで、四半世紀とかからなかった。
なんと短い日本の黄金時代!
単純になつかしく、そして、いろいろなことを考えさせられる写真展だった。
2015年9月2日(水)~10月12日(月)
西村計雄記念美術館(後志管内共和町南幌似)