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日展の書部門の特殊性と、朝日新聞のスクープの意味 (追記・改稿)

2013年10月31日 01時15分00秒 | 新聞などのニュースから
 いやはや、見事な朝日新聞のスクープであった。
 日展の書の篆刻てんこくの審査で、入選を、有力会派(社中)で事前に割り振っていたことを、報じたのである。
 この件については、朝方ツイッターで連投したが、あまり多くの人が読んでいる時間帯でなく、それほど反響もなかったので、あらためて背景をまとめてみた。

 (長文です。なお、ここで書いたことは、書物や新聞にはなかなか載っておらず、筆者が間違ったことを書いている可能性もあります。その場合は、穏やかに指摘していただけるとありがたいです)


 1.物証をつかんだのは、すごい

 美術の団体公募展は、日本国内にゴマンとある。
 団体公募展の数も、正確に数え上げた人はいないだろうけど、東京の国立新美術館と都美術館で開催される同様の展覧会だけで100は超えるだろうと思われる。どこまでが美術か、誰にも定義できないから、正確な数は分からないが。

 そして、それぞれの公募展で、入選・入賞をめぐり、情実があるんじゃないかとか、裏でカネが動いているのではないかといったうわさは、ひっきりなしに流れている。
 ただし、事実なのかどうか、ウラがとれないことを、新聞が報じるわけにはいかない。
 弟子からこっそりウラ金をもらって領収書を切る師匠はいないだろう(笑)。
 今回の朝日新聞の報道の意義は、物的証拠をつかんだところにある。

 もうひとつの意味は、今回の不正が、篆刻部門の全員にかかわるものだという点にある。

 もちろん、不正はいけないことではあるが、これが1人か2人の成績にゲタをはかせて、師匠の意向(と威光)で入選させてやった、ということであれば、全体におよぼす影響は少ない。もし総枠が決まっていれば、そのあおりで落選する人が出てくるわけで、決していいことではないが…。
 今回は、全体の入選者を調整していたわけで、よけいに罪が重いといえるだろう。


 2.日展は「団体公募展の中の団体公募展」

 ところで、団体公募展はたくさんあると書いたけど、日展はちょっと特殊な位置づけにある。

 ふつうの団体公募展は、その中で完結している。
 たとえば、二科展でいくらえらくなっても、ほかの団体には関係ない話である。
 しかし、日展は「団体公募展の中の団体公募展」という位置づけをされている。とくに、洋画はそうである。
 かみくだいて言うと、一水会や示現会、太平洋画会などの数々ある団体公募展のさらに上に、日展があるという関係なのである。

 日展は戦前、文展とか帝展といわれ、国が主催していた。
 国は、帝展の権威を高めるため、それぞれの団体公募展の頂点に位置づけようとしたのだ。
 しかし、今も、二科、行動、二紀、自由美術、モダンアート、主体、独立といった多くの団体公募展は、「非日展系」といわれ、日展と重複して出品する人はいない。
 「日展系」の団体公募展は、旧来の具象絵画の団体が多くなっている。とりわけ、道内では、少数派といえる。

 したがって、日展の権威というのは、洋画では他団体を圧するというほどのものではない。

 彫刻も、新制作、二科、行動などと、日展とは基本的に関係ないので、事情は洋画と同様と思われる。

 そして、そもそも、今では、日展系、非日展系を問わず、団体公募展に出さなくなっている画家、彫刻家が多くなっている(こういう作家は略歴に「無所属」と記す場合がある)。
 これは、前衛的、国際的な作家に限らない。例えば、わりと保守的な好みの顧客が多そうな、札幌三越店で個展を開くような画家、彫刻家でさえ、日展などの団体公募展に出品している人は、年々減っているようである。


 3.日展の5部門

 日展には、五つの部門がある。
 日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書である。

 このうち、洋画と彫刻については先に述べた。
 
 日本画は、たくさん団体があるものの、画壇的にいえば、注目されているのは、日展、院展、創画展の三つだけである。それ以外の団体公募展も、極端に3大公募展と水準に差があるとは思えず、出品している方には申し訳ないのだが…。
 したがって、日本画は、他部門に比べれば、まだ日展の存在感はある。

 工芸美術は他の4部門と違い、むしろ新しい傾向の作品が集まっている。
 昔ながらの作品は伝統工芸展が多い。この部門は、もともと団体公募展と無縁にやっている「プロ」の作家が多い。

 さて、書である。

 「書は美術か?」
という議論は明治時代からあり、書の部門を日展に入れることは、関係者の悲願であった。実現したのは戦後すぐのことである。
 朝日新聞の報道によると、日展の一般出品の過半数を占める約1万点が書部門であったというから、大きな規模と権威を持つ団体公募展といってさしつかえないだろう。

 ただ、北海道にいると、日展だけが圧倒的な権威を持っているという実感はない。
 それは、毎日書道展という、やはり大きな規模の展覧会があり、日展と毎日展を掛け持ちしている人もいるけれど、「毎日展、北海道書道展、自分の社中展」の三つに自作を出せば十分-としている書家がけっこう多いからだ。
 毎日書道展は、前衛など、日展にない部門も多い。(保守的な書風が主流とされる)日展には出さなくてもいいや―と考える人が多くいても、不自然ではない。
 だいたい、道内で
「あのヒト、毎日展や道展(この場合、北海道書道展)ではいいところいってるけど、やっぱり日展に出してないからダメね」
などと言っているのを、聞いたことがない。
 新聞社系では、読売書法展も大規模だが、こちらは西日本の書家が多く、道内には少ないので、よくわからない。

 なお、出品点数だけからみると、毎日書道展、読売書法展のほうが、日展よりも多いようだ。


 4.書はやっぱりほかと違う

 書の団体が、洋画や彫刻などと異なるのは次の点だろう。

 (1) 偉くなるまでの階梯がやたらと多い

 朝日新聞を見て驚いた人もいると思う。
 自由美術や主体美術は、一般と会員の2段階だけ。ほかの絵画団体は、一般→会友→会員の3段階が一般的で、二紀展の4段階は多いほうであろう。

 これは、日展だけでなく、毎日、読売も多い。
 読売書法展の階梯の多さについては、このエントリで書いた。
 階梯が多くなれば、出世をめぐる駆け引きも当然増えてくるわけで、そのぶん問題も出てくるよなあと思う。


 (2) 書のなかで、さらに分野がわかれている

 書を習う人は、とりあえず漢字もかなも書くのだが、展覧会では

「漢字」
「かな」
「近代詩文」(「調和体」とも称する。漢字やかなが一般には読みづらいので、近現代の身のまわりの詩句などを判読しやすい文字で書こうとする)
「墨象」(前衛的な書)
「篆刻(要するに、はんこ)・刻字」

の分野に、審査や出品者が分かれていることがほとんどだ。
 よく考えれば、絵画の中で「静物画」「抽象画」などに審査や専門が分かれていることなど、ありえないだろう。
 多くの団体公募展では、たくさんいる会員イコール審査員が広い会場にずらっと並んですわり、つぎつぎと運ばれてくる作品を見て、挙手で当落を決めている。審査員が何十人もいると、不正を貫こうとしても、なかなか難しくなってくる(ただし、「鶴の一声」を発する権威のあるボスがいれば、挙手の結果はあっさりとひっくり返る可能性はあるが)。
 とくに篆刻は、漢字やかなに比べると、取り組んでいる人が少ないので、少数の人間で運営を専断しやすいのだろう。


 (3) 社中に属さない人はほとんどいない

 絵画や現代美術を独学で見につけ、作家になる人は珍しくない。ゴッホだってそうだ。
 美大で学んだ人が大多数だろうけど、卒業・大学院修了と同時に、だれもが独立する。卒業後も、●●教官の弟子がずーっと続くということはありえない。

 しかし、書の場合は、弟子―師匠の関係が長く続き、ほとんどの人が何らかの社中・団体(朝日新聞では「会派」と呼んでいた)に属している。

 いざ日展などに出そうと決心した有望な弟子は、出品前に、師に作品を見てもらうという手順が必要となる。その際、月謝とは別の代金を払う場合が少なくないという。

 こういう事情があるから、「会派割り当て」のような芸当が可能になるのだろう。


 5.ほかの団体公募展はどうなのさ?

 証拠もないのにめったなことは書けない。
 ただ、「どの団体公募展も同じように腐っている」というのも、「こういうことが行われているのは日展だけだ」というのも、あんまり現実的ではないと思う。

 ひとつ反証を紹介したい。
 ある福祉施設の通所者がまとまって行動展に入選したことがある。近年注目されているアール・ブリュットのさきがけのようなものだ。
 ということはとりあえず、少なくてもこの年の行動展では、会員諸氏のお弟子さんに入選を割り振ったのではなく、どこの誰のものかもわからない作品も、作品本位で評価していたということになる。

 だから、すべての団体公募展が、今回の日展と同様にどうしようもないとは言えない。

 「裏金や事前運動で、入賞したり、会員に昇格したヤツがいるらしい」
というのと
 「裏金や事前運動がなければ、入賞や会員昇格はむずかしい」
というのでは、まったく事情が違いますよね。
 もちろん、そんなことが全くないことが望ましいが、実力だけで評価される余地が十分あるのとないのとでは、話は天と地ほどに異なってくる。 

 ところで、朝日新聞を含む多くの新聞は、実は20年以上も前から、日展などの評や入賞者名簿を、紙面に載せていない。
 「美術手帖」も、日展や自由美術の評を載せていた時代もあった(いまではちょっと信じがたいが)。
 21世紀になって、そもそも日展について報じているメディア自体、日本経済新聞や月刊美術など、非常に少数なのだ。

 朝日新聞は、自分の紙面でまったく黙殺している団体について、社会的影響が大きい団体として1面トップでとりあげたということになる。
 奇妙といえば奇妙である。

 なぜ各紙が団体公募展を黙殺するようになったか。これは仄聞そくぶんだが、各団体からの「うちも載せてほしい」「もっと取り上げてほしい」攻勢がすさまじかったためらしい。


 追記。文化勲章のことを書く。
 日展で昇進すれば文化勲章への道が開けるように言っている人がいるが、これは可能性としては正しくても、実態とはかけ離れている。
 というのは、文化勲章を受けた書家は、今年の高木聖鶴氏まで計7人しかいないからだ。
 これは、制度が創設されて以来70年以上がたち、画家や小説家が何十人も受けていることを思えば、相当少ないと思う。

 ただし、洋画家などは、以前の文化勲章受章者の顔ぶれを見ている限りでは、「日展系」が優遇されてきたのではないかという感は否定できない。
 もっとも、最近では、草間彌生さんが文化功労者になるなど、日展系の優遇は過去のものになりつつある。

 なお、芸術院会員などについては、調べ切れていないので、今後時間があれば追加したい。


参考になるかもしれない記事
「全道展」と「道展」ってちがうの? という人のためのテキスト


http://www.asahi.com/articles/TKY201310290515.html


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