(長文です。池田信夫BLOG関係でもう1本書く、という約束を果たすためのエントリです)
院展同人として活躍した日本画家、岩橋英遠の代表作といえば「道産子追憶之巻」だ(道立近代美術館所蔵)。
故郷・江部乙(えべおつ。現滝川市)に思いをはせ、北国の四季を描いた長さ29メートルの超大作。北海道の風土を見事に表現している。
ひとつの国や地方の風土をこれほどまでに描ききった絵画が、ほかにあるだろうかと思うぐらい、見事な作品だと思う。
もし、北海道が独立国だったら、北海道のナショナル・アイデンティティを表現した傑作として、国宝第一号に選ばれるのではないか。
この絵巻が、江部乙の四季を、1日に擬して展開していることは、ごらんになった方はご存じだろう。
夜明け前の冬に始まり、春は朝、短い夏は昼で、秋の夕暮れにはトンボが画面を埋めつくし、ふたたび冬の夜が来る。
しかし、原始→近代、という流れになっていることを指摘した人は、筆者の知る限りではいないようだ(単に、筆者の勉強不足かもしれないが)。
冬の夜明け前はシカやキツネが走り回る原始の森。それがリンゴ畑や水田になり、最終章、ふたたびの冬には、ずばり「近代」あるいは「近代国家」を象徴するものが登場する。
「新聞」と「軍隊」だ。
ランプのともる家の中で新聞を読む父親。
そして、屯田兵の行進を遠くから見ている、画家自身とおぼしき少年が、描かれているのだ。
近代に不可欠なもの(制度)は、いろいろある。
公教育(とくに初等・中等教育)、常備軍、国語および正書法…。
また、国内の関税・非関税の障壁が存在しないことなども大切な要件だろう。
このうち、国語と正書法は、ないがしろにできない。
日本に住んでいるとついわすれがちだが、国内の全員がおなじ言語を読み書きできるというのは、じつは大変なことである。そこまでもってくるのに、一定規模より大きい国はどこも相当の苦労をしているのだ。
旧来の村落社会よりもはるかに広い範囲の人々が、日々変わり、さまざまな出来事が生起する中で、あるべき社会について話し合う(そのためには、おなじ国の人がおなじ言語を使えなくては前に進まない)。そういう局面に誕生するのが、新聞なのだ。
むろん、単一言語である必要はないのだが、あまりに多くの言語が分立し、書くスタイルの成立していないところでは、文章も新聞も出てくる余地はない。
昔ながらの村落では、わざわざ文字にして不特定多数の人に出来事を伝える必要性が存在しない。
だから、よその人からすると、それほどおもしろいとは思えないようなエピソード-たとえば、●●沢の太郎兵衛が転んだとか-が、何十年たってもついきのうのことのように語り継がれていたりするのだ。
あるいは、「昔の話」といえば、判で押したように源平合戦のことだったりする(ここらへんは民俗学の本に出ている)。
そういう社会では、フランス革命も享保の改革も明の滅亡も、まるで関係のない出来事になってしまう。
しかし、生産と物流が盛んになれば、昔ながらの村の中だけで物事が語り継がれることはなくなる。
遠くの出来事も自分たちの出来事と感じられるようになる。その実感の範囲は、「国語」という言語共同体のつくる範囲とおおむね重なっている。
その範囲は、政府の統治によって国民の生活が左右される範囲でもある。
そこに、言論が発生し、マスコミの需要が発生する。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/2a7fefd572578c141168d098a8a6bd1b
「どうでもいい」
というのは、ことばのあやであろう(というか、あってほしい)。
しかし、ほんとうは「どうでもいい」ことなのかもしれないと思う。
何百キロも離れた土地の事件や事故を「身近なもの」に感じさせてしまうのは、マスコミの魔力である。
もちろん、変わった事柄に興味を抱くのは、人間のふつうの感性だけど、抱かなければならない、抱いて当然、というふうに感じさせてしまうのが、マスコミなのだと思う。
ただし、その一方で、マスコミは「民主主義の学校」でもある。
やたらと反権力のポーズを気取ってもしかたないけれど、ニューヨークタイムズが追わなければウオーターゲート事件は明るみに出なかっただろうし、リクルート事件が闇に葬られていたのもまちがいない。
自由な言論のないところで、いかに権力が好き放題をやって人々を困らせているかは、日本のすぐ西側に格好の実例がある。
マスコミが沈滞して「いま、こういう問題があるぞ」という問題提起をしなくなれば、近代国家の統治の根本が危うくなるのである。
140年ほど前まで、「国はどちらか」といわれれば、それは信州だったり丹波だったりした。一般の人々に「日本」や「天皇」の意識は希薄だった。
「日本」という共通の意識ができたのは、軍隊および戦争と、国語による教育、そして新聞紙の「3点セット」のおかげだといっても過言ではない。
だからこそ、日本はよく団結して、西洋列強の外圧に負けず独立を保ち、アジアの大国になったのだ(途中で、あまり賢明とはいえない戦争もしたが)。
新聞が読まれなくなり、個々がじぶんのすきな話題と情報をつまみぐいするような状態は、日本語の共通基盤を下支えする「なにか」が崩れていく状態ともいえる。
日本という国家あるいは共同性がそもそも擬制なのだ-という批判は、当然成立するであろう。
わたしたちが帰っていく場所は、日本という「共同性」よりも、個と個が自由に結びつき合う「場」であるべきだ-といわれれば、そうかもしれないと思う。
でも、それでいいのだろうか。
院展同人として活躍した日本画家、岩橋英遠の代表作といえば「道産子追憶之巻」だ(道立近代美術館所蔵)。
故郷・江部乙(えべおつ。現滝川市)に思いをはせ、北国の四季を描いた長さ29メートルの超大作。北海道の風土を見事に表現している。
ひとつの国や地方の風土をこれほどまでに描ききった絵画が、ほかにあるだろうかと思うぐらい、見事な作品だと思う。
もし、北海道が独立国だったら、北海道のナショナル・アイデンティティを表現した傑作として、国宝第一号に選ばれるのではないか。
この絵巻が、江部乙の四季を、1日に擬して展開していることは、ごらんになった方はご存じだろう。
夜明け前の冬に始まり、春は朝、短い夏は昼で、秋の夕暮れにはトンボが画面を埋めつくし、ふたたび冬の夜が来る。
しかし、原始→近代、という流れになっていることを指摘した人は、筆者の知る限りではいないようだ(単に、筆者の勉強不足かもしれないが)。
冬の夜明け前はシカやキツネが走り回る原始の森。それがリンゴ畑や水田になり、最終章、ふたたびの冬には、ずばり「近代」あるいは「近代国家」を象徴するものが登場する。
「新聞」と「軍隊」だ。
ランプのともる家の中で新聞を読む父親。
そして、屯田兵の行進を遠くから見ている、画家自身とおぼしき少年が、描かれているのだ。
近代に不可欠なもの(制度)は、いろいろある。
公教育(とくに初等・中等教育)、常備軍、国語および正書法…。
また、国内の関税・非関税の障壁が存在しないことなども大切な要件だろう。
このうち、国語と正書法は、ないがしろにできない。
日本に住んでいるとついわすれがちだが、国内の全員がおなじ言語を読み書きできるというのは、じつは大変なことである。そこまでもってくるのに、一定規模より大きい国はどこも相当の苦労をしているのだ。
旧来の村落社会よりもはるかに広い範囲の人々が、日々変わり、さまざまな出来事が生起する中で、あるべき社会について話し合う(そのためには、おなじ国の人がおなじ言語を使えなくては前に進まない)。そういう局面に誕生するのが、新聞なのだ。
むろん、単一言語である必要はないのだが、あまりに多くの言語が分立し、書くスタイルの成立していないところでは、文章も新聞も出てくる余地はない。
昔ながらの村落では、わざわざ文字にして不特定多数の人に出来事を伝える必要性が存在しない。
だから、よその人からすると、それほどおもしろいとは思えないようなエピソード-たとえば、●●沢の太郎兵衛が転んだとか-が、何十年たってもついきのうのことのように語り継がれていたりするのだ。
あるいは、「昔の話」といえば、判で押したように源平合戦のことだったりする(ここらへんは民俗学の本に出ている)。
そういう社会では、フランス革命も享保の改革も明の滅亡も、まるで関係のない出来事になってしまう。
しかし、生産と物流が盛んになれば、昔ながらの村の中だけで物事が語り継がれることはなくなる。
遠くの出来事も自分たちの出来事と感じられるようになる。その実感の範囲は、「国語」という言語共同体のつくる範囲とおおむね重なっている。
その範囲は、政府の統治によって国民の生活が左右される範囲でもある。
そこに、言論が発生し、マスコミの需要が発生する。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/2a7fefd572578c141168d098a8a6bd1b
ウェブですべてのデジタル情報が無償でコピーされ、狭義の「コンテンツ産業」が縮小することは、遅かれ早かれ避けられない。その代わり、ウェブで表現するクリエイターの数は何百倍にも増え、提供される情報の量は在来メディアをはるかにしのいでいる。それは質においてはまだ在来メディアに劣るが、多様性においてははるかにまさる。人々がもっとも知りたいのは自分のことだから、こうしたパーソナルなメディアの付加価値はマスメディアより大きい。
つまり今までは「どうでもいい情報を何百万人に向けて出すマスコミ」か「身内だけの個人的な会話」しかなかったメディアのポートフォリオが連続になり、両者の線形結合の上に多くの新しいメディアが生まれているのだ。
「どうでもいい」
というのは、ことばのあやであろう(というか、あってほしい)。
しかし、ほんとうは「どうでもいい」ことなのかもしれないと思う。
何百キロも離れた土地の事件や事故を「身近なもの」に感じさせてしまうのは、マスコミの魔力である。
もちろん、変わった事柄に興味を抱くのは、人間のふつうの感性だけど、抱かなければならない、抱いて当然、というふうに感じさせてしまうのが、マスコミなのだと思う。
ただし、その一方で、マスコミは「民主主義の学校」でもある。
やたらと反権力のポーズを気取ってもしかたないけれど、ニューヨークタイムズが追わなければウオーターゲート事件は明るみに出なかっただろうし、リクルート事件が闇に葬られていたのもまちがいない。
自由な言論のないところで、いかに権力が好き放題をやって人々を困らせているかは、日本のすぐ西側に格好の実例がある。
マスコミが沈滞して「いま、こういう問題があるぞ」という問題提起をしなくなれば、近代国家の統治の根本が危うくなるのである。
140年ほど前まで、「国はどちらか」といわれれば、それは信州だったり丹波だったりした。一般の人々に「日本」や「天皇」の意識は希薄だった。
「日本」という共通の意識ができたのは、軍隊および戦争と、国語による教育、そして新聞紙の「3点セット」のおかげだといっても過言ではない。
だからこそ、日本はよく団結して、西洋列強の外圧に負けず独立を保ち、アジアの大国になったのだ(途中で、あまり賢明とはいえない戦争もしたが)。
新聞が読まれなくなり、個々がじぶんのすきな話題と情報をつまみぐいするような状態は、日本語の共通基盤を下支えする「なにか」が崩れていく状態ともいえる。
日本という国家あるいは共同性がそもそも擬制なのだ-という批判は、当然成立するであろう。
わたしたちが帰っていく場所は、日本という「共同性」よりも、個と個が自由に結びつき合う「場」であるべきだ-といわれれば、そうかもしれないと思う。
でも、それでいいのだろうか。