(承前)
ふと、あの大震災のことを忘れてしまいそうになる今回の REBORN ART FESTIVAL だが、鮎川エリアは「3.11」を踏まえた作品が多く、とりわけ写真家の石川竜一さんの展示は、むき出しの暴力性とでもいうべき何かが感じられて、いやでも8年半前に引き戻されるような感じがした。
震災や津波、たくさんの犠牲者に、直接的に言及しているわけではない。
しかし、静けさと荒々しさが会場には同居しているようで、粛然とした気持ちになってくるのだ。
会場は「詩人の家」の向かって右側にある、かつて医療機関として使われていたという3階建ての建物の3階と屋上。
現在、1階と2階は集会所などとして利用されているが、3階以上はふだんは開いていないという。
あの日の記憶を保持したままの場所。
会場として、強度がある。
「石巻の歴史」と書かれた紙片が床に散らばっている。おそらく、本の帯の一部だろう。
元から散らばっていたのか、石川さんが不要な本を入手してちぎったのか、分からないが、あの震災で、一地方の歴史の流れがずたずたになったことを暗示しているようで、胸が痛む。
写真は鮎川に滞在して撮った新作とのことだが、いずれも土の生々しい表面をとらえたカラープリントだった。
筆者は、2012年に気仙沼などで見た、津波に襲われた後の地面を思い出した。
後で見る、石川さん自身による屋外展示「掘削」の一部ではないかとも思うのだが、詳細はわからない。
もっとわからないのは、この画像の右側にある、衣服の痕跡のような物体。
合成写真か、あるいはホログラムかといぶかしむ向きもあるだろうが、実際に見てもこんな感じで、あたかも、まぼろしがハンガーに掛けてあるように見えるのだ。
いったいどうやって作ったのだろうかと思う。
まさに、震災で失われた多くの命の痕跡なのだろうか。
こちらはインスタレーションではないが、先に述べたとおり、3階部分はふだん使われていないので、地震当時の姿が残っている。
傾いた「非常口」の看板なども、そのままだ。
さすがに写真には撮れなかったが、手洗いの便器などもドアの向こう側に見えて、非常に生々しかった。
ここから階段を上って屋上へ向かう。
はるかに、静かな太平洋が見えた。
他のエリアが、駐車場にいったん止めればあとは徒歩圏内に作品があるのに対し、鮎川エリアは、詩人の家前の駐車場から、さらに奥の方の駐車場にも行く必要がある。
顔見知りになった女性2人連れの車の後をついていこうとしたが、途中で見失った。
「おんなじエリア内で、こんなに遠いのかよ。まさか道を間違ったか」
と不安になってきたころに、ようやく到着した。
駐車場のすぐ前にあったのが、石川さんの「掘削」。
題の通り、地面を掘った跡だ。
なんの変哲もない。ただ「もの派」の関根さんのように整然とした形状はしておらず、もっとワイルドな感じ。
かつて建物があった場所なので、ところどころに何かの管のような人工物が露出している。
公式パンフレットには、次のようにある。
コバルト荘というのは、2006年に閉鎖となった国民宿舎のこと。
この作品の向こう側にまわると、木々を通して海が見え、おそらく眺望が良かったのだろうなと想像できる。
仮面ライダーのロケってこういう地面がむきだしのところでやってたよな~、などと、よけいなことを思いつつも、直截的な暴力というか、むきだしの力の露呈というか、そういうことを漠然と考えていた。
「詩人の家新聞」4号には、この作品を見た来場者の感想がいくつか記されている。
そのうちの一つから抜粋。
わかるなあ。この気持ち。
自分も美大を出たり専門教育を受けたりしたわけではないので、現代アートを前にこういう気持ちになることについて、じつに共感が持てるのだ。
ただ、自分は、ことばをなりわいとしているから、ムリにでもことばというかたちを与えることで決着させようとするが、みんながみんな、そうしなくてもいいんじゃないかと思う。
「おいしい」以外にことばが出なくても、ことばにならない感覚をたしかに自分で持って、たしかめているのだとしたら、それでいいのではないか。
反対側から言うと
「この作品の意図やコンセプトは、これこれこういうことです」
と明快に説明できるのだとしたら、わざわざ絵を描いたり、インスタレーションを作ったり、穴を掘ったりする必要、ないんじゃない?
ことばで言えば、済むんだもの。
ことばで学ぶ余地がどこまでもありながら、でも同時に、ことばでは割り切れない余地がどこまでいっても残る。
それがアートなんだと思う。
さて、上の引用の「島袋」というのは、このエリアのキュレーターの島袋道浩さんのことだ。
「一石を投じる」で、第1回の札幌国際芸術祭を象徴する作家のひとりとなった島袋道浩さん。
彼の作品は、この駐車場から歩いてすぐのところから始まっていた。
2019年秋の旅(0) さくいん
ふと、あの大震災のことを忘れてしまいそうになる今回の REBORN ART FESTIVAL だが、鮎川エリアは「3.11」を踏まえた作品が多く、とりわけ写真家の石川竜一さんの展示は、むき出しの暴力性とでもいうべき何かが感じられて、いやでも8年半前に引き戻されるような感じがした。
震災や津波、たくさんの犠牲者に、直接的に言及しているわけではない。
しかし、静けさと荒々しさが会場には同居しているようで、粛然とした気持ちになってくるのだ。
会場は「詩人の家」の向かって右側にある、かつて医療機関として使われていたという3階建ての建物の3階と屋上。
現在、1階と2階は集会所などとして利用されているが、3階以上はふだんは開いていないという。
あの日の記憶を保持したままの場所。
会場として、強度がある。
「石巻の歴史」と書かれた紙片が床に散らばっている。おそらく、本の帯の一部だろう。
元から散らばっていたのか、石川さんが不要な本を入手してちぎったのか、分からないが、あの震災で、一地方の歴史の流れがずたずたになったことを暗示しているようで、胸が痛む。
写真は鮎川に滞在して撮った新作とのことだが、いずれも土の生々しい表面をとらえたカラープリントだった。
筆者は、2012年に気仙沼などで見た、津波に襲われた後の地面を思い出した。
後で見る、石川さん自身による屋外展示「掘削」の一部ではないかとも思うのだが、詳細はわからない。
もっとわからないのは、この画像の右側にある、衣服の痕跡のような物体。
合成写真か、あるいはホログラムかといぶかしむ向きもあるだろうが、実際に見てもこんな感じで、あたかも、まぼろしがハンガーに掛けてあるように見えるのだ。
いったいどうやって作ったのだろうかと思う。
まさに、震災で失われた多くの命の痕跡なのだろうか。
こちらはインスタレーションではないが、先に述べたとおり、3階部分はふだん使われていないので、地震当時の姿が残っている。
傾いた「非常口」の看板なども、そのままだ。
さすがに写真には撮れなかったが、手洗いの便器などもドアの向こう側に見えて、非常に生々しかった。
ここから階段を上って屋上へ向かう。
はるかに、静かな太平洋が見えた。
他のエリアが、駐車場にいったん止めればあとは徒歩圏内に作品があるのに対し、鮎川エリアは、詩人の家前の駐車場から、さらに奥の方の駐車場にも行く必要がある。
顔見知りになった女性2人連れの車の後をついていこうとしたが、途中で見失った。
「おんなじエリア内で、こんなに遠いのかよ。まさか道を間違ったか」
と不安になってきたころに、ようやく到着した。
駐車場のすぐ前にあったのが、石川さんの「掘削」。
題の通り、地面を掘った跡だ。
なんの変哲もない。ただ「もの派」の関根さんのように整然とした形状はしておらず、もっとワイルドな感じ。
かつて建物があった場所なので、ところどころに何かの管のような人工物が露出している。
公式パンフレットには、次のようにある。
「原初的な感覚の再認識。一人一人が感じ考えることを尊重すること」(石川竜一)
「何か今までやったことのないことを」というキュレーターの島袋のリクエストに、石川は「いつか穴を掘ってみたいと思っていた。なんの意味もない穴を」と答えました。意気投合し、石川が自力でスコップを使い穴を掘ることになりましたが、島袋が準備したコバルト荘跡地はコンクリート混じりの土でスコップの刃が立ちませんでした。それでも石川自身で掘ることにこだわった結果、石川はパワーショベルの免許を取得して穴を掘ることになりました。穴を掘ると結果的に山もできます。それは天地創造の現場のようです。
コバルト荘というのは、2006年に閉鎖となった国民宿舎のこと。
この作品の向こう側にまわると、木々を通して海が見え、おそらく眺望が良かったのだろうなと想像できる。
仮面ライダーのロケってこういう地面がむきだしのところでやってたよな~、などと、よけいなことを思いつつも、直截的な暴力というか、むきだしの力の露呈というか、そういうことを漠然と考えていた。
「詩人の家新聞」4号には、この作品を見た来場者の感想がいくつか記されている。
そのうちの一つから抜粋。
この先30年後、どうなっているのか。(…)この穴は埋めるんでしょう。ご飯食べてどうだった? と聞かれても美味しいという事以外、言葉が出てこない。言葉にならない。そういうもどかしさと似ている。アートがよくわからないから有名な評論家の人の言ってることやパンフレットの解説を頭に入れてから、見る。そうしないと、どう触れていいのかわからない。防潮堤のことを思った。これでいいのか? どういう風にみたらいいの?(石巻在住 70代男性)
わかるなあ。この気持ち。
自分も美大を出たり専門教育を受けたりしたわけではないので、現代アートを前にこういう気持ちになることについて、じつに共感が持てるのだ。
ただ、自分は、ことばをなりわいとしているから、ムリにでもことばというかたちを与えることで決着させようとするが、みんながみんな、そうしなくてもいいんじゃないかと思う。
「おいしい」以外にことばが出なくても、ことばにならない感覚をたしかに自分で持って、たしかめているのだとしたら、それでいいのではないか。
反対側から言うと
「この作品の意図やコンセプトは、これこれこういうことです」
と明快に説明できるのだとしたら、わざわざ絵を描いたり、インスタレーションを作ったり、穴を掘ったりする必要、ないんじゃない?
ことばで言えば、済むんだもの。
ことばで学ぶ余地がどこまでもありながら、でも同時に、ことばでは割り切れない余地がどこまでいっても残る。
それがアートなんだと思う。
さて、上の引用の「島袋」というのは、このエリアのキュレーターの島袋道浩さんのことだ。
「一石を投じる」で、第1回の札幌国際芸術祭を象徴する作家のひとりとなった島袋道浩さん。
彼の作品は、この駐車場から歩いてすぐのところから始まっていた。
(この項続く)
2019年秋の旅(0) さくいん