(承前)
あとは、気がついた点をだらだらと述べる。
1.
繰り返しになるかもしれないが、十勝の美術の層の厚さには、目を見張るものがある。
申し訳ないけれど、北見・オホーツク地域でおなじ趣旨の展覧会を企画しても、これだけの規模にはならないだろうと思う。作家の絶対数が少ないのだ。厳密に数えたわけではないとはいえ。
おなじ道東では、釧路・根室地域なら、いい勝負ができそうだが。
2.
ただし、出品者の略歴を見ていくと、十勝に生まれ、十勝に死んだ(あるいは現存している)作家が意外と少ないことに気づく。
多いのは、どこかよその土地から十勝に移ってきた人か、十勝からどこか別の地方へ出て行った人だ。
北海道という「歴史」の新しい土地らしい特徴ともいえるが、この流動性の高さにはあらためておどろいた。
3.
展覧会の解説パネルでは、この地域唯一の団体公募展である「平原社」の内紛まで記載されていた。
美術館の解説文で、団体公募展の運営にここまで立ち入って記したものは、あまり思い浮かばない。
それだけ、平原社の存在感が大きいということなのだろう。
全道規模、あるいは旭川、函館には複数の団体公募展が存在しており、ひとつだけに肩入れして記述することは、むずかしいと思われるからだ。
4.
で、これはどうでもいいことなんだけど、十勝・帯広の場合、道展も全道展も新道展もそれぞれ存在感があって、勢力が拮抗しているのがおもしろい。
札幌にいると気づかないけれど、これは地方都市によって事情はずいぶん異なる。たとえば、北見・オホーツクでは道展が圧倒的に強い。
一方で、室蘭や苫小牧は全道展に所属する人が多いのだ。
函館でも全道展が多く、道展は少数派。全道展をやめて全国的な団体公募展にのみ出している人も多いが。
5.
十勝では、教育大学を卒業して教員になり制作活動をしている人たちがプロ意識をもって、平原社とは別の団体を発足させたという歴史も興味深い。
というのは、これは全道的な動きとは逆だからだ。
戦後に発足した全道展は、プロ美術家としての誇りを持っており、道展を「教師の集団」と見下す傾向もあったと仄聞する。
まあ、せいぜい昭和30年代ぐらいまでの見方だと思うし、実際には全道展にも教師作家は数多くいるわけで、あまり的確な図式とはいえないだろう。
6.
「4.」「5.」とも関係してくるけれど、帯広・十勝には教育大学も美術大学もない。
教育大や美術大をおえて、よそから赴任したり移住したりする人と、その人たちに習うことで美術を始める人がいるばかりである(もちろん、全く独学の人もいるだろう)。
それを思えば、美術のこの隆盛ぶりは不思議ですらある。
おもしろいのは、東京や札幌と異なり地方都市では、絵筆を握ってみようとする人はいても、現代美術に取り組もうとする人はほとんどいないのが通例なのだが、帯広にはけっこういるのである。ここでも帯広・十勝のユニークさは際だっている。
最後になりましたが、以上のエントリを執筆するにあたり、会場の道立帯広美術館の方にお世話になりました。感謝申し上げます。
2011年7月1日(金)~9月7日(水)
道立帯広美術館(帯広市緑ケ丘2)
あとは、気がついた点をだらだらと述べる。
1.
繰り返しになるかもしれないが、十勝の美術の層の厚さには、目を見張るものがある。
申し訳ないけれど、北見・オホーツク地域でおなじ趣旨の展覧会を企画しても、これだけの規模にはならないだろうと思う。作家の絶対数が少ないのだ。厳密に数えたわけではないとはいえ。
おなじ道東では、釧路・根室地域なら、いい勝負ができそうだが。
2.
ただし、出品者の略歴を見ていくと、十勝に生まれ、十勝に死んだ(あるいは現存している)作家が意外と少ないことに気づく。
多いのは、どこかよその土地から十勝に移ってきた人か、十勝からどこか別の地方へ出て行った人だ。
北海道という「歴史」の新しい土地らしい特徴ともいえるが、この流動性の高さにはあらためておどろいた。
3.
展覧会の解説パネルでは、この地域唯一の団体公募展である「平原社」の内紛まで記載されていた。
美術館の解説文で、団体公募展の運営にここまで立ち入って記したものは、あまり思い浮かばない。
それだけ、平原社の存在感が大きいということなのだろう。
全道規模、あるいは旭川、函館には複数の団体公募展が存在しており、ひとつだけに肩入れして記述することは、むずかしいと思われるからだ。
4.
で、これはどうでもいいことなんだけど、十勝・帯広の場合、道展も全道展も新道展もそれぞれ存在感があって、勢力が拮抗しているのがおもしろい。
札幌にいると気づかないけれど、これは地方都市によって事情はずいぶん異なる。たとえば、北見・オホーツクでは道展が圧倒的に強い。
一方で、室蘭や苫小牧は全道展に所属する人が多いのだ。
函館でも全道展が多く、道展は少数派。全道展をやめて全国的な団体公募展にのみ出している人も多いが。
5.
十勝では、教育大学を卒業して教員になり制作活動をしている人たちがプロ意識をもって、平原社とは別の団体を発足させたという歴史も興味深い。
というのは、これは全道的な動きとは逆だからだ。
戦後に発足した全道展は、プロ美術家としての誇りを持っており、道展を「教師の集団」と見下す傾向もあったと仄聞する。
まあ、せいぜい昭和30年代ぐらいまでの見方だと思うし、実際には全道展にも教師作家は数多くいるわけで、あまり的確な図式とはいえないだろう。
6.
「4.」「5.」とも関係してくるけれど、帯広・十勝には教育大学も美術大学もない。
教育大や美術大をおえて、よそから赴任したり移住したりする人と、その人たちに習うことで美術を始める人がいるばかりである(もちろん、全く独学の人もいるだろう)。
それを思えば、美術のこの隆盛ぶりは不思議ですらある。
おもしろいのは、東京や札幌と異なり地方都市では、絵筆を握ってみようとする人はいても、現代美術に取り組もうとする人はほとんどいないのが通例なのだが、帯広にはけっこういるのである。ここでも帯広・十勝のユニークさは際だっている。
最後になりましたが、以上のエントリを執筆するにあたり、会場の道立帯広美術館の方にお世話になりました。感謝申し上げます。
2011年7月1日(金)~9月7日(水)
道立帯広美術館(帯広市緑ケ丘2)