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レニエール・レイバ・ノボ「革命は抽象である」 あいちトリエンナーレ:2019年秋の旅(69)

2020年01月09日 08時54分36秒 | 道外の国際芸術祭
(承前)

 豊田市美術館でいちばん良かったと思う作品について書く。

 天井からは、巨大な人の指先がにょきっと生え、床の上には、旧ソ連の国旗にデザインされ、そして共産主義のトレードマークともいえる鎌とハンマーの一部が置かれている。
 通称「カマトンカチ」は、農民と労働者の団結の象徴なのだ。


 これらが、もともと極めて巨大な彫刻の一部であるということは、事情を知らなくてもなんとなく察せられるのではないだろうか。
 1983年、キューバのハバナ生まれの作家によるインスタレーションは、共産主義のモニュメントの空虚さを物語って余りある。

 いいかえれば、共産主義をたたえるあまり、モニュメントの規模が、むなしく無意味なほどに巨大になってしまったのだ。

 キューバというのは、筆者もくわしく知っているわけではないが、ちょっと変わった国で、共産主義国であるから政治的な自由が万全にあるとはとうていいえないとはいえ、北朝鮮のようなガチガチの全体主義国家ではないようだ。
 だいたい、ソ連の崩壊後、国家や指導者をたたえる巨大なモニュメントづくりにあいもかわらず精を出しているのは、北朝鮮などごく一部の国になってしまった。
 キューバは、革命の指導者だったフィデロ・カストロの禁止によって、彼の銅像は国内にほとんどないという。将来、キューバで反共産主義革命が成功するようなことがもしあったとしても、レーニン像のように引きずり落とされる危険性はないわけだ。

 また、社会主義リアリズムばかりが幅をきかせているわけではなく、ハバナでは国際ビエンナーレが開かれているし、このレニエール・レイバ・ノボのように海外で発表を重ねている現代アート作家も少なくない。
 国内でも同様の発表がなされているのかどうかはわからないが、とりあえず海外では、共産主義独裁に対する皮肉や批判を交えた作品も、今回のように発表されることがある。


 だから、彼が「表現の不自由展・その後」の中止に抗議して、作品の一部を変更していたことは、西欧の作家によるプロテストとは少し異なった重みを持っているともいえる。

 そして、モニカ・メイヤーの例と同様に、「一部変更」が、さらに作品の強度を高めていたことに、目を見張らされた。
 以前述べたことだが、「ころんでも、ただでは起きない」のがアーティストという人種なのだろう。
 壁面に並んでいたのは、公式サイトによると

<ロシア・アバンギャルドの作家たちが制作したソ連時代の プロパガンダ・ポスターから、スローガンとイメージを取り去った絵画>

ということだが、作者はこれらを、あいちトリエンナーレ2019をめぐる記事が載っている新聞紙で覆ってしまったのだ(朝日、毎日、日経、中日新聞など)。
 日本語読者だけという限界はあるとはいえ、観客の大半に、この作者の抗議の趣旨がひとめで伝わる。ふだん新聞をじっくり読んでいない人も、大きな見出し文字から、あらためて事の重大さが伝わるだろう。
 シンプルでわかりやすい手法だと思った。


 この「カマトンカチ」が、なんのモニュメントに由来するのかを簡単に解説した紙が貼られていた。

 「労働者とコルホーズの女性」という高さ24メートルの彫像らしい。
 コルホーズとはソ連にたくさんあった集団農場のことである。

 筆者はこの紙を見て、ビックリした。
 アンドレイ・タルコフスキーなどが所属していた旧ソ連の国営映画会社「モスフィルム」の映画で、この彫刻が最初に登場するのがならいだからだ。

(東映の映画で、波が岩に砕けて△の「東映」マークが登場したり、20世紀フォックスの映画で夜空をサーチライトが照らしたりするのと同じです)

 次の画像を見れば、昔の映画ファンのなかには、筆者と同様に
「なつかし~い」
と思ってくれる人もいるのではないだろうか。 


 モスフィルムの冒頭映像の、動いているものも見てほしくて、最後にユーチューブから、タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』と『ストーカー』を貼り付けておいた。
 話はそれるが、筆者はタルコフスキー監督の映画が大好きなので、冒頭といわず最後まで見てほしいのが本当のところだが、いずれもロシア語なので(日本語字幕なし)、あまりムリにとは言えないよなあ。

 もうひとつ書いておくと「ストーカー」が日本で公開された1983年当時、このタイトルの語には、現在の「つきまとい続ける迷惑な人」という意味はなかった。
 そこに行けば幸福が得られるといわれる、立ち入り禁止区域への潜入を手助けする人を、この映画では描いている。
 どちらも、原作はSF小説なのだが、いわゆるSF映画ではなく、もっと詩のような世界だ。


 もうひとつの、巨大な両手のようは、ガガーリン像の一部らしい。
 世界初の宇宙飛行士であり、ソ連にとっては国家的英雄である。
 
 この紙によると、高さが42.5メートルとあるようだから、常軌を逸した巨大さだ。
 もうほとんど大仏のようなものではないか。

 有人飛行を先に成し遂げられてしまった米国は当時、大変な衝撃を受けたのだった。



 20世紀は革命の世紀であった。
 
 そして、革命が当初の輝きと理想を失い、堕落していった世紀でもあった。

 20世紀が残した課題は、まだ解決していない。

 それは革命で達成されるはずだった夢や希望を、わたしたちはあたらしい世紀に、どのようにつなげていけばいいのかということだ。

 過ぎ去った世紀に、会場で思いをはせるのだった。








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2 コメント

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Unknown (SH)
2020-01-10 17:40:05
ヤナイさん、こんにちは。

私も「ストーカー」は映画は見ておりませんが、早川SF文庫版(作者はストルガツキー兄弟)を読んでいたので、「付きまとう人」の意味でストーカーが出てきたときは違和感がありました。

小説版では、異星人がいろいろなものを放棄したエリアに人々が入って、異星人の遺物を集めるのですが(ものによってはすごい価値がある)、うっかりすると謎の罠に引っかかって死んでしまうという話を淡々と描いたものなので、映画とは話が違いそうですね。
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Unknown (h-art_2005)
2020-01-10 20:26:33
SHさん、こんばんは。

『ストーカー』、話はそれくらいの字数にするとあまり変わらないのですが、映画の方が謎めいていて、難解です。小説のようにスパッと割りきれないというか。でも美しいです。
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