
「山鼻」という正式な町名があるわけではなく、中央区の大通より南、旧円山村より東、すすきのや中島公園より西の一帯を、漠然と示す地名である。
「藻岩山の鼻」
という意味でついたらしい。
札幌の中心部は「●条▲丁目」というデカルト平面式の住所表示になっている。
誤解している人が少なくないが、「北1条西3丁目」というのは「北1条西」というカテゴリーのなかの「3丁目」では断じてない。
「北1」と「西3」は対等の扱いである。
合理的でわかりやすいが、反面、「だいたいこのあたり」ということが言いづらい。
そのため「山鼻」「すすきの」「桑園」といった通称名が普及しているのだろう。

札幌の歴史の本をひもとけば、屯田兵の話とか、明治天皇とお声がかりの
「さっぽろの昔話」という本には、大正期には、山鼻地区はまだ「郡部」あつかいで、電話をひこうと思ってもかなわなかったという、信じられない挿話がある。
しかし、筆者にとっては、山鼻地区は押しも押されもしない古参住宅地である。
逆に言えば、いま
「札幌の住宅地」
として一般に認識されている地区の大半は、筆者が子どものころはまだ田畑がのこっていた(あるいは、大半が農地だった)ところだ。
山鼻は、オリンピックの前に、すでに農村から住宅地への転換が終わっていた数少ない地区なのだ。

さて。本に載っていない話。
筆者には、現在の山鼻地区は、ふたつに分けられると思われる。
中央図書館、cacoi、ギャラリー土土などがある一帯は、マンション、新旧の一戸建て、お店などが混じり合った、わりあい落ち着きが感じられる地区だ。
それより北側の、れんがギャラリー旧鎌田志ち屋、praha2 + deep sapporo、新通市場などがある一帯は、とにかく古めの木造アパートがひしめいている。
札幌市内でも、群を抜いて道路の幅が狭い(例外的に、豊平区平岸3条16丁目かいわい、西区琴似や豊平区中の島の各一部などがあるが)。
南11条通や東屯田通などがあるこの附近を、筆者はひそかに
「ディープ山鼻」
と呼んでいる。

この1、2年で山鼻地区にはあたらしいギャラリーが増えた。
上に挙げたギャラリーは、どれも近年できたものだ。
早いとこ、地図を手直ししたいのだが、ヒマがない(ちなみに、リンク先に星印で載っているギャラリーは現在すべて存在しないか、ギャラリーとしてはつかわれていない)。
(20日、一部訂正しました)
に分けたディープ山鼻が面白い。歩く人の目線がなけ
ればこうは分類できませんね。今度琴似街道を歩き
ましょうか。いつかご一緒したいですね。
僕も好き好んで歩くあたりです。
この辺のアパートの名称にならないでしょうか(笑)。
考えてみれば、
北は東本願寺など南8条あたりから、
南は総監部や学園工学部のある南30条あたりまで、
広範囲を包括するなかなか興味深い地名ですよね。
しかも周囲には「伏見」という地名もあって、
さらに曖昧さを増幅させます。
「伏見」にある「山鼻郵便局」などは、
そんな好例じゃないかと。
ありがとうございます。
「琴似街道」。
なんだか、40年弱ぶりぐらいで耳にしたことばのような気がします。
そういう電停が、終点の円山公園のひとつ手前にありましたっけね。
具体的にどこを「琴似街道」というのかは、よくわからないのですが。
要するに、旧国道5号のことでしょうか。
旧円山茶寮や「なんまる」のある斜め通は、また違う名のような記憶があります。
>y@5u5hiさま
こんばんは。
新築のアパートがほとんどないのが「ディープ山鼻」の「ディープ」たるゆえんでして(笑)。
伏見については、時代によってさす地域が微妙に異なります。
現在の正式な地名では、山鼻郵便局は「条丁目」ですからね。
また、札幌っ子としては、あんまり南のほうに「山鼻」を冠するのは、どうも抵抗があります。
南23条あたりのまちづくりセンターに「山鼻」という名がついているのは、もっと南の水路に「山鼻川」と名づけちゃったからではないかという気が個人的にはしてます。確証はぜんぜんないですが。
決して揚げ足取りではないのですが
お声掛かりの「松」ではなく「柏」ではないかと...
私が在札のころは2代目の柏がありましたが
その後切り倒されたと聞いております。
山鼻には4歳から19歳まで 特に南15条西10丁目には10年住んでいましたので懐かしさひとしおです。
考えてみたら天皇が松をごらんになって、その名を知らないということはありえないですね。
お恥ずかしいかぎりです。
正確を期すために、今後もおかしなところがあれば、どしどし教えていただければと思います。
南15条西10丁目というと、ほんとに山鼻小と、目と鼻の先ですね。