
(承前)
2020年11月8日に旭川の野外彫刻巡りをしてきた際、はじめに足を向けたのは、おなじみ「平和通買物公園」ではなく、旭川駅の東側でした。
駅の正面から見ると、買物公園は正面ですが、筆者が歩いていったのは右手です。

多くの道民はご存じでしょうが、JR旭川駅周辺はこの10年ほどで大きく変わっています。
旭川駅がモダンで立派な駅舎に一新され、同時に、周辺の線路は高架になりました。
駅のすぐ横にあった「旭川ターミナルホテル」「旭川ESTA」の跡地にはイオンモールが完成し、多くの買い物客を集めています。
一方、駅前から一直線に伸びる、日本初の恒久歩行者天国として有名な「平和通買物公園」では、丸井今井、西武の両百貨店が相次いで店を閉じて、中心商店街の地盤沈下が鮮明になりました。
かつて旭川駅と、その背後を流れる忠別川の間には何もなく、駅前と駅裏とのコントラストが大きかったのですが、一帯は「北彩都」と称した再開発がなされ、旭川駅にも南口ができたほか、川べりは「あさひかわ北彩都ガーデン」として整備されました。

以前、旭川ターミナルホテルの前にあったのが、この折原さんの作品です。
とにかく、駅とその周辺があまりに様変わりしてしまったので、もう二度と見られないのではないかと危ぶんでいました。
移設の話を聞いて、まずこの日の彫刻巡りを、ここからスタートすることにしたのです。
現場は、北彩都ガーデンの一角。
冒頭と2枚目の画像で、作品の背後に、横に長いコンクリートの構築物が見えますが、これはJR富良野線の高架線路です。
とても広いところですが、高架線路や幹線道路、川などに近く、ぽつんとさびしい場所という感じではありませんでした。
折原久左エ門(おりはら・きゅうざえもん、1931~2018)についてくわしくは、下にリンク先を載せた2018年の記事を参照してください。
いわゆる彫刻家ではなく、鍛金の工芸作家です。
日本を代表する団体公募展である「日展」では理事となり、工芸部門で重きをなしました。
生まれは山形県ですが、山形師範学校から東京教育大(のちの筑波大)に進み、北海道学芸大(現在の北海道教育大)函館分校で1962年から教壇に立ち、その後函館を拠点に活動していました。道内在住者としては史上初めて日本芸術院賞を受賞(1986年)しています。
日展のほか、日本現代工芸美術展にも出品し、毎年7月に札幌市民ギャラリーで開かれる日本現代工芸美術展北海道支部展に重厚な作品を出品していました。
これも、直線と直角だけで構成された剛直な作品で、シンプルに見えながら、見る角度によって受ける印象の異なる複雑な構造にもなっています。
二つの部分は90度で曲がる角度しか持っていないのに、それぞれが台座に対して斜めに設置されているため、重厚さがありながらも、動感も有しているのです。
なお、この記事がいきなり
「旭川の野外彫刻(6)」
となっているのは、(1)~(5)は以前紹介した、旭川駅構内の5点という考え方からです。
すでに紹介済みの永山武四郎像は、再訪したので、もう一度記事にする予定です。
過去の関連記事へのリンク
■第57回 日本現代工芸美術展 北海道会展ー折原久左エ門をしのんで (2018)
折原久左エ門「抱」(2011。旭川駅のすぐ近くにあったときの画像)
日本現代工芸美術展 北海道展 (2002、画像なし)
2020年11月8日に旭川の野外彫刻巡りをしてきた際、はじめに足を向けたのは、おなじみ「平和通買物公園」ではなく、旭川駅の東側でした。
駅の正面から見ると、買物公園は正面ですが、筆者が歩いていったのは右手です。

多くの道民はご存じでしょうが、JR旭川駅周辺はこの10年ほどで大きく変わっています。
旭川駅がモダンで立派な駅舎に一新され、同時に、周辺の線路は高架になりました。
駅のすぐ横にあった「旭川ターミナルホテル」「旭川ESTA」の跡地にはイオンモールが完成し、多くの買い物客を集めています。
一方、駅前から一直線に伸びる、日本初の恒久歩行者天国として有名な「平和通買物公園」では、丸井今井、西武の両百貨店が相次いで店を閉じて、中心商店街の地盤沈下が鮮明になりました。
かつて旭川駅と、その背後を流れる忠別川の間には何もなく、駅前と駅裏とのコントラストが大きかったのですが、一帯は「北彩都」と称した再開発がなされ、旭川駅にも南口ができたほか、川べりは「あさひかわ北彩都ガーデン」として整備されました。

以前、旭川ターミナルホテルの前にあったのが、この折原さんの作品です。
とにかく、駅とその周辺があまりに様変わりしてしまったので、もう二度と見られないのではないかと危ぶんでいました。
移設の話を聞いて、まずこの日の彫刻巡りを、ここからスタートすることにしたのです。
現場は、北彩都ガーデンの一角。
冒頭と2枚目の画像で、作品の背後に、横に長いコンクリートの構築物が見えますが、これはJR富良野線の高架線路です。
とても広いところですが、高架線路や幹線道路、川などに近く、ぽつんとさびしい場所という感じではありませんでした。

いわゆる彫刻家ではなく、鍛金の工芸作家です。
日本を代表する団体公募展である「日展」では理事となり、工芸部門で重きをなしました。
生まれは山形県ですが、山形師範学校から東京教育大(のちの筑波大)に進み、北海道学芸大(現在の北海道教育大)函館分校で1962年から教壇に立ち、その後函館を拠点に活動していました。道内在住者としては史上初めて日本芸術院賞を受賞(1986年)しています。
日展のほか、日本現代工芸美術展にも出品し、毎年7月に札幌市民ギャラリーで開かれる日本現代工芸美術展北海道支部展に重厚な作品を出品していました。

二つの部分は90度で曲がる角度しか持っていないのに、それぞれが台座に対して斜めに設置されているため、重厚さがありながらも、動感も有しているのです。
なお、この記事がいきなり
「旭川の野外彫刻(6)」
となっているのは、(1)~(5)は以前紹介した、旭川駅構内の5点という考え方からです。
すでに紹介済みの永山武四郎像は、再訪したので、もう一度記事にする予定です。
過去の関連記事へのリンク
■第57回 日本現代工芸美術展 北海道会展ー折原久左エ門をしのんで (2018)
折原久左エ門「抱」(2011。旭川駅のすぐ近くにあったときの画像)
日本現代工芸美術展 北海道展 (2002、画像なし)
(この項続く)
北彩都ガーデン内にある折原久左エ門さんの作品、来年の暖かい時期に行きたいと思っています。
旭川駅構内の2階までは間違いなく進めるのですが、出口はどこか、多分南に降りて東口からですね。のんびりと出かけてきます。情報をありがとうございました。
彫刻美術館のすぐそばに住んでいて、そこで旭川野外彫刻マップをもらい、野外彫刻というものに興味を持ちました。
あとから検索すると、散策漏れが多く(旭川信金関係とか)、また機会があったら行きたいと思っています。
自分は旭川駅の改札を出てから、ステーションギャラリーの前の廊下をずーっと歩いていったら、氷点橋に通じる道路に出ました。
夏になると、ギャラリー向かいの観光協会でレンタサイクルがあるので、それに乗って、今回見られなかったスタルヒン像などを見ようと思っています。
とはいってもブログにはちょくちょくおじゃましておりました。「おお、同好の士がここに!」という感じです(笑)。
旭川は、春になって、コロナが少し落ち着いたら再訪したいです。
今後ともよろしくお願いします。