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■平成28年度 道銀芸術文化助成事業 三浦恵美子油彩展 ~人物の変容展~ (2016年8月15~21日、札幌)

2016年08月22日 20時28分00秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 苫小牧の三浦美恵子さんが札幌で2度目となる個展を開いた。
 2012年の苫小牧美術協会で協会賞を受賞。この春、東京で開かれた団体公募展、美術文化協会の第76回展では新人賞を得て準会員に推挙され、近く札幌で始まる新道展では会員推挙と、勢いに乗る若手である。

 三浦さんの絵の多くは、暗い背景に、人物が浮かび上がるというもの。技術的な巧拙でいえば、あまりうまいとは感じられないが、そういう表面的なものを超えた作者の情念が伝わってくる。
 思えば、かつて1960~70年代には、こういう情念を抱えた、濃い表現があふれていたような気がする。軽さやおしゃれな感覚などがもてはやされるようになって、強烈な自己主張は敬遠される風潮が出てきた。しかし、表現にほんとうにだいじなことは、初期衝動や自己主張、人間への関心であって、それら抜きでは、そもそも「表現しよう」という意志が持続しないのではないかと思うのだ。

 しかし、筆者がいちばん気になったのは、次の作品。



 「シンラバンショウ」と題されたこの作品は、球体である。
 美容体操などに用いるバランスボールをベースに、張りキャンバスで余った端切れなどをつなぎ合わせて支持体にした。
「描くよりも球をつくるほうが、はるかに大変でした」
と三浦さんは笑う。
 絵画と彫刻、平面と立体の関係について考察し、両者を隔てる制度を見直す作品の制作を構想した作家はたくさんいるだろう。しかし、実際に球体の絵画を作るに至った人はどれぐらいいるだろうか。少なくても筆者は見たことがない。
 
 球形の彫刻というのは、ほとんど存在しないだろう。なぜなら、大きさや素材以外に、作品の個性を出しようがないからだ。少しでも球形と異なった形状をしていれば、例えば安田侃作品のように作者の個性を刻印できるが、球体では不可能だ。
 したがって、球形以外の形であれば、どうしても立体に着彩した感じをぬぐい去ることができないが、球体だけはそのような印象がなく、一種の「完全な絵画」的な雰囲気を醸し出すことが可能なのだ。上下もなく、正面もない絵画がそこに出現する。
 モダニズム絵画とは透視図法的な奥行きを排し、平面性を強調する絵画の謂いであった。その発展が極限にまで達し、80年代以降の絵画は、平面性や一瞥性から離れた新たな方針を見つけるべく苦闘している。画家本人がどれほど意識しているかは別として、球体絵画には、単なるレリーフ状絵画や立体に着彩した作品とは異なる可能性があるように思うのは、筆者だけだろうか。

 F100号の「ヒバクシャ」にも触れておく。

 平和を願うような題がついているにもかかわらず、画面から受ける印象は、この作者が人間に抱いている感情の表出ではないかと思われるほど暗い。政治的な主張よりも、極限下における人間の状況こそが、グロテスクな描写の中にあらわれているのではないだろうか。



2016年8月15日(月)~21日(土)午前10時~午後6時(初日正午~、最終日~午後5時)
らいらっく・ぎゃらりぃ(札幌市中央区大通西4 北海道銀行本店1階)

第41回美術文化北海道支部展 (2013)


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