ガリバー通信

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靖国と国体

2013年04月28日 | 感じたこと
 言わずもがなではあるが、靖国の春の大祭に参拝した、麻生副総理兼財務大臣と榊を奉納しただけという安倍首相という日本の政治家トップの二人の行動と言動と日本を守るために戦った英霊に対して参拝もしくは感謝するのは当然だと言う、百数十名の衆参国会議員たちの行動に対して、韓国と中国が歴史的認識が誤っていると猛反発している。た

 麻生は首相であった時代には靖国参拝に対して慎重にしていて、中韓などのアジア諸国への配慮で参拝はしていなかったのだが、第二次安倍内閣で首相に替わる副首相という立場になったことを軽んじてか、うかつにもいや確信犯として靖国参拝をしてしまったために、領土問題でとてもセンシティブになっている日韓、日中間に新たな火種とも言うべき課題を設けてしまってた。

 敢えて言っておくが、やはり靖国問題に対しては軽率な行動であり、言動も含めて中国や韓国に対する配慮というよりも、そもそもの靖国神社そのものに対する疑問があるし、ましてや戦死した兵士をただ祭るというだけでなく、時の権力にとって都合のいい故人だけを祭るという形での宗教法人としての設立であり、第二次世界大戦でのA級戦犯と国際的には判定された政治家、軍人をも戦後に合祀したという、いわくつきの組織だと思うのである。

 国のために戦った人をただ祭るというのなら、宗教的祭礼ではなく平等かつ何人も民間人や兵士のわけ隔てなく祭ればいいと思うのだが、実際は、例えば西南戦争での西郷隆盛は祭られていない様に、お国にとって協力したとみなされた方、いわば官軍の兵や師だけが祭られているという現実は、やはり可笑しいと思うのである。

 時の権力というものは、自分たちに都合のいいことや人は歴史的に珍重したり残したりはするのだが、自分たちに都合の悪いものや反政府的人物などは歴史上から抹殺してしまったり、無かった如く振舞うことは世の常であるたと様で、やはり国際的にも批判されてもしょうがないのである。

 つまり、戦前も含めて日本のみならず多くの国と国との戦争行為は、少なくとも強い国からの侵略的要素は否めないばかりか、第二次世界大戦における日本の戦争行為は、韓国、中国だけではなく多くの東南アジア諸国に対する「侵略行為」そのものだったのである。

 そんな歴史的認識の下での十数年前の当時の村山富市社会党首相の「歴史認識」すら、いまや安倍晋三首相は反故にしようとしている様子で、村山談話は政府見解にあらずとする認識まで最近は語りだしているという状況下での、麻生、安倍を中心とする自民党の多数派と維新の会やその他の靖国参拝超党派議員団の連中の行動と言動は浅はかとしか言い様がないのである。

 私たち国民にとって、日本を守るとか日本を愛するというのは、当然多くのアイデンティティとして確立しているとは思うのだが、いまや地球の人類の共存をしっかりと志向しなければいけない時代に、ただ日本だけが正しいとか日本のためには諸外国はどうでもいいとかいう無節操な思想や行動、言動は慎むべきだし、ましてや戦争という非常事態だったとしても、その後の国際社会での断罪や反省を促す提案や意見に対してて謙虚に耳を傾ける精神と相手を慮る配慮が必要なのではないだろうか。

 靖国が宗教だとしたら、一般の国民、市民が現実に作られている神社に詣でたり、祭事に参拝したりするのは自由だと思うが、政治家や国際的な交流の時代に、世界的に影響を及ぼす関連のある財界人や、文化人をも含めて、我々地球人の将来のためにも宗教的特別な行事参加や国際的に物議を交わす恐れの有る言動や行動は、特に慎重に出来れば慎むべきだと思うものである。
コメント (1)
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