ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

広島・長崎でオリンピック!

2009年10月15日 | 世界の問題
 つい先だって、東京が2016年のオリンピック開催都市として名乗りを上げていたのが、IOCの総会で却下されて、ブラジルのリオデジャネイロでの開催が決定したところなのに、すぐさま2020年の五輪開催都市として「広島・長崎での同時開催!」を願う、広島ならびに長崎両市長が発表した。

 どうも前からそんな話は進んでいたらしいが、オバマ米大統領がプラハでの演説で「核なき世界」への核廃絶を訴えて、先ほどノーベル平和賞の受賞が決まったことがきっかけで、勇気をもらって名乗り出たということらしい。

 この話は、全く話が違うが国土交通省の新大臣となった前原氏が八ッ場ダムをはじめとするダム建設の中止を発表したり、羽田空港の内際分離の垣根を越えてのハブ空港化を目指す発言などに見られる、政治家の思い切った発言と同様の要素を感じた。

 すなわち、議会や市民、国民の議論や有識者と言われる人々の検討会などを経ずして、突如「方針を発表する」といった感じの「寝耳に水」と言った印象が特に強かったようである。

 そのために、多くの市民、国民だけでなく、特に地方の知事や首長たちと議員たちが、「そんなこと急に言われても???」と反発する姿や言動が目立ったのであった。

 私自身は、国土交通省の前原大臣の政治的決断には概ね賛同をする感じであり、無駄なコンクリートを主体とした大型ダム建設は、強い意思で中止もしくは見直しをされないと、土建国家と言われて長い日本の利権構造そのものを替えることが出来ないと思うからである。

 しかし、一方の「広島・長崎での五輪開催」については、ちょっと待った!の感が強く、いくら「世界で最初の被爆地である、広島と最後の被爆地としたいいう長崎」であったとしても、「平和や被爆をアッピール」することと、かならずしも「オリンピックの開催」一致した目的だとは思えないからである。

 近代オリンピックの開催がローマで始まって一世紀以上が経って、大会の規模ならびに経済的コストは異常な高騰を見せていて、今や「オリンピック」は、世界のスポーツの祭典である以上に、テレビ報道を中心とする世界のマスコミの多額な経済的利益を生む「商売の対象」と化していると言っても過言ではない状況になっている。

 特にアメリカ資本主義の経済的利益の象徴としてのマスメディアとその背景にあるスポーツ関連企業が全世界に対する経済的戦略に、オリンピックを利用、活用するために行われていると言ってもいい過剰なビジネスチャンスと認識されている。

 そんなスポーツビジネスに関連する企業や政治がバックについて、一都市開催が原則としているIOCの姿勢や主張など、いつのまにかすっ飛んでしまうほどの利害が背景で渦巻くのである。

 つまり、広島、長崎の被爆被害を全世界に知らせる「平和の祭典」を演出しようとする両都市の理念は理解できるが、もはやオリンピックは、そんな理念だけで開催できるような代物ではない。
コメント (1)
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