ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「終いじたく」?!

2013年08月18日 | 感じたこと
お盆休みが終わって、町は明日から真夏の通常の賑わいと喧騒が戻ってくると思われるが、皆さんは十分に休養がとれましたか?

私は今週の週末の金土曜日の自営の自然食やおやの営業だけは「盆休み」とし、お客様にも事前に知らせておいたので、ちょっとだけ休養が取れるだろうと思っていたのですが、96歳になる私の実の母が、あいにく先週の月曜日の未明に、自分でトイレに行こうとベッドから降りて少し歩いたところで転倒し、大腿骨頚部の骨折で急遽入院し、一昨日に人工骨を入れる手術をすることとなり、ちょうど休暇のつもりだった時間に病院に行き、待機したり様子を見守るということとなりました。

 金曜日は昼過ぎに仕事を終えて、一路大阪へと車を走らせて、父と先祖の盆の墓参りを済ませてから、母の手術に備えて入院中の病院へと行きました。

 実は私は、四人兄弟の末っ子なのですが、一番上の姉が残念ながら今年の四月に他界したため、現在は三歳上の姉と双子の妹の三人兄弟となっているのですが、父の死後44年が経過し、老いた母も6年前からは私たちが育った実家を出て、有料老人ホームにお世話になっていて、年に数度は私が実家に出向いて、庭の植木や隣りの住宅との境界線の木々の剪定や伐採をしてはいるのですが、古くなった家の中の家具や荷物の整理はほとんどできていないのが現状なのです。

 そこで、兄弟が揃う機会には、近いうちに皆で寄って整理をしなくてはという話にはなるのですが、過去には一度実家に集まり、少しだけ整理しだしたことがあるだけで、その後は全然出来ていないのが実態なのです。

 母の手術はおかげさまで無事終わり、明日にでも車椅子での移動が出来る様になるらしく、抜糸も含めあと二週間程度で退院できたら、再び現在の居所であるホームの居室に帰れるとのことで安堵しているのですが、姉夫婦と妹夫婦も駆けつけてくれた病院の待合室で、手術時間の経過を見守りつつ、話は自然に実家の片付けや「終いじたく」となりました。

 「終いじたく」とう言葉が中村メイコさんの著書から広まった様ですが、「老前整理」や「終活」という言葉も見受けられるようになり、「老いじたく練習帳」なるものまで出版されているようです。

 確かに超高齢化時代に突入している日本社会ですから、一昔前のように所謂定年を迎える年齢から「老後」と言われて、数年から十数年で他界する方が大半だった時代と違い、現在は男性の平均寿命も80歳に手が届くほどですし、女性においては世界一の長寿国となっていて、平均寿命が86歳を超えるということですから、後期高齢者と呼ばれる方々もたくさん元気にお暮らしなのです。

 そんな超高齢者社会となっているのですから、誰もが実の父母や祖父母を見送るだけでなく、自分たちの老いや老後を如何に生きて、如何に死ぬかという人生の命題について、真剣に考えた上で、どのような終わり方、最期迎えたいかと言う課題について検討する必要もあり、また終いじたくとして実行する方が増えているようです。

 さて、その内容については千差万別だと思いますが、ともかく子や孫に迷惑を出来るだけかけない、財産や家、家具、趣味の物など、多くの目に見えるものについても、出来るだけ生前に整理しとくという話が多い様で、私たちの話でも父や母の主たる資産などはほとんどありませんが、実家の整理は必要だとの認識で話は進みましたが、誰もが自分たちの終いじたくも同時に行なわねばとの思いも重なっていて、なかなか優先順位的にはまとまらない感じもありました。
コメント
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