マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

一卵性母娘シンディ

2012-04-15 04:08:26 | Weblog

口卑しく、食いもののおウワサに終始しているが、
咀嚼し飲み込むばかりが口のお仕事ではないわいな。
たまには歌。今回は一人のSong writerのことを書いておきたい。



   

     Miss. Cindy Walker  1918-2006



美貌の女流作曲家である。

若き日は歌手でダンサーでもあった。

テキサス州に綿花商の娘として、祖父の農場で生まれた。
祖父は讃美歌の作曲もし、母親はピアニストという環境だったそうな。

十代の頃にはすでに歌を描き、1930年代中頃、South-Westの平原地帯を襲った
砂嵐dust-stormsの新聞記事から、「Dusty Skies」を描いた。
これはのちに、Bob Willsがレコーディングし、ヒットソングとなった。
Riders In The Sky なども歌ってる。

この深刻な砂嵐のことは、スタインベックが「怒りの葡萄」に描き、
Woody Guthrieはダストボウルバラッドとして歌ったことで知られている。
日は遮られ、作物は枯れ、命からがら失業者たちは温暖なカリフォルニアを目指した。


さて、Cindy嬢の作品は、すでに30年代に「Casa de Manana」という曲を
Paul Whiteman楽団がすでに演奏しているので、文字通りの才女。
今風にいうならば、矢野顕子か松任谷由美あたりか・・・あんまり今風でもないか。


親の転勤でロスへと移り、ハリウッドのBing Crosbyのプロダクションに自ら
売り込んだことから、ブレイクに。押しの強い奴が成功する傾向になる。
オレみたいな(?)奥ゆかしいのはいけない。


興味深いのは彼女がタイプライターで詞を打ち、母親のOreeがピアノで
メロディを作るのを手伝ったという、母と娘の共同作業だったというわけ。
短い期間、結婚もしたが、その後別れて、生涯独身だった。




 


40年代はWestern Swingの季節となる。
CindyはBob Wills & The Texas Playboysのためにたくさん曲を描く。

Cherokee Maiden (41)
Dusty Skies   (41)
Miss Molly    (42)
You're From Texas   (44)
Sugar Moon  (47)
Bubbles In My Beer  (48) などなど…。




 

50年代はHank Snow、Webb Pierce、 Gene Autryなどに。

60年代にはRay Charles や Elvis Presleyのために描き、
その後はThe Byrdsの名盤「Sweetheart Of The Rodeo」のために、
Blue Canadian Rockies を描くなど、その息の長さと守備範囲の広さは驚嘆に値する。






500を超える歌をレコーディングし、
トップ40のチャートに登場したのは400回以上という、信じられないヒットメーカーだ。
97年カントリーの殿堂入り。
シンディの前にシンディなく、シンディの後にシンディなし。


 この名前には注目すべしである。

 アッハ~~!


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レバさし

2012-04-14 00:24:25 | 


厚生労働省が牛生レバーの販売を禁止に。 

ユッケに続いて、レバ刺しよおまえもか!

食中毒防止のためなんだから仕方ないとはいうものの、
ご禁制になるってぇと食いたくなるのが人情てぇものでありんすな。




神戸元町のレバ刺し


まぁ、元々焼き肉用のレバーが新鮮なんで、このまんまやってみると美味!
ってことから生食が始まったのだろうから、要は個人が気をつければいいこと。


何でもかんでも責任追及して店や監督省庁のせいばかりにせず、
自己責任ってヤツですな。 


自己責任ってことは、食べ手の能力が問われる。
賞味期限も本当はそれぞれが決めるのが一番いいことかもしれない。




阿倍野のレバ刺し


自分の身に迫る危険を察知する能力が、退化しているのだ。
オレの今の体調で、これ食って大丈夫かどうか。


オレらのガキの頃は、もっと不衛生だった。そこらじゅうにハエが飛んでたしな。
なんだって新聞紙にくるんで食ったもんだ。
印刷の文字が写ってたってかまやしなかった。


余りに衛生的な世の中になってしまい、人間脆弱になっているような気がしてならない。
インドや中国を見てみな、まだまだこれから成長する国の国民ってのは、
きっと胃袋や腸壁だって強靭にできている。少々のウイルスなんて食い殺す。


Liver Come Back To Me ~~
二人でレバ刺しを。

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大阪西成下町お好み

2012-04-02 20:40:53 | 




西成区の東の端を南北に走る、阪堺線チンチン電車。
となりの住吉区に住んだ人間としては、この辺り無性に懐かしい風景がある。




地元っ子の酒屋さんに以前から聞いていた、お好み焼きの名店。
お母さんに聞くと、創業68年。
戦中か戦後かのドサクサの中、食糧事情のもっとも悪い時期に始まっている。

生前母に聞いたが、戦後、米の節約のためにメリケン粉を焼いた節米焼きという
名前で奨励された時期があったという。



鉄板もくたびれてはいるが、掃除は行き届いている。
丁寧に刻まれたキャベツ。みずみずしい生地。
でかすぎない、ほどのいい大きさ。
下町のお好み焼きはこうでないといけない。





豚玉 530円

豚バラのきれいなこと。脂が美味しくないといけない。
これはこれなりに吟味しなくてはいけない。



そうそう、この店はアルコールがない。よって変なおっさんは寄りつかない。

私がいる間も、客は女性(おばはん)ばかりだった。
大き目の世話話だけ苦にならなければ、実に快適である。





近所の酒屋くんといい、ここでお好み焼きの洗礼を受けた子供たちは、
必ずここへと戻ってくる。 

幼き日、撒き餌をされてしまうと、そうそう別の店のソース味で満足できるものではない。





焼きそばも。 こっちも油など一切ひかない。

お千代さんのすごいのは、キャベツが指定できること。
細かいキャベツか、大きなキャベツか。

双方でキャベツの部分もちがうから、甘さも変わってくるのだろう。
細かい方にしたが、大き目のも食べたくなった。
キャベツはいちいち秤で計量して出す、気の使いようだ。




いい具合に焦げ目ができると、コテで小さく刻む。
メイラード反応が起き、豚肉は香ばしさを加え、うまみを増す。

この豚肉と一緒にそばを炒める。 油をそばにまとわせ、コーティングさせるのだ。
このそばがまたうっすらとクチナシ系の色がついたオールドファッションなもの。
富士宮はこうだったっけ。
浅草染太郎もこんな感じだった。






キャベツにこだわりがあるのは見て分かるだろ。

みごとに大きさを揃えて刻んである。これは下準備に時間をかけている。





両者を合わせて、その手早いこと。ソースは地元ヒシウメかな。
おばちゃんの手付きは鮮やかである。

NHK連ドラ「てっぱん」に出演した、富司純子の写真と色紙があった。
ドラマスタッフ10数人で突然来たので、怒ってやったとおばちゃん。
そうそう、そういう行儀を知らんヤツらは怒鳴りつけるに限る。
この鉄板の方がよほど大人である。





純子さんはその後、一人で再来した。
裏を返すあたり、なかなかの男前。さすがはかつての緋牡丹お竜だな。

おばちゃんに、昔、松田町に牧場があったでしょうと言うと、記憶していらした。
こんな密集した町の真ん中に、酪農家が何軒もあったのは驚きだ。





飾りもひねりもない、ストレートな昭和のお好み焼き。
しかし一本貫かれる棒のごときものがある。

初めて入ったが、こっちもこの美味しい撒き餌にひっかかりそうだ。


コメント (1)
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