報道によれば、「憲法9条」がノーベル平和賞候補の一つとして正式に候補になったことがわかった。しかし、正確な受賞対象者は「9条を保持している日本国民」になっている。ところで、勝手に「日本国民」を対象者にしたその市民団体は、如何なる存在なのか、不思議な傲慢さを感じるのだ。
憲法9条を持ち出せば、国民の意識を支配できると考える無意識の権力欲を有する人間が集まった団体と云えようか、筆者の市民団体のイメージからは、全くかけ離れている団体に思える。まあ、その候補者数は278とのことで、その内容からも選ばれる可能性は先ず、ないであろうが。
ここで直ぐ想い起こすのは、2012年の「EU」の受賞だ。
「欧州を争いの地から平和の地へと変えた」という受賞の理由は、「仏独の石炭・鉄鋼の全生産を、他の欧州諸国の参加を認める組織の最高機関の管理におく」「経済発展の共通の基盤、欧州連邦の第一歩」との形で、第二次世界大戦終了後、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が僅かな年月で実行へ移されたことがポイントだ。
『EUのノーベル平和賞受賞の起原121013』
そのアナロジーから筆者は「戦後日本」の受賞を考えた。「非核・軽武装・平和憲法」のもとでの経済復興から経済成長への道のりは、アジア諸国に大きなインパクトを与え、韓国、台湾、香港、シンガポールの台頭に対して良き目標となった。平行して、米国と同盟を組み、講和条約、沖縄返還、日中国交回復を進め、国連中心の外交路線を推進している。
『「戦後日本」のノーベル平和賞受賞の可能性20121016』
一方、英ファイナンシャルタイムズ(FT)紙は、同様にEUの受賞からアジアへと発想し、眼は未来へ向け、「ノーベル平和賞に相応しいアジアの地域機構を」と提案した。アジアは欧州よりもはるかに複雑で、パックス・アメリカーナによる米海軍の存在が、多くのアジア諸国が自国の驚異的な経済成長を描くことのできる安定した背景を提供してきた。
これは否定できない事実である。更に、筆者の主張を載せれば「米海軍―経済成長」の先駆けは講和条約―日米安保で構築された日本の姿である。即ち、吉田茂が敷いた「吉田ドクトリン」の姿をベースに経済における競争と協力のエリアを東アジアから東南アジアにかけて構築する。日本だけでなく、地域的に安定した経済活動が可能な様に、互いの関係を築く努力が必要だ。
『ノーベル平和賞に相応しいアジアの地域機構を~2012/10/28』
他国もまた、憲法を基盤にして平和の構造を作り出す作業に参加している。その構造は他国との相互理解と信頼の共有でもって、得られるのであり、憲法を持っていること自体にあるのではない。
米国の軍事的庇護のもとで得られた平和は、日本の国内に閉じこもっていることを意味し、“受身の平和”である。これは、戦後の日本が置かれた状況に強く規定されていた。今後は、これまでの蓄積をベースにして、平和の構造を作り出していくことが必要となっている。
単に日本の国土を対外的に守るだけでなく、外交戦略的行動として大国の米中ソに対応し、なお、東アジアから東南アジアにかけて中間国家諸国との連携を強化していくことが目標となるだろう。
憲法9条を持ち出せば、国民の意識を支配できると考える無意識の権力欲を有する人間が集まった団体と云えようか、筆者の市民団体のイメージからは、全くかけ離れている団体に思える。まあ、その候補者数は278とのことで、その内容からも選ばれる可能性は先ず、ないであろうが。
ここで直ぐ想い起こすのは、2012年の「EU」の受賞だ。
「欧州を争いの地から平和の地へと変えた」という受賞の理由は、「仏独の石炭・鉄鋼の全生産を、他の欧州諸国の参加を認める組織の最高機関の管理におく」「経済発展の共通の基盤、欧州連邦の第一歩」との形で、第二次世界大戦終了後、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が僅かな年月で実行へ移されたことがポイントだ。
『EUのノーベル平和賞受賞の起原121013』
そのアナロジーから筆者は「戦後日本」の受賞を考えた。「非核・軽武装・平和憲法」のもとでの経済復興から経済成長への道のりは、アジア諸国に大きなインパクトを与え、韓国、台湾、香港、シンガポールの台頭に対して良き目標となった。平行して、米国と同盟を組み、講和条約、沖縄返還、日中国交回復を進め、国連中心の外交路線を推進している。
『「戦後日本」のノーベル平和賞受賞の可能性20121016』
一方、英ファイナンシャルタイムズ(FT)紙は、同様にEUの受賞からアジアへと発想し、眼は未来へ向け、「ノーベル平和賞に相応しいアジアの地域機構を」と提案した。アジアは欧州よりもはるかに複雑で、パックス・アメリカーナによる米海軍の存在が、多くのアジア諸国が自国の驚異的な経済成長を描くことのできる安定した背景を提供してきた。
これは否定できない事実である。更に、筆者の主張を載せれば「米海軍―経済成長」の先駆けは講和条約―日米安保で構築された日本の姿である。即ち、吉田茂が敷いた「吉田ドクトリン」の姿をベースに経済における競争と協力のエリアを東アジアから東南アジアにかけて構築する。日本だけでなく、地域的に安定した経済活動が可能な様に、互いの関係を築く努力が必要だ。
『ノーベル平和賞に相応しいアジアの地域機構を~2012/10/28』
他国もまた、憲法を基盤にして平和の構造を作り出す作業に参加している。その構造は他国との相互理解と信頼の共有でもって、得られるのであり、憲法を持っていること自体にあるのではない。
米国の軍事的庇護のもとで得られた平和は、日本の国内に閉じこもっていることを意味し、“受身の平和”である。これは、戦後の日本が置かれた状況に強く規定されていた。今後は、これまでの蓄積をベースにして、平和の構造を作り出していくことが必要となっている。
単に日本の国土を対外的に守るだけでなく、外交戦略的行動として大国の米中ソに対応し、なお、東アジアから東南アジアにかけて中間国家諸国との連携を強化していくことが目標となるだろう。