散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

STAP細胞は成功という死神から解放されるか~発見・事件・現象

2014年04月16日 | 現代社会
運命づけられた細胞たちの救世主として日本のマスメディアに登場したSTAP細胞たちは、その「発見」からいくばくもなく、「事件」の渦に巻き込まれ、死神が命のロウソクが燃え尽きるのを見張っている状況に陥っている。

しかし、それを成功か否かの縛授から解き、「現象」として捉えることによって、再度、脚光とは言えないが、日常研究のなかに、生きるすべを取り戻すことになったようだ。それは、理研が発表した本日の笹井副センター長の記者会見資料から窺われる。

但し、まだ事件は尾を引くようにも思える。それは笹井氏の説明によって、若山・山梨大教授が直接の指導者として指名されているからだ。それはキメラマウスの作成の真実に関係する。小保方氏を入れてこの三者は三方一両損の中で関係を結んでいるかのようである。誰かがしくじると一気に関係が崩れ、崩壊に陥る可能性もまだあるような…。しかし、次の証言を求められる人物である。

一方で、小保方氏の場合、見やすい写真を示すのなら、“再度、同じ実験”を行い、同じ結果を得て写真を撮影しようと普通の人は考えるだろう。しかし、彼女は、そう考えずに、他の資料を流用したのだ。それもSTAP細胞の生成に“200回も成功”したというのに。この常識外れの奇妙な言い訳を記者会見の席で質問する記者もいなかった。

さて、ではどんな方法によって、事件から現象に落とし込むか、である。それは新たな現象と思われることを整理することだ。それが引用した笹井氏の資料の中にある。ところが、それは奇妙なわかりにくい文章で構成されている。

笹井氏は云う。
「STAP現象を前提にしないと容易に説明できないデータはある
論文全体の信頼性が過誤や不備により大きく損なわれた以上
STAP現象の真偽の判断には…予断のない再現検証が必要である。」

太字の「できない、が、以上」は文章を曖昧にさせながら、自らの主張を嵌め込む典型的な手法である。そこで先ずは、「STAP現象を前提とすることは予断ではないのか」と半畳が入る処である。

即ち、過誤、不備があって信頼性が大きく損なわれたことに関して、十分な調査が成されず、手法上の疑問が様々な形で提起されている段階において、疑惑の中心であるSTAP現象を前提にして検証を進めることの意義が問われる。

それにも係わらず、笹井氏は『STAP現象は合理性の高い仮説』としている。結局そのために、「できない、が、以上」を用いて文章を曖昧化しているのだ。検証をするにしても、STAP現象以外でも説明できないのか、それを先ずの目的にすべきはずである。様々な疑問が出されているからだ。

大隅典子氏もブログ、『大隅典子の仙台通信』において、「STAP細胞が無くても十分説明できる現象である」と述べており、「多能性幹細胞の専門家の方のご意見も伺いたい」としている。

STAP現象にすることによって、客観的な事実を明確にし、その解釈が進めば幻のSTAP細胞も浮かばれる可能性はある。しかし、その裏に「成功」のメダルを求めていれば、却って視野が狭くなり、第2の<小保方現象>を生むかもしれない。

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