散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

余りにも若者的な抵抗は“ワレサ”への道か?~『世代』ワイダ監督

2016年05月06日 | 現代史
舞台はドイツ軍占領下のワルシャワ郊外のスラム地域。
独ソによって国を分割され、独の独占領地域となったワルシャワで、自堕落な生活から小さな町工場で働き始め、搾取されていることに目覚め、更に抵抗運動へ加わり、仲間を失いながら自らは危機一髪を偶然に逃れる若者の姿を、ストレートに描き、ポーランドの行方を暗示する。最後は、その若者がリーダーになる形で収束を図った処にワイダ監督の姿勢も表現している。

不可侵条約を独が破ってソ連に侵攻し、ソ連のモスクワ反攻を経て、ソ連軍がワルシャワ進攻寸前の処でポーランド抵抗運動組織に一斉蜂起を呼びかけ、それに呼応し、ソ連進軍を期待して「ワルシャワ蜂起」が起こった。ワイダ監督の名を世界に広めた『地下水道』に描かれる様に、ソ連は進軍せずに、ポーランド抵抗運動組織は独軍によって壊滅的な状況にまで蹂躙された。

この映画は、「蜂起」の段階以前の抵抗運動を描いている。しかし、描かれた抵抗運動のメンバー(写真)は余りにも若者的なのだ。

       
貧困と展望のない若者の生活、更に夜間外出禁止令に象徴される独軍の抑圧的占領政策。主人公の若者の意識は映画の始め、母親の言葉にも関わらず、友達と遊びに興じ、独軍の運搬列車から石炭を盗み落とす行為に表現している。やりきれない気持ちと善悪を軽くみる刹那的な行動だ。

しかし、ポーランドの抵抗運動を創造的に表現するミッションを背負ったワイダ監督にとって、その第一作目は、その始まりであるナチス政権下の独に対する抵抗であることは当然であり、その運動も将来を担う若者達を中心に、その未熟さを含めて描くことも必須であった。その後、『地下水道』『灰とダイヤモンド』『カチン』『ワレサ』へ至るポーランドの歴史を描く一連の作品へ向けての出発点になるからだ。この若者が成熟してワレサに繋がるとのメッセージを込めて?

「列車の石炭盗み」で、監視の独兵士の銃撃に遭い、仲間を死に至らしめ失意の若者は、出会った工員のつてで小さな木工所で見習工として働き始める。そこで工員から“搾取”されていることを教わり、また、夜間学校を侮らずに、しっかりと勉強することを奨められる。しかし、その後の行動は、奨めとは対照的に、ストレートな抵抗運動へと爆発的に加速される。

学校でのカトリック神父の陳腐な話を学生達は集団で解散に導き、教室を出た処で、抵抗運動勧誘のアジ演説とビラの嵐に見舞われる。若者は忽ち抵抗運動に魅せられるのだが、その意識の底流に、抵抗運動勧誘のアジ演説をしたプロ・ソ連の共産党員と覚しき、抵抗運動の若き女性指導者への恋愛感情も流れている。

木工所でのピストル盗み、独兵士への復讐としての射殺、独軍のワルシャワ・ゲットー攻撃に対する防戦参加と行動は活発になるが、一人は逃げ遅れて独兵士と撃ち合い、ビルに追い詰められ階段からの飛び降り自殺に追い込まれる。

当然、これらの事件に対する独軍の捜査・追及は厳しいはずだ。しかし、若い彼ら・彼女らは、独軍に対する防備の意識は甘い。女性指導者は隠れ家のアパートを変えずに居た処を突き止めた独軍に連行される。

実は前の晩は若者も一緒におり、朝、パンを買いに出て帰った処を同じアパートの住民に知らされ、直ぐに隠れて難を逃れたのだ。軽率に突き出した行動と身の安全を図る慎慮の欠如の非対称性は、ポーランドの国民性がドンキホーテに例えられる所以であろう。

ワイダ監督は抵抗運動の置かれた状況とそれへの対応を冷徹に描くことによって、ポーランドの姿を明らかにし、政治的賢さを身につけた抵抗運動への示唆を投げかけたのだ。ラストシーンでは、若者が新たに班のキャップとなり、メンバーと落ち合い仲間意識を確認する。それが戦争三部作から「ワレサ」へと繋がることを象徴的に表現している。

      
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