散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

米国の深層心理と日本の位置~『“鯨”の象徴学』再読

2014年02月17日 | 永井陽之助
米国のケネディ駐日大使が公式ツイッターで、「米国政府がイルカの追い込み漁に反対する」と、個人的な見解らしきことを言って、騒ぎか広がった。欧米ではイルカは鯨と同類の動物らしい。

歌手のオリビア・ニュートンジョンが「イルカのようにかわいくて賢い哺乳動物を殺すことを認めるような国では、歌を歌う気にはなれない。」と言ったのは1978年だ。それから40年近く経っても同じような騒ぎが続く。また、グリーンピースによる捕鯨反対活動もその行動がエスカレートしている。

捕鯨問題が国際的な話題になり、1972年の国連「人間環境会議」において、「商業捕鯨十年間モラトリアム勧告」が採択されて以降、イルカや鯨が単なる動物としてではなく、欧米諸国のキリスト教に基づく、象徴的存在として顕れている。

永井陽之助は比較的早く、1975年10月に『“鯨”の象徴学』(「時間の政治学」(中央公論社)所収)としてこのことを論じている。

副題に―「ベトナムの教訓」と米国知識人―とあるように、ベトナム撤退後の日米関係に及ぼす米国の深層心理に及んだ論考だ。即ち、「今後の日米関係は、政府間レベルの信頼関係だけでなく、米国の議会、世論の動向、さらにはその国民意識の深層部にまで根をおろしたものにならない限り、長期安定を期待しえない」という問題意識に基づいている。」

昨今の韓国慰安婦問題に関連して、2007年に米国議会下院が「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」を採択したことを30年前に予測したとも云えるのだ。
更に、「その点で、注目すべきは、…捕鯨反対運動の動向である。…この争点を巡る日米間の近くギャップは、かつての繊維交渉を上回る認識のずれを示しているのみではない。…」との指摘も今日に至るまで有効だ。

以上の基本認識をベースに、論考の中では多角的な指摘があり、いま、改めて読んでみると、認識を新たにさせられることが多い。そんな中で日本の位置に関することが、気になる処だ。「われわれ日本は、自己の存在をしばしば簡単に”海洋国家”と規定し、他国もまたそう見ていると考えがちであるが、それにはかなりの疑問がある。」

「我々が外洋を活動空間とみなして、その民族的エネルギーを放散する場として海をながめてきた、という歴史的事実はない。」と指摘する。逆に、「大陸の外辺部として、として認識されがち…」なるのだ。すると、最近、韓国が日本海の呼称に拘っている理由とも関係がありそうにも思える。

米国が日本、台湾、フィリピン、マレーシアを経て、東南アジアへ繋がる一連の島国を大陸に対する防波堤と考えれば、日本の位置も少しは明らかになる。但し、それだけでは、日本の外交のあり方には、まだ不十分である。

歴史的に見れば、明治維新以降、世界へ台頭していった日本は、日露戦争後は欧米諸国の中でも日本と同じ後進国であるドイツに倣った政策を展開したかに見える。韓国を足がかりに「大陸帝国主義」の道へ進み、満州国を建設した。更に日中戦争の道へ突入したが、これは将に、大陸の外辺部からその内部へ向けての攻勢である。

しかし、行き詰まりの中で、「大東亜共栄圏」を掲げて、東南アジアへも進出すると共に、真珠湾奇襲から太平洋戦争に突入した。それが完敗に終わり、米国の占領下に置かれ、また、冷戦の時代に入るにつれて、大陸とは隔絶され、東アジアから東南アジアに連なる群島の一角に位置づけられ、今日に至っている。

しかし、この状態は日本の位置づけを曖昧にしている。おそらく、群島から東南アジアを含む国家群の連携を強化して中国に対応することが米国の基本戦略と思われる。当面の日本は台湾との協力関係が重要になるだろう。それが東南アジアへ通じる道になるからである。

      

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。