散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

EUのノーベル平和賞受賞の起原~仏独中心の石炭鉄鋼共同体~

2012年10月13日 | 国際政治
EUのノーベル平和賞受賞は意外性を持っていた。これまで個人が圧倒的に多く、次に機構(組織)が受賞される場合にあった。しかし、国家の受賞はなかった。27か国が加盟するEUは国家を超える機構としてもユニークな存在で有り、特異な実験的存在である。受賞理由は「平和と和解、民主主義と人権の確立という大きな成果を挙げ、ヨーロッパを争いの地から平和の地へと変えた」である。

その発端は、1950年4月17日に仏政治家のジャン・モネが提案し、仏政府が外相の名をとり、シューマンプランとして1950年5月9日に発表した仏独の石炭、鉄鋼の共同管理計画である。後年、この間は歴史が動いた22日間と呼ばれる。独仏の国境に近い仏ロレーヌ地方の鉄鉱石と独ルール炭田の石炭を利用した独の鉄鋼生産、これを戦後の秩序にどう組み込んでいくのか、大きな課題であった。更に、東欧を傘下に収め、東独を占領するソ連の脅威への対抗も必要だった。

「繁栄と社会の進歩を達成するために、ヨーロッパ各国は連邦を結成するか、『ヨーロッパ的実体』を作り出し、単一の経済単位にならねばならない。…フランスの将来はヨーロッパの問題を解決することにかかっている。」
この意見書をモネ氏は1944年に、すでに仏亡命政府に提出していた。この構想の具体案を思索し、上記の石炭、鉄鉱の共同管理に辿り着いた。これをシューマン外相が僅かな日時で以下のように提案した。「仏独の石炭・鉄鋼の全生産を、他の欧州諸国の参加を認める組織における最高機関の管理におく」「経済発展の共通の基盤、欧州連邦の第一歩」「仏独の戦争は不可能」。
(以上は「ヨーロッパ型資本主義」福島清彦(講談社現代新書)2002年)

ともあれ、短期間で仏政府提案にした構想力、政治的実行力には舌を巻く。更にそれが今日、EUへと発展した処に多くの人に共通の課題意識を感じる。

少し話はそれるが、“共通管理”から橋下氏の竹島日韓共同管理を思い浮かべる。
http://blog.goo.ne.jp/goalhunter_1948/e/c4a4175e8226ccf9d4e7a637331cc5f4
橋下氏が本気なら、他国の監視機関による管理も考えるはず…本気ではないのだ。

欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)のことは小学生のときに知った。「朝日少年年鑑」に載っていたはずだ。日本が資源のない国で鉄鉱石は輸入し、石炭は生産するが、良質なものは輸入、貿易は赤字…。工業立国になることが必要…。その中で、欧州経済共同体(ECC)に拡大した頃ではないか。それと共にソ連のスプートニクなどの東風も吹いていた。一方で高度経済成長も実は始まる時代でもあった。


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