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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  宝暦治水と木曽三川の治水

2016年10月28日 23時00分46秒 | ヒストリー各務野会

今日のヒストリー各務野会の講師は宝暦治水史蹟保存会長の中西達治氏です。氏は金城学院大学の名誉教授でも有ります。
ご自身が保存会の会長を勤めておられるだけ有って、宝暦治水に詳しい方です。治水神社では春の大祭と秋の大祭が執り行われているが、秋の例大祭は治水工事でなくなった方々の法要を営むものだと話されました。


開始時間前なのですが、出席者が揃い、始まりました。




先生からいただいた資料です。
長良川は今のような姿をしていません。




古書を手にして説明しています。





ホワイトボードを使っての説明です。
吉宗の時代。
使ってはいけない、字が有りました。




上の資料は先生がご用意くださったものです。
その中で内藤十左衛門の切腹の理由と有ります。
緻密な工事をやりたかった十左衛門と大雑把な庄屋。事がうまく運ばずに、その責が己の上司に及ばないようにと、自害しました。
その事を説明されました。




今年、4月に弥富市内を一宮友歩会でウオーキングしました。その時に證玄寺に寄りました。寺の表に内藤十左衛門自刃の地の石柱を目にしました。その時は、何で巣南町教育委員会が、このような離れた地に石柱を立てたのだろうと言う思いがしました。
今、こうして内藤十左衛門の自刃の話を聞き、見てきた證玄寺の石柱が結びつきました。
見てきたことと、話が一致する。
こう言う事が、歴史のおもしろい所の1つであります。
海津市のホームページで、内藤十左衛門の自刃について触れています。
http://www.city.kaizu.lg.jp/life-guide/learns-play/history-culture/horeki-chisui/ninote.html





ご自分で撮影してこられた海蔵寺の石碑の写真を手に説明しています。
終了時刻が過ぎていますが、熱心にお話しされています。








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