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歴史勉強会 ヒストリー各務野会    「各務野の大地に記録された自然災害と減災への心構え」

2016年05月27日 23時36分25秒 | ヒストリー各務野会

今日のタイトルは、各務野の大地に記録された自然災害と減災への心構え--2 です。
実は、前回は欠席しましたので、講師が鹿野さんと言う名前しか判りません。何か、ご様子では高校の先生をやっておられたようです。前回が講義でして、今回は現地学習です。
美濃市から現地に向かいましたが、遅刻でした。



現地見学の地図です。
2.3.5.6.の地点を現地見学しました。




2番の場所 山脇町

山脇町の現地に来ました。
もう、話は始まっていました。




各務原層の砂層が分布します。




先生が高い場所に上がって説明されます。




砂層です。
堆積して来た事が判ります。
黄色い線が横に横切っていますが、御嶽の軽石が入っているのだそうです。




実物を取ってみました。
もろい砂の塊です。


3番の場所 木曽川堤

木曽川の堤防に上がります。




この辺りが天正地震で決壊したところです。




今は家屋が並んでいますが、当時は勿論このような家々がない時代でした。
ここを濁流が流れました。




堤防道路です。

今でこそ、立派な堤防がありますが、当時はこのような堤防が有りませんでした。


5番の場所です

伊木山の中腹で北の方角を眺めます。




洪水の時に川の流れが大地を洗いました。
水が削り段丘崖が出来ました。
樹木が並ぶラインがそれです。




同じ伊木山ですが、こちらは不整合とくさり礫層の場所です。




説明する鹿野先生。




不整合の説明板です。




覆土が覆っていますが、除去すれば現れると話していました。




危ない場所まで指差して説明です。


番号6の場所です

鵜沼西町。
木曽川泥流堆積物の現地です。
御嶽山からの泥流を木曽川が運んできました。
何万トンもの膨大な量です。
狭い川幅で流れて来て大地が広がる場所へ来て、一機に広がった泥流。
溢れる泥流が堆積物として積もりました。





堆積物が積もった後です。


何万年もの時間の流れ。
そんな、何万年も前の時代に思いをはせます。
幾度と無く氾濫した木曽川。
今回、現地学習で、それらの現地を見学しました。
身近な所に研究に好材料の場所がある。
このような素晴らしい場所を保存していくと供に、子供たちへの教材用に生していかなければならないと話していました。



コメント
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