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歴史街道を歩く会 5月例会 師崎街道シリーズPart②  東浦町 於大の方の里を歩く

2018年05月26日 23時22分31秒 | 歴史街道を歩く会

歴史街道を歩く会の5月例会に参加しました。JR緒川駅を出発して東浦町の町内を歩きJR緒川駅へ戻るコースを辿りました。
東浦町は家康の母、於大が出生した地であります。於大公園が有ったり於大のみちが有ったりと町全体が於大の方の里だと言う印象を受けました。

JR緒川駅(スタート)  ― 入海神社 ― 入海貝塚  ― 了願寺 ― 善導寺  ― 札木の辻跡  ― 地蔵院  ― 
緒川城址 ― 於大公園  ― 乾坤院 ― 於大のみち ― 東浦町郷土資料館 ― JR緒川駅(ゴール)

JR緒川駅(スタート)

JR緒川駅です。
これから東浦町緒川の街を歩きます。




古い街道筋の雰囲気が残る道。
師崎街道を歩きます。



入海神社

入海神社へ来ました。
小高い丘の場所となっています。




入海神社の本殿。
立派なお社です。



入海貝塚

入海貝塚です。
国指定の史跡であります。
説明には縄文早期の時代と有りました。
この場所は小高くなっていますが、ここの直ぐ近くまで海が来ていたのでしょう。




入海神社から戻る時、若い人たちの団体とすれ違いました。




了願寺へ向かっています。
了願寺も小高い丘の上の場所になっています。






ここでも若い人たちの団体が居ました。
聞きましたら、名城大学の都市情報学部の景観調査でした。


了願寺

両側の白い塀。
その間の石段を上ります。



石段を登り切ると鐘楼が有ります。
梯子段があり上に上がれます。



上がってみて、東方を見下ろしました。
東浦の町が広がります。






下へ下りてきました。
また、師崎街道を歩きます。




緒川城址

師崎街道から緒川城址へ上がってきました。





緒川城址です。
手入れが行き届いていなく草が伸びています。





於大公園の方に来ました。
ここは緒川城主、3代の墓です。




緒川城主、3代の墓の説明板と、水野家の系譜です。



於大公園

広い於大公園へ来て、昼食時間でした。
昼食を終え、園内を歩きます。
そして、於大の方の生涯を現すモニュメントが有りました。



於大の方の生涯を現すモニュメント。
4枚あり、誕生や婚姻などが並んでいます。



乾坤院

緒川城の初代城主水野貞守によって水野家の菩提寺として建立された寺です。
本殿の工事中でした。
Wikipediaに寄ると2016年3月に本殿が焼失したと有ります。
それで再建しているのでしょうか。



於大のみち

明徳寺川の左岸が於大のみちとなっています。




路面に陶板が埋められています。
32枚の陶板が於大の方の生涯を紹介しています。



於大のみちを逆に歩きました。
スタート地点では於大の方を出生から紹介しています。



東浦町郷土資料館

東浦町郷土資料館に来ました。
この資料館。
またの名をうのはな館といいます。





丁度、家康の母 於大の方のものがたり   -於大と周辺のひとびとー。
明日まで企画展が開かれていました。





於大の方のものがたりを開催する挨拶です。





於大の方の生涯を紹介しています。


 JR緒川駅(ゴール)

JR緒川駅へ戻って来ました。

感想
東浦町は於大の方、一色の町だと思いました。
緒川駅から歩き出し、緒川商店街の幟旗が立っていました。「於大のふるさと緒川」となつていました。公園は於大公園。健康の道は於大のみちとなっています。信長公とか家康公と言うように、呼捨てでなく於大の方と呼ぶのが好いのではないかと思います。
於大の方は岡崎の松平広忠に嫁ぎましたが、兄の水野信元が織田側に着いたため、離縁され竹千代を残して刈谷へ帰されました。そして、久松俊勝と再婚しました。そんな状況でも竹千代の事を気に掛けていました。
時代の流れに翻弄された於大の方。東浦に来て、色々と勉強になりました。

昨日の岩村城のおつやの方と言い、今日の於大の方。
戦国時代の女性が、時代に翻弄され気の毒に思えます。




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