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Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

第7回 木曽三川 ふれあい セミナー

2016年03月03日 23時23分55秒 | 各種講座

海津市の長良川サービスセンターで、第7回木曽三川ふれあいセミナーが開かれ、そのセミナーに参加して来ました。きっかけは、弥富市の歴史民俗資料館でセミナーのパンフを手にしたからです。パンフには高須輪中排水機場を見学すると書かれていましたので、参加したいと思い、申し込みました。


ふれあいセミナーのパンフです。




長良川サービスセンター。
鉄骨の3階建ての建物です。
ここでセミナーが開かれます。




セミナーが開始される時間までには少し早いです。
サービスセンターの表側へ来ました。
2階の高さが、堤防の高さと一緒になっています。



開始までにまだ時間が有ります。
2階でシャッターが上がっている所が有り、中を伺いました。
艇庫になっています。それにカヌー体験コーナーのプレートが有ります。
このようになっている内部。
長良川サービスセンターも見学する価値が有る施設のように思えました。



セミナーが開かれる3階へ来ました。
部屋の中。
関係者が並んでいました。




3階から東の方角を眺めました。
名古屋駅近辺の景色です。
春霞で霞んでいます。
写真では見えませんが、眼では、チャンと何本かの名古屋駅のタワービルが見えました。





セミナーが始まりました。
このセミナーは木曽川上流河川事務所と木曽川下流河川事務所の共催となっていました。
ズラ~と国交省の職員が並んでいます。
セミナーの開始です。下流事務所の渋谷所長。上流事務所の大澤所長の挨拶から始まり、それぞれの事務所の事業説明が続きました。
配布された資料に沿って、事業概要の説明がありました。



木曽川上流河川事務所の事業概要の資料の1ページです。




配布されたセミナーの資料です。
揖斐川の支流の杭瀬川。
一宮友歩会のウオーキングで杭瀬川の堤防を歩きました。その時は桜が満開の時期でした。下見で歩いた時には桜の木が有ったのですが、本番で歩いた時は切り倒されていました。
この資料には洪水に寄り、塩田橋が水に浸かる程の水が押し寄せている写真が載っています。桜の大木を残すことも必要だが、住民の財産、生命を守ることも重要だと言う事が判りました。




一宮友歩会、15年4月4日の大垣ウオーキング。
一宮友歩会は一宮と名が付いていますが、尾張部から名古屋市などのウオーキング愛好家の集まりで、誰でも参加できます。偶数月に例会を開催していますが、8月については酷暑の時期ですので、7月の第1土曜日の開催となっています。
例会の実施には下下見。下見。そして本番となります。会に歴史や城郭に詳しい人。或いは土木的な分野に詳しい人が居て、ただ単に歩くのでなく、知識的に学習出来る部分があります。

塩田橋の上から杭瀬川の工事状況を眺めます。
広い遊水地です。




工事現場で、先に塩田の常夜灯が見えます。




一宮友歩会の4月例会で、大垣市内を歩き、杭瀬川の堤防を歩きます。
桜が満開の時期となっています。
下見の時には立っていた桜が伐採されています。切株だけが残り太い木が有ったと想像させます。




杭瀬川の堤防を歩きます。
桜の木が満開を迎えています。
風で花びらが飛んできました。


高須輪中排水機場
サービスセンターからマイクロバスに分乗し、高須輪中排水機場に向かいました。

揖斐川の堤防に出ます。
前方に白い高須輪中排水機場の建物が見えます。




排水機場に来ました。
入口に排水機の大きな部品が展示して有ります。




場内に入りました。
ここでは浮須さんから説明があります。




排水機場の構造を説明するパネルです。
ポンプが作動して水を排出する仕組みを解説しています。ポンプが作動すると直ぐに水が流れ出すのでなく、蛇口をひねるように、電動弁を開放すると水が流れる事が判ります。




治水の恩人。
ヨハネ・デ・レーケの銅像が安置して有ります。




デ・レーケの生涯の紹介と治水の歴史が書かれています。




ポンプが稼動し、水の流れることを説明しています。




水を汲み上げる・・・・ポンプの役目。
その解説です。
5台の排水機が稼動すると25メートルプールが、約5秒で一杯になるのだそうです。
凄い威力です。
でも、洪水で押し寄せる水をこのくらいの汲み上げるパワーを持っていないと、頼りないです。



地下のポンプが作動する場所に下りてきました。




左は排水する大きなパイプです。右は予備のために有る6号機の排水口径です。これだけの口径のパイプで水を排出します。




排水機場の外に出てみました。
大江川からスクリーンを通過した水を汲み上げます。




場内の風景です。
左から1号機2号機と並んでいます。1~4号機まではディーゼルエンジンでしたが、5号機はタービンエンジンでした。タービンエンジンは新型なのでしょう。




2号機を試動させてくれました。
「ゴー」と言う大きなエンジン音がします。漁船の機関室に入ったことは有りませんが、恐らくこのような騒音のする場所だろうと想像しました。




左がヤンマー製のディーゼルエンジンです。右は日立製の減速機です。エンジンの動力を減速機に伝え、下のポンプのスクリューを回転させます。エンジンの横の円盤が回転しており、この動力が伝わっているのが見えました。


ワイルドネイチャープラザ
バスで高須輪中排水機場から稲沢市のワイルドネイチャープラザに来ました。
ここは木曽川左岸の広い自然公園のような場所です。

バスでネイチャープラザに来ました。




バスから降りて、木曽三川公園の説明を受けます。




包原さんがパネルを使って、木曽三川公園の概要を説明しています。



今日の参加者たち。
包原さんと談話する参加者。




川岸を歩きます。
丸で、自然教室のような感じがします。




宝暦治水のプレートがコンクリートの碑に設置して有ります
その碑を囲むようにして説明を受けました。




宝暦治水について解説しているコンクリート碑。



佐屋川分流の説明板。
包原さんが解説しています。





こちらの男性は愛西市から来たと言う人です。
木曽川の歴史に詳しい人でして、木曽川が本流と佐屋川に別れて行く川の流れを解説していました。佐屋川から流れていく川に筏川が有るが、木曽川を流して来た筏を縛りなおしたので、筏川と呼ばれるようになったと話しました。




佐屋川分派口締切之地。解説板です。
この近辺。今の現状とは創造できないような形状だったのだろうと思います。
詳しい人に解説して貰えた。
このように解説の話が出てくることは想像外の事なのでしょう。でも、学習するには、良い機会を得ることができました。


この後
この後、バスに乗り長良川サービスセンターに向かいました。
そして、3階の先ほどの部屋に戻り、意見交換会となりました。施設を見学した感想などが話し合われました。



感想
今回の参加者は私の受付番号が14番でした。当日の飛入りのような人が隣に居ましたので、総参加人数は15名です。誰か、参加者が参加人数が増えるようにPRを諮るようにと話していました。国と市や県との関係です。PRパンフを市や町に置いて貰い、広く募集してはとの声が有りました。
セミナーに参加してみて、木曽川河川事務所が取り組んでいる事業説明と現場見学。そして市民の意見を聞く公聴会で実績作りの場のように感じました。タイトルのふれあいセミナーと言って、どんなセミナーだろうと思ってしまいます。副題に「国交省の仕事を知ろう」とか「河川はこのようにして守られます」「河川事務所って、どんなトコ?」的な事が有れば、よりピンと来るのではないかと思いました。
見学の場として排水機場とネイチャープラザが有りました。ネイチャープラザは公園的な場所で、普段でも自由に参観できる場所です。でも、今回はこの地の歴史を良くご存知の方から貴重なお話しを聞く事が出来ました。
また、排水機場は個人では滅多に入る事が出来ない場所でして見学が出来て、説明も聞けたのが良かったです。
杭瀬川の桜の伐採は桜の木を残すことよりも、住民の安全と生命を守るため、止むに止まれず伐採している事が判りました。このような事を知る事が出来たのも、今回、受講した成果です。
このセミナーは木曽川上流河川事務所と木曽川下流河川事務所の共催でした。私の知識では岐阜市の忠節橋の近くに事務所が有り、あの場所が上流事務所で下流事務所が桑名市に有る事が判りました。受講してこの事が判ったのですが、セミナーの冒頭にこう言うことにも触れていくと良かったかも知れません。それに上流と下流の担当する区域が稲沢市、輪之内町と聞こえました。この事も地図を用いて説明が有れば、より理解できたことだと思います。
ズラーと並んだ関係者。堅苦しい雰囲気でのスタートでした。ソフトなムードに持って行くことを考える余地が有ると思いました。
最後に、勉強になる機会を与えて戴きまして有難うございました。






コメント (2)
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各務原野外セミナー  名古屋の2つの博物館へ

2015年11月25日 23時28分29秒 | 各種講座

各務原市教育委員会埋蔵文化財センターの主催する「各務原野外セミナー」に参加しました。
市の広報誌で募集していましたので、応募しました。この事業は市のバスを使用して市の外に出かけ、教養を深めると言うものです。出かけた目的地は南山大学人類学博物館(名古屋市昭和区)と見晴台考古資料館(名古屋市南区)を訪ねるものです。
参加者は成人男女24名でした。平日の開催と言う事も有り、いずれの人も平日に時間が有る人ばかりが参加していました。
実は、この2館。どちらも以前に見学したことの有る場所です。


集合場所は各務原市中央図書館の北側でした。
定刻に各務原市のバスが来ました。
参加費500円を払い、受付をして貰いました。


埋蔵文化財センターのOさんの挨拶です。
そして、今回。
野外セミナへーの趣旨説明が続きました。
その後、埋蔵文化センターが今、直面している鵜沼古市場遺跡や坊の塚古墳を発掘している状況の話が有りました。



東海北陸自動車道。名古屋高速を使って名古屋市に入りました。
そして、やって来たのが昭和区の南山大学です。

南山大学人類学博物館

バスから降りて大学の人類額博物館へ入ります。



館の入口には館を紹介する説明板が掲げて有りました。
大学博物館の学術史が書かれています。





博物館の中に入りました。
説明してくれるのは学芸員の如法寺さんです。




こちらのコーナー。
石器が並んでいます。


直接タッチする事が出来ます。




この石器のコーナー。
マリンガー・コレクションです。
マリンガー神父がフランスで発掘した箇所の地図が付いています。




展示品の説明があります。
そして、展示品を見上げる皆さん。




銀細工の工芸品が展示して有ります。





工芸品を手に取ってみます。





女性が試着してみました。
試着が終わった後、誰かが感想を聞いていました。
重くて、首が疲れると言っていました。




首飾りを説明しています。




銀の展示品と銀の首飾り。




こちらは昭和の時代の品々です。
家庭電化製品などが並んでいます。
皆さん。見ていて、懐かしさが沸いて来たようです。




土器について説明しているOさん。


実は、この南山大学人類学博物館。ここへは以前に来た事が有ります。
一宮友歩会で昭和区を歩きました。
そのウオーキングの時に、この博物館へ寄りました。
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/f5de0245f6edd8df8d6553d168db3963
ウオーキングの途中に寄ったものでして時間に制約されていました。
今回の見学は時間がタップリと取られ学芸員の説明も有りまして、勉強になりました。


南山大学のキャンパス

大学の構内の案内図です。




南山大学のキャンパスです。
若い男性たちが歩いて来ます。
「大学」と言う雰囲気です。
息子たちはとっくに大学を卒業しました。
ですから、世代的に、この場所に居て学生の父兄と言う顔は出来ません。





キリスト教系の大学ですので、こんなモノがあります。





来月はクリスマスと言う時期です。
キリストの誕生を表しています。
キリストの誕生を祝うために訪れた東方の3人の博士たち。




キリストが生まれました。
普通ですと、キリストが生まれて飼い葉桶に入れられたと言われていますが、ここでは・・・・・。




大学構内を歩き、学生食堂へ向かいます。
モミジが紅葉しています。




学生食堂に来ました。
DA・GA・NEと言う名です。




今日のランチ。日替わりです。
右は食堂に入って、注文しました。




ランチです。
メインがトンカツ。
小皿を取る事が出来まして煮カツを取ってしまい、カツ同士を選んでしまい、後で後悔しました。
御飯のサイズはエムを選びました。
米が悪く、美味しくない御飯でした。




食べ終わって食堂内を見渡しました。
談笑している学生なのですが、外国人。
留学生なのでしょう。

彼らのほかにも留学生を見かけました。
南山大学の中に何人くらい留学生が居るのだろうと思いました。



学生会館の中にはコンビにも有りました。
ズラーと並んだコピー機。
テストの前には頻繁に利用されるのでしょうか。


南山大人類学博物館の見学に時間がタップリと取られていました。それで、大学内の学生食堂を利用させて貰いました。キャンパスの雰囲気を味わう事が出来ました。特に、感心したのは外国人の留学生を多く見かけたことです。今時の大学キャンパス。外国人留学生が何人も来ている。今の時代。このように変って来ていることを知る事が出来たのも、成果です。
それに、時間が有りましたので、図書館に入りました。私たちの姿から、部外者だということが一目瞭然でした。普通、一般人は入館で来ません。図書館カードを作って貰い、入館させて頂きました。
大学の図書館の中が見れました。これも好い体験でした。


見晴台考古資料館。

南山大学では、バスの出発時間が1時となっていました。その時間に全員が集まり定刻に昭和区の南山大学を出て、南区の見晴台考古資料館へ着きました。
これから資料館に入ります。
今にも雨が振り出しそうな空模様です。




館に入り、大きな部屋に案内されました。
説明してくれるのは学芸員の岡さんです。




DVDを使っての説明です。

画像で紹介しているのは、考古資料館が開館以来続けている市民の手に寄る発掘です。市民発掘で土器を掘り出すことは勿論ですが、測量器具の使い方まで指導していて、発掘調査報告書に結び付けていると話していました。
このような発掘作業ですが、名古屋市民でない人から発掘作業に参加させて欲しいとの申し入れが有りましたが、参加者を多く広げてしまうと対応できない。とのことで、名古屋市民に限定しているそうです。
ここ、見晴台考古資料館の周囲には旧石器の時代のモノから現代のモノまで埋まっていると話しました。ここではB29の尾翼の一部が展示していました。




展示室での見学。




見晴台考古資料館と清須市の朝日遺跡の遺物が並び、形状を比較できます。




岡さんが説明しています。




企画展。朝日遺跡展のパネル。
右側は展示品で、奥側が見晴台遺跡の遺物で手前が朝日遺跡の遺物です。
良く似た形状をしています。
朝日遺跡と見晴台遺跡には同時代に、「村」を形成した時期があります。名古屋市と清須市。友好的に相手の村へ訪ねて言った事が有るのだろうか。小さな「ポリス」の時代です。いがみ合って戦争をした事が有るのだろうか。
そんな事を想像する事が面白いです。




説明が終わり、館の外に出ました。
館の外に環濠集落の濠跡が有るのです。
この時間の頃には雨が降り出しました。



こちらの考古資料館。
ここへも一宮友歩会でウオーキングの途中に寄りました。
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/ed056e489d76f1779c0cdecb1aefb169
ウオーキングの途中で寄りましたものですから時間に制約されていまして、ゆっくりと見る事が出来ませんでした。
それに今回は学芸員の説明が聞けて良かったです。



最後に

帰路。
バスの中で挨拶するOさんです。

最後に
市のバスを使って他市へ学習に出かける。
今回は名古屋市の南山大学親類学博物館と見晴台考古資料館へ出かけました。タップリと時間を取って貰え、学芸員から詳しい説明も聞く事が出来ました。
参加していた人も真摯な姿勢で臨んでいました。一日だけの学習でしたが、「動く教室」そんな印象を持ちました。企画してくださった埋蔵文化センターにお礼申し上げます。






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村絵図を歩こう -近代編ー  (現地学習)

2015年09月10日 23時43分31秒 | 各種講座

先週は座学でした。
今日は、村絵図を歩こうの現地学習の日となっていました。
歩こう会で山へ行く日の予備日となっていましたが、山へ行くのが中止となって、コチラに参加できるようになりました。
各務原市中央図書館へ9時に集合しました。


中央図書館の前です。
今日の参加者は10名です。
ここから街歩きがスタートします。




図書館を出て西へ歩き始めました。




今日、街歩きする那加駅前。
昭和35年頃の那加駅前の地図です。
駅前には商店が並び活気が有りました。




街角に立ち止まって佐藤先生が説明しています。




この角は、かつて那加東映が有った場所です。今では床屋と花屋になっています。今の状態で、ここに映画館が有ったとは、信じられません。ただ、電柱が残っていて、当時の写真と照合すると映画館が有ったのだと想像出来ます。
子供の頃に母親に連れられて映画を観に来た事が有ります。
日活の映画で赤木圭一郎が出ていましたが、タイトルは覚えていません。2本立てでして、もう1本は東映の作品で新吾十番勝負、二十番勝負と言う映画で大川橋蔵が出ていました。昭和34年か35年の頃でした。
この場所が那加東映となる前は翼館と言う映画館か芝居小屋でした。映画を上映していた時に、親と来た事が有ります。2階が有り、2階は畳敷きでした。




街中を歩いていて、思わぬ人に出合いました。
オバアさんですが、Iスポーツのオバアさんでした。
私が名乗りましたら、チャンと覚えていてくれました。何時までも健康であって欲しいと思います。




コースから外れましたが、ここは日之出町のお稲荷さんです。
子供の頃に、ここで紙芝居を観た覚えがあります。
オジサンが紙芝居の箱を自転車の荷台に乗せて、やって来て太鼓を使ったりして、紙芝居を上演したのです。お金を持たずに来た子には後ろで観るようにさせ、観るなと言う様な意地悪なことは有りませんでした。
一緒に歩いていた人に、このことを話しましたら、水飴を練って、透明から白く変わったといっていました。同じような年代です。同じような思い出が残っているのでしょう。
あの時。自転車の荷台に箱が付いていました。引出し式になっていて、引出しの中に水飴や菓子が入っていました。紙芝居の舞台はパタンと倒せるスタイルでした。上演する時には、立てて紙芝居を見せたのです。今、その箱が有ったら、文化財ですね。
向こうの建物は日之出町の集会所です。あの頃は木造の建物でしたが、建て替えられました。この事にも、時の流れを感じます。




この先が一六市が立ったところです。
一六の字が示すように一と六の付く日に市が立ちました。




今では営業していない大衆食堂です。
市呂久の字が付いています。
一六市にちなんで名付けたのでしょう。
楽自慢と言う酒の銘柄。お酒も提供してのでしょう。



右側から観たのと、左側から観たのです。
左側には、字がかすれて居ますが、おでんの字が残っています。




ここでも、立ち止まって、説明を聞きます。
家屋の看板に「藤屋 モスリン店」とあります。
藤屋は確か、呉服屋だった店です。今では廃業していて、看板だけが昭和の顔を残しています。時間が経ち今となっては、文化財的な価値が有るのかも知れません。




一六市の通り歩きます。
かつて、1日と6日に人々が往来して賑わった通りです。今の状態からは、当時を思い浮かべるものは何も有りません。
両側の花壇となっている部分を屋形と読んでいました。床とトタン屋根が有るだけの建物が立ち並んでいました。その屋形の部分が花壇となっているのです。




一六市の通りに向かって、何を話しているのでしょうネ。
コチラの女性。
神田屋さんの女将さんです。
神田屋さんは今も商売を続けています。ガラスと氷の店で、祭りでカキ氷が要るなら神田屋へとなっていました。
一六市が賑わったころの事を聞いているのでしょうか。




今尾薬局の見える場所まで歩いてきました。
右側の写真で左上に見えるのが今尾薬局です。建て替えられた建物となっています。



本町通りを歩きます。
浅野屋の前に来ました。




浅野屋のやり手のおネーさん。
勧め上手で一緒に歩いていた人がブドウを買いました。




本町の秋葉神社へ来ました。
左側の白いのは、本町のテントでした。
何か、行事に使ったのでしょう。濡れていて、乾して有りました。




那加町が空襲を受けたときを記録する石柱です。
今尾義祐さんが個人で石柱を立てました。
何度か空襲が有りましたが、昭和20年6月22日に大きな空襲が有りました。
そしてこのあたりは爆撃を受けました。
この6月22日が各務原市の平和の日となっています。



那加駅まで歩いてきました。
丁度、特急が通過します。




那加駅を後にします。
歩いているのは本町通りです。
歩道が設けられ道幅が広い通りとなっています。



新那加駅まで歩いてきました。
ここには、かつて名鉄パレと言うショッピングセンターが有りました。
ショッピングセンターが進出してきたのですが、その後に郊外にスーパーが出来るようになって廃れてしまい、廃業して、その跡地はマンションに変わりました。




一緒に歩いていた人の知り合いのオバアちゃんです。
アレアレと言った感じでした。
コチラのオバアちゃん。93歳になったと話していました。




旧国道21号線です。
那加バイパスが出来て、交通緩和がなされました。



今の旧国道21号線とかつての21号線です。
何年に渡道橋が出来たのか判りませんが、右側の写真は渡道橋が出来る前のモノです。
各務原郵便局や岐阜信用金庫。位置は変わりませんが建物の姿が変わりました。




各務原市民公園を正面から見ました。
この市民公園。かつて岐阜大学の工学部と農学部の校舎が有りました。




街中を歩いて来て、最後となりました。
館長の挨拶で終りとなりました。




那加町には陸軍の兵隊に面会をしに来た人が泊まった旅館が何軒か有ったが、今では2軒だけになったと、佐藤先生が話していました。岐阜大学が有った頃には学生がいて賑わっていましたが、大学が岐阜市に移転して、学生の姿を観る事が無くなりました。
稲羽地区の三井町や小佐野町の人は那加駅前の事を「那加駅前」とか「駅前」、「那加駅」と呼んでいました。稲羽地区は商店の数が少ない地域です。各務原台地の上と下。下の方からは憧れ的な気分が有ったのかも知れません。今回、街を歩いていて、誰かが言っていました。稲羽から来て一六市で買い物をして、市呂久で飯を喰って帰る・・・・・。
それが当時のレジャーだっのかも知れません。
一六市が廃止となり、学生の姿が見えなくなり、町が廃れていきました。
今日、歩いた地域で、洋菓子のランタン。喫茶店のブルボンが店を閉じていました。丹羽薬局もシャッターが下りたままです。
街の変貌を観てきたのが、那加駅です。高山線が開通して出来た那加駅。駅前の通りが商店街に変わっていくのを観ていました。そして、出征兵士が戦地へ出向いていくのを見届けたのも那加駅です。その姿も近代的な駅の姿に変わりました。

「村絵図を歩こう」講座。1回目が座学。2回目が現地学習でした。
2回だけの講座でありましたが、懐かしく思える部分も有り、面白く学ぶ事が出来ました。

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村絵図を歩こう -近代編ー  (座学)

2015年09月03日 21時56分37秒 | 各種講座

各務原市歴史民俗資料館の主催で、村絵図を歩こう<近代交通の発達と商店街の歴史>と言う講座が開かれました。今週は座学で来週は現地調査となります。受講者は11名でした。



講座生の募集チラシ。
チラシに使われているのは、昭和15年の那加駅前の青写真です。
駅が出来て、道が設けられて、街を形成していきました。



会場は各務原市那加福祉センターです。




こちらが福祉センターの建物です。
森の中にある閑静な建物と言った感じの場所です。




センターの前には池が有り、ホテイアオイとコウホネが咲いていました。




今日は1回目と言う事で、西村館長の挨拶から始まりました。




講師を務めるのは佐藤先生です。
パソコンから投射して講義を進めていきました。
コチラの絵図は手力雄神社が所有する絵図で江戸時代のものです。
広い各務ヶ原。そして横に伸びるのが中山道です。
この時代は入会地で草刈り場等となっていました。
そんな、原っぱに鉄道が引かれ駅前に街が出来ていきます。



大正8年5月に高山本線の工事に着工し、大正9年10月に岐阜から各務ヶ原の間が開業しました。資料の写真は開業したばかりの頃だそうです。
煙をなびかせながら東へ蒸気機関車が走ります。
駅前の道路の両側。まだ、商店が並んでいません。
先の方に見えるのが、中山道で松並木が残っています。
この写真。右の方に移っているのは複葉機の翼です。


こちらは昭和5年頃の岐阜高等農林学校です。今の岐阜大学農学部です。畑のド真ん中に高等農林が設けられました。画像では判り難いですが、電車が1両で走っています。
この話を聞いていて、那加門前町と言う町名が有りますが、高等農林の門の前だったから町名が門前町となったのだと気が着きました。

何も無かった草原に駅と高等農林が出来て徐々に人が集まり、そして商店街が形成されていきました。そのような過程を説明されました。
那加駅前に商店街が出来、人も集まりました。那加駅から離れた場所ですが、川崎航空機で飛行機を製造するようになり、人が集まり、社宅が作られる等して、発展しました。また、他地区の人は、「那加駅前」と呼ぶようになりました。そして、1日と6日に市が立つようなりました。一・六市です。そんな市も時代の流れで廃止となりました。
このような時代の流れ。判り易く説明してもらえました。
次回は10日に現地を歩きます。
でも、残念ながら10日は別の予定が入っていて、参加できません。


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登山講習会 (初めての山登り)

2015年07月05日 23時44分23秒 | 各種講座

岐阜県山岳連盟の主催によると登山講習会が関市の総合体育館で開かれました。山友が聴講に行くとの事で一緒させてもらいました。
内容は
1.「山登りの知識」
講師 廣瀬 修二氏 (日体協公認山岳上級指導員)
2.「山登りの医学」
講師 服部 順子氏 (日本登山医学会認定国内山岳医、スポーツドクター)
                                               でした。


関市総合体育館の入口です。
これから館へ入ります。



講義が開かれたのは2階の会議室です。
こちらは配布された資料です。




開催に先立ち、主催者の挨拶です。
話をする塚原 孝理事長です。

最近は中高年の登山者が多く、事故に結びついています。
山へ登る人に欠けるものとして、1.危機管理意識。2.体力。3.山へ登る時の常識。4.登山技術。の4点を挙げていました。
平成26年の登山事故の統計が発表になったそうです。山の事故が2,293件で121件の増。事故をした人は2,794人で81人の増となっていると数字を掲げて話されました。
事故の発生が長野、富山、北海道と続き岐阜県は8番目で106件有ったそうです。何れの県も地元の人が事故ルのでなく、他所から訪れた人が事故ルと話していました。


廣瀬さんの講義です。
色々のザックを持ち出して、話していました。



ホワイトボードに等高線を描き、地図の見方を話し居ます。
地図を読む。
そして、目的地はどの方角か。
コンパスを使えるようにと言っていました。


こちらは服部先生です。



パワーポイントを使用しての講義です。
登りはカメのようにゆっくりと登り、下りは猫のように下山すると話していました。

講義を聞いて知ったことはメッツと言う言葉です。
普通の状態にしているときが1.メッツ。ハイキングは6.メッツ。本格的な登山となると8.メッツとなるのだそうです。
初めての山登りとサブタイトルが付いていましたが、聴講者はいずれも山のベテランと言った感じの人たちでした。講義内容は山登り全体にわたる話しでした。



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「暮らしいきいき セミナー」

2015年02月24日 20時38分36秒 | 各種講座

信用金庫の健康をテーマにしたセミナーが開かれましたので、参加してきました。


信用金庫の玄関です。



6階の大ホールに案内されました。
理事長の挨拶です。


セミナーが始まりました。



今日のテーマ。
効果的なストレッチのしかた。
腰痛症予防を例としてです。



この日の講師は中部学院大学の鵜飼 建志准教授です。



立ち上がって、ストレッチの仕方を指導を受けました。



ストレッチの指導です。


会場には100人以上の高齢者が集まりました。
普段、運動不足になりがちな体です。
高齢の人ばかりの集まりでしたが、役に立ったことと思います。

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自然体験塾講座 ミニ門松作り

2013年12月22日 20時58分55秒 | 各種講座

今日。各務野自然遺産の森で「門松」作りが開かれました。
これは、各務野自然遺産の森の「親と子の自然体験塾講座」として行われたもので、参加してきました。
定員は30人で、予め申し込みが必要でしたが、飛び入り参加させて貰いました。


自然遺産の森。
こちらの敷地全体が自然遺産の森となっていますが、この家屋の前で行われました。




到着すると、もう、始まっていました。
飛び込みでやらせて、貰いました。



細かい説明が有りました。



用意してもらえた梅の枝。松の葉。それにナンテンです。
その他にクマザサや杉の枝も有りました。



これが完成見本です。



左はお父さんと男の子の組。
右は両親と女の子の組です。
親子での取組み。微笑ましい様子でした。



何組かの親子。
親子が力を合わせて「門松」完成させます。



カミさんはこの段階まで漕ぎ着けました。



切った竹、3本を束ね紐で結びます。
紐は3箇所結びます。
3箇所で、上から7巻き、5巻き、3巻きしますが、7.5.3と言う数字は七五三で縁起の良い数字です。そんな意味が込められていることを知りませんでした。。



完成させた作品です。

門松作りを体験しましたが、太い竹や細い竹。ナンテンや熊笹などの材料を揃えるのは大変なことでは無いかと思います。
このような場を設けて戴け、感謝します。


竹を切る角度を鈍角にするか鋭角にするか。
材料を竹筒に入れるのも、見栄えがするように入れなければなりません。
もつと、上手く作りたいと思いました。
「門松」作りを初めてやってみましたが、面白かったです。


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絵図を読み解く

2013年02月14日 22時31分20秒 | 各種講座

名古屋市の蓬左文庫で「絵図を読み解く」という講座が開かれました。
参加してきました。


蓬左文庫の入口です。
こうぞは別の場所で開かれていました。


講座の開始前。
老若男女とはいえませんが、それなりにお歳を召した男女が出席。
講座の開始時間には100人をオーバーしていたと思います。
皆さん。どなたも学習熱心な人ばかりでした。


絵図とは地図のことです。
図には村の名が描いてありますが、それが石高につながり、藩の勢力を伺い知ることとなります。
江戸幕府が各藩に自国の絵図を献上させました。
講師が言うには、献上というよりも提出されられたと言った感じとか。

これは美濃の絵図です。
木曽川が国堺になっています。

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はじめてのブログ  第7回

2010年07月31日 23時26分08秒 | 各種講座

岐阜駅の高架下です。ハートフルスクエアーG内の岐阜市生涯教育センターで開催されているパソコンの講座です。「はじめてのブログ」を受講しました。
このブログ教室は6月19日から始まり、毎週土曜日の開催で回を重ねて第7回を迎え、本日が最終回となりました。



パソコンルームで学習します。



教室の様子です。
キーボードに向かって取り組みます。
ただ今、休憩中です。

このパソコン講座を開催している岐阜ITコラボレーター会。
ハートフルスクエアーG内の岐阜市生涯学習センターでボランティアをしています。この会のブログです。
2-1 『はじめてのブログ』講座始まりました! - 岐阜ITコラボわいわいブログ (goo.ne.jp)

最後に
岐阜市の講座を受講して「Kオジサンの気の向くまま」を立ち上げました。
ブログを始めたが、どれ程続くだろうか。

 

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