朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

クールスポット2

2014-07-31 | 京都の文化(夏)
猛暑のある日、京都盆地を逃げ出して、お隣の琵琶湖の畔にある日帰り温泉に行って読書することにしました。



湖水の向こうに近江富士(三上山)が見えます。

鶴喜そばを食べてから、湖西の国道をもう少し北上しました。



駐車場がほぼ満員。おなじようなことを考える人達がおおいようです。

ここは露天風呂がたくさんあって、広くて、とても快適です。サウナに2回入り、韓国垢すりをお願いしました。体重が相当に軽くなりました(という気がする)。

浴場の写真は撮れませんから、2階の休憩室から、露天風呂からの眺めとほぼ同じ方角の景色をのせてみます。



水草に黄色い小花が咲いていました。



リクライニングシートが並んでいます。個別テレビも付いているし、マンガや雑誌、新聞も豊富に置いてあります。

「天下一品」ラーメンチェーンの経営です。その社長さん、作業着を着てよく館内を歩いているようです。以前もお見かけしました。(ゆ スパリゾート雄琴「あがりゃんせ」)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そば

2014-07-30 | 食べること、レストランなど
滋賀県坂本にある蕎麦屋にいきました。



しっかりとした切れ味の良い蕎麦でした。つい、メニューの写真をみて、肉おろしそばにしたのですが、トッピングの肉やおろしは余分でした。

鶴喜そば、本店は比叡山延暦寺の門前、大津市坂本にあります。

今回は湖畔を走る国道161号に面した場所、唐崎店でした。



これが、大津絵です。

ユーモラスなイラストです。江戸時代初期からの民俗絵画で、さまざまな画題を扱っており、東海道を旅する旅人たちの間の土産物・護符として知られていました。

「大津絵の筆のはじめは何佛」(松尾芭蕉)




地元の人気店のようで大きな店内ですが、ほとんど満席でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土用の丑の日

2014-07-29 | 京都の文化(夏)
本日は土用の丑の日だそうです。

ということで、一日前倒しでうなぎの蒲焼を賞味しました。



わざわざうなぎ屋に出かけていくのもめんどうとばかりに、スーパーでパックを買ってきて、店に掲示してあった方法(熱くしたフライパンにアルミシートを置きその上にうなぎを乗せる。日本酒を少々ふりかけて、(タレをかけて)蓋をして2、3分焼き、少し蒸らしてからとりだす)で調理しました。

蒸したので中身が柔らかく、外側がカリッと(・・それは言い過ぎ。タレは皿に移してからかけたほうが良かった)した雰囲気で、美味でした。

鹿児島産と表示されていましたが、成長したうなぎを外国から輸入して何日か国内の池で泳がせれば国産になるのでしょう(未確認)。

付け合せは、オクラの浅漬。写していませんが、冷奴とトマトも。最後は、スイカ。
・・ダイエット(糖質制限)のため、ご飯はなし。清酒も最初だけで、その後、奄美大島の「れんと」に変えました。

ま、これで、この夏を乗り切れそうです。笑

~~

※「うなぎとスイカ」って、”食い合せ”の一つだっかかな。でも、今朝、問題なし。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クールスポット

2014-07-28 | 京都の文化(夏)
ここ数日、京都は38度とか十年前ならば考えられない猛暑になっていました。

外に出かけないで、ゆっくりと読書をしていたのですが、近所のショッピングモールにあるフードコートに出かけてみました。



同じように考える人達で満員でした。

夏休みが始まっているため、半分くらいは、中高の生徒たちが自習していたり、学生がサークルの相談をしていたりと若い人たちも多いようです。



節電のために「クールスポット」というキャンペーンをやっています。

次は、映画館にでも行ってみましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド著)

2014-07-27 | もろもろの事
昨日、京都の最高気温は38.3度、お隣の滋賀県東近江ではこの日の全国最高38.8度を記録しました。ひと月前のバリ島のほうが涼しかった。

~~

少し前から、”人類史に文字(情報)が果たした役割”を調べるために文献を探して読んでいます。

そこでこの本にぶつかりました。



「1532年南米を侵略したスペインの侵略者ピサロとその168人の兵は、数百万の人口があったインカ帝国の8万人の兵に守られたアタワルパ皇帝を捕獲することができた。その理由は、インカが文字をもっていなかったから」

・・この遭遇の20年以上前に、すでにスペイン軍の残虐な侵略行為は中南米で行われていたにも関わらず、その情報が文字通信などでインカ帝国に伝わらず、ピサロ軍を善良なる使節と信じ込んでいました。

一方のピサロはコロンブスの1492年アメリカ到着以降、その遠征成果についての情報(文字による報告)によりスペイン国王の命令で遠征してきたのです。新天地の発見により、欧州諸国の北米、中南米への進出はすざましいブームとなっていったのです。

ダイヤモンド氏は「なぜ欧州諸国がアメリカ大陸、アフリカ、インド、アジア、オーストラリアを征服することができたのか。なぜ、ニューギニア民族がヨーロッパを征服できなかったのか」を、意外な視点から解き明かしてくれます。

武力の圧倒的な差、例えば軍用馬、鉄砲、弾薬といった我々の常識的な推察は、その一つの理由ではあるのですが、もっと大きな原因は「病原菌」だと言い切っています。

例えば、インカ帝国が滅びたのは、戦闘での死者よりもスペイン人が持ち込んだ天然痘の流行によるものが桁違いに多いのです。

北米のアメリカ原住民が人口を急激に減らしたのはインフルエンザでした。

中世までの欧州人は、家畜、豚や鶏などを農耕、牧畜に使用していたため、これら致命的な病原菌の攻撃を家畜経由で受けながらも、生き延びた結果、免疫を身につけていたのです。

ヒトの現生人種はアフリカで生まれ、1万3000年をかけて世界中に拡散しました。当初は狩猟採取で生計を立てていたので、季節の変化や気候変動、採りつくしなどで常に居住地を移動していました。

気象条件が農耕に適していたメソポタミアに到達したホモ・サピエンスは、その地で農耕に適した穀類(小麦など)と家畜の野生種を発見しました。

メソポタミアでは、その食料生産の余力を得ることができたので、グループのリーダー、首長が生まれ、政治、祭り事、軍事、治安と食料備蓄の専門職が発生しました。それを支援する神官と行政官が生まれ、記録機能として文字が発明され、政治や行政、取引などの記録がなされるようになり文化が発展していきます。(シュメール文字、楔形文字:なんと現代では解読されている)

文字は、同様に独立して農耕文化が始まった中国でも発明されました。それ以外にも、現在のメキシコに存在したマヤ王国でも作られたのですが(マヤ文字)、これは周辺地域に拡散せず消滅しています。

13,000年にわたる農耕植物や家畜の伝搬に関して、ダイアモンド氏は興味深い考察を示しています。穀類や家畜、文字の伝搬は、5大陸のうち、東西方向には広がりやすかったが、南北方向には広がらなかった。オセアニア大陸はかくして、農耕技術が広がり、食料的余剰力ができ政治機構が発達し、武器開発も進みました。

アフリカ大陸では、東西に広がるサハラ砂漠に遮られてメソポタミア文明は南下できなかった。北アメリカ大陸とオーストラリアでは、狩猟民により大型の野生獣が絶滅したため、家畜化はできなかった。

さて、冒頭の質問「なぜ、ニューギニア人がヨーロッパを制服できなかったのか?」についての、解説は「人類史における時間差の問題であり、たまたまメソポタミアに距離的に近く、同様な地中海気候のヨーロッパがいち早く、食料余剰力と政治機構を発達させ(その過程で文字が重要な役割を果たしている)、軍事力を進歩させたため。ニューギニアはその環境になかった。人種的に劣位だからではない(1万3千年は現生人類民族間の知能遺伝子の進化、差異化には短すぎる)。」としています。

類似の質問ですが、「チンギスカン(モンゴル民族)はヨーロッパに向かって大遠征をおこなったが、ハンガリーあたりで停止したのは、なぜか?」

「近世において世界の覇権を握ったのは欧州であり、なぜ中国ではないのか(より中央集権国家の大国)?」

このあたりのことは、原著をごらんください。

ちなみに、ダイヤモンド氏はUCLA医学部に所属する生物学者です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猛暑到来

2014-07-26 | 京都の文化(夏)
昨日、京都の最高気温は36.6度(午後4時)でした。


(引用:関西電力web)

関西電力管内の電力使用率は、94%まで上昇しました。

・・東京電力の使用率の最高は90%でしたが。

発電機は機械なので突然故障することがありますから、90%~95%未満は「やや厳しい」、95%~97%は「厳しい」、それ以上は「非常に厳しい」、広範囲に停電が発生するリスクが高くなるということでしょう。

一消費者として、できることはほとんどありませんが、関電の「需給逼迫のお知らせメール」(需給状況が非常に厳しい(電気の使用率が97%を超過する)見込みとなった際、電子メールにてその時間帯をお知らせいたします)を登録しました。もし、これが届いたら自宅のエアコンは止めて、近所の図書館かショッピングセンターに逃げ込むことにします。



(引用:NKHテレビ)

多治見(岐阜県)では、39.3度を記録しました。

夕方、散歩に出かけたところ、



サルスベリの街路樹が咲き始めていました。



近所のコンビニのこんなチラシが入っていたので、つい持って出かけたのですが、歩いているうちに、最近の中国での食品工場事件を思い出したので、無料焼き鳥サービスは受け取らないことにしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祇園祭後祭2

2014-07-25 | 京都の文化(夏)
大船鉾を見終わって、新町通を上がりました(23日)。



加山又造画伯の描いたうちわ絵がたくさん展示されていました。その中の朝顔です。



南観音山。立派な松の木が立っていました。松には尾長鶏を取り付け、巡行の時には諸病を防ぐといわれる柳の大枝をさします。



後祭の宵山では、屋台が全く出ません。それを補って、道路に面した飲食店や商店がその敷地内でお客さんを呼び込みます。



「くろちく」も祭りに合わせた大バーゲンをやっていました。



旧家では、恒例の屏風祭です。



北観音山。ここの松には、白い鳩を飾ります。赤い鳥居の上には二羽の鳩も飾るのですが、元々は左甚五郎作と言われる彫刻でした。



上の写真の奥の鳩が左甚五郎作、手前が最近新調した鳩です。



立派な装飾品をたくさん所有しています。



鳩の紋章をあしらった幕が町内の色々な家に飾ってありました。


(引用:KBS京都テレビ2014-07-24放送画面)




椅子を置いていて飲み物を売る店があったので、しばし休憩しました。



こんな屏風祭も。



鯉山。龍門の滝を登った鯉は龍になるという中国の伝説から、「登竜門」を題材にしています。



その大きな鯉が飾ってありました。この山は、16世紀のベルギーのタペストリーを使い、それを前懸、同懸に加工して使っています。大変に貴重なので、普段は京都博物館にて保存しています。



後祭のくじ取りで、山一番を引き当てた橋弁慶山。



弁慶と牛若丸が五条の橋で戦う場面をあらわしています。



巡行の時には、牛若丸は下駄の金具一本で支えられて山の上に乗ります。



今年のちまきは、黒主山にしました。謡曲「志賀」から六歌仙の一人大伴黒主が桜の花を眺める場面が山で表現されています。



宵山の時に保存会で展示されていた黒主さんの姿です。

威張って反りくり返っているわけではありません。実は、山に乗ると、彼の目の前に大きな満開の桜の木が立つので、それを見上げている姿になります。

そこで、ちまきにも桜の花がついていました。

~~

なぜ、当時大変貴重で高価な飾り物、あるいは西洋から渡来したタペストリーなどがふんだんに使われているのかについて、ライブで中継したKBS京都テレビ解説の歴史研究者が話していました。室町などの鉾町は当時日本経済の中心地であり、各鉾町が競って名品で山鉾を飾って自慢した。大切な一人娘に精一杯良い着物を買ってやりたいという気持ちだったのだろうと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大船鉾

2014-07-24 | 京都の文化(夏)
今日は祇園祭後祭、山鉾巡行の日です。

150年ぶりに復活した大船鉾が、さすがに大人気でした。



この鉾は後祭りのくじ取らずとして殿(しんがり)をつとめ、凱旋船鉾ともいわれていました。



元治元年(1864年)「蛤御門の変」の大火にて木組や車輪が焼失してしまいました。船の先頭についているこの立派な金幣は当時のものが残されています。





大船鉾にあやかった新商品も色々と販売していました。



御朱印集めやスタンプラリーをやっていました。



子どもたちが山鉾を回って所定のスタンプ帳に10個以上印をもらうと、記念品と引き換えられるそうです。



スタンプ帳が売り切れていて、このデザインされた山鉾手ぬぐいにスタンプを押している方がいました。それもいい考えですね。



これは、四条通の新京極通向かいにある八坂神社御旅所です。

山鉾は、いわばこの金色のお神輿の露払いの役割です。(つづく)

~~

7月24日午前10時06分の情景:


(引用:KBS京都テレビ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上七軒ビアガーデン

2014-07-23 | 京都の文化(夏)
夏の恒例、上七軒歌舞練場において7月1日~9月5日まで開かれているビアガーデンに今年も行ってきました。



おそろいの浴衣姿の芸妓さん、舞妓さんが毎日総勢六名でおもてなし。お座敷にいって遊ぶよりもお手軽に日本文化の香りを味わうことができます。



8時過ぎに到着したのですが、まだ屋外のテーブルは満席だったので、室内の席に案内されました。



芸妓の尚鈴さんがテーブルに来てくれました。小顔美人で、さすがに話術がお上手でした。北九州の出身とか。

この時、知らなかったのですがNHKテレビが生中継をしていたようです。

”NHK歌謡コンサート「ああ ままならぬ人生よ」”・・特別企画・夏ならでは!京都からの舞妓さんナマ中継



しばらくして、庭の席が空いたのでそちらに案内されました。



この舞妓さんは、なんと15歳!

梅蝶さん。

仕込みさんを1ヶ月して、舞妓さんになって3ヶ月だとか。・・一方で、同期「入社」の京都市出身の人はすでに、やめてしまったそうです。住み込みで女将さんの家で、行儀見習い、踊り練習、廓言葉など毎日が極めて多忙のようです。

話題が新作映画「舞妓はレディ」、周防監督と、主演女優上白石萌音(かみしらいし・もね)、になりました。9月13日から上映開始です。

映画では、上七軒が「下八軒」となって、このあたりの家並みも登場するのかな。



その後、芸妓のお姉さん「玉幸さん」が来訪。・・いずれの写真と源氏名公開もご本人の許可を得ています。

尚可寿(なおかず)さんも立ち寄ってくれて、「めいわく拳」っていう遊びを教えてもらいました。グ、パー、なにも出さない、というじゃんけんの一種でした。

閉店の午後10時までいたので、4名の芸舞妓さんに会えて、充分に楽しめました。


(引用:FB上田俊樹さん作成)

~~
メモ:尚子(Bar)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外国のホテル、タオルの使い方

2014-07-22 | 外国の風物
6月は、近年では珍しく2度も外国に出かけました。

外国でホテルに泊まるたびに、不思議に思うことがあります。

洗面所に置いてあるタオルは、ハンドタオル、フェースタオル、バスタオルの3種が普通で、この順に大きくなります。



この写真は、バリ島のホテル(元はアメリカ系)でのハンドタオル(正方形)と、持参した日本の旅館にある手ぬぐいタオルです。

なぜ日本から持参するかというと、浴室で体を洗う時、背中をタオルで擦るためです。石鹸をつけたタオルの両側を両手で握って背中にまわします。その際、日本式タオルはちょうどいい長さなのですが。

写真のハンドタオルでは片手で持って擦るのですが、背中の真ん中まで届きません。

フェースタオルも、やや長さが短くてあまりうまく行きません。そのタオル自体が分厚いことが多く濡れると重くなり扱いが不自由になります。

とうわけで、今は、外国に行くときは日本式タオル(薄手)か、アカスリ専用の細長いプラスチック繊維のタオルを持っていきます。

さて、では一般に外国人は、自宅でどのようにして身体を洗っているのでしょうか?

ふつう、外国人と一緒に風呂に入らないのでわかりません。どなたか教えてください。

~~

数少ない経験ですが、外国人の友人が日本に来た時に温泉地の風呂に連れて行ったことがあります。

別々の機会で、二例だけですが、日本式の標準的タオルをわたして一緒に大浴場へ入浴しました。

今ひとつよくわからなかったのですが、石鹸は手のひらにぬってその手で体を擦っていたようです。背中も同様に。

一人は中国で生まれ育った(今は)米国人でしたが、彼も同様でした。

つまり、素手か、例の正方形のハンドタオルを使って片手で体を洗うらしいというのが、今のところの推察です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする