朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

品川

2009-01-31 | 国内各地の風物
用事があり東京に行ってきました。
 到着した品川駅では、通勤時間帯だったので線路を横断する自由通路に、大量の勤め人の人たちがゴーと大河のごとく流れていました。
 しばらくぶりで、こんなラッシュを見て、その流れに巻き込まれて歩いたので、少し人酔いした気分でした。
 80年代バブルの頃から、東海道線の東京湾側の倉庫・工場地帯が再開発されて、事務所ビルや高層アパートが沢山建設されました。
 その結果今日、この一帯が新たなオフィス街になったのですね。
 つい最近、TVのニュースで見た「京浜ホテル」の建物は飲食店看板もそのまま、入り口はベニヤ板で封鎖してありました。(立ち退き労働争議)もうだれも眺めている人もなく、早くも風化していました。
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十割そば

2009-01-29 | 食べること、レストランなど
偶然の成り行きから、ご近所のそば屋さんに入りました。
 いつも日本芸能史受講の後は外で食事です。この日は、とあるビストロを訪ねたのですが、予約なしでいいったので満席でした
 やむなく、別の店で軽く食べ物とお酒を少々と思い、適当にここに入りました。
 伝統的なそば屋のつくりでなく、そして2階です。変だなとは思ったのですが。
 午後6時半くらいでしたが、他にお客はいません。
 でも、まあいいかと。
 まずはお酒を頼むのですが、よく「そば屋のあて」といいますから「なにか、お酒のつまみになるものはありますか」と聞きました。
 そんな客はあまりいないのか、店主はあわててメニューを見せてくれましたが、居酒屋的なつまみはなし。
 一方でメニューの清酒は「越寒梅」「雪中梅」「久保田」と銘酒がそろっています。
 ひとこと二言、質問して、「そばさしみ」と「茄子でんがく」(メニューになし)をお願いしました。(てんぷら蕎麦のそば抜き、も最初は頼んだけれどカロリーオーバーと思い取り消し)

 お酒も清酒を注文。(すべて、あの銘酒がなんと1合700円)
 いや~~、大正解でした。
 まず、突き出しに、無料サービスの「蜂の子」と「いなご」。...珍味。(写真)
 お酒も大変に結構。

 その後に、十割そばを頼みました。
 これまた、Very Good。
 注文してから、練って、切ってくれていました。(切るのは機械で)
 きりっと歯切れよく、香り高いおそばを頂きました。
 ほかに客もいないので、そのあと、店主といろいろ話をしました。
 長野で昨年までそば屋をしていたが、事情があって京都に帰ってきた。
 むこうでの素材、お酒などそのままに取り寄せて、つい最近、ここで仕事を始めたとのことでした。おいしかった、ほんと。
 応援してあげたい。



 これは、そばさし。


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ゆっくりと美味しいコーヒー。とても安い100円ww

2009-01-28 | 食べること、レストランなど
毎週(時に欠けるのですが)かよっている造形大学に、どーんとある、カフェです。
 ともかく、ドリップコーヒーが、なんと!「100円」!
 CP(cost-per-performannce:価値と価格に比)は最高です。
 パンやドーナッツなどもあって、おいしいよ。(運営は「進々堂」のようです)


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清元

2009-01-27 | 伝統芸能
第11回。清元清寿太夫(きよもと せいじゅだゆう)が講師、実演。
 演題は、「青海波」と「落人」。
 太夫さんはもう一人、若い清元国恵太夫、舞台に出て7年目だそうです。三味線はお二人、清元栄吉(芸大卒)と清元美十郎。
 最初の演目は「せいがいは」
 明治30年五代目清元延寿太夫の名披露目(襲名披露)に、二代目清元梅吉の作曲で発表された。
 御目出度い言葉がいっぱいでてきました。
 
 清元と常磐津の違いと関係は?
 おじとおいの関係だそうです。常磐津が古くそれから「富本節」が生まれ、その後、清元につながった。といっても全てに知識がないので固有名詞を理解する意味ないです。
 違いを簡単に表現すると、他の唄いに比べ、清元は唄いの音域が広い、高音(と中音)の響きがよいのが特徴のようです。

 二つ目の演目は「落人」
 ** 落人も見るかや野辺に若草の芒尾花(すすきおばな)はなけれども 世を忍び路の旅衣...
 おかる・勘平、正式の演目は「道行旅路の花婿)。忠臣蔵の三段目、自分のお殿様(浅野守)への職務不備により切腹するところを恋人お軽の説得により、彼女の実家へ逃走する場面です。
 突然、お軽の上司、「伴内」が現れて、鳥づくしのせりふを軽妙に発言する。
 さて、その後、お軽はどう活躍したか、勘平はどんな役割を果たしたか。討ち入りの時に、勘平は参画できたか?
 興味深いですね。 

 Q&Aも、ユーモラスに、三味線方もいれて楽しくお話をうかがいました。
 この日は、東京新橋演舞場での公演があったそうですが、そちらを代役に任せて京都においでいただいた模様でした。


 
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上七軒

2009-01-26 | 京都の文化(冬)
北野天満宮の東側にある花街(かがい)です。
 太閤秀吉の許可による京都では最も古いお茶屋さんの街。
 西陣の旦那衆が元もとのお客さんであったそうです。
 狭い街路が特徴です。祗園とは違い観光客もほとんど歩いていません。
 日本の着物文化もかつての勢いはありません。西陣も静かです。



五つ団子の紋章とお茶屋の始まりについて

 天正15年(1587年)8月10日、豊臣秀吉が北野天満宮で「北野大茶の湯」と呼ばれる茶会を催した際に、七軒茶屋を秀吉の休憩所としました。その時、名物の御手洗団子を秀吉に献上した所いたくその味が気に入り、褒美として七軒茶屋に御手洗団子を商う事の特権を与えられました。この事に由来して、上七軒では五つ団子の紋章を用いています。また、その際に山城一円の法会茶屋株を公許されたのがわが国のお茶屋の始まりと伝えられています。(上七軒公式webより)



 細い白線が水平に数本引かれた土塀は、門跡寺院にだけ許されたものだそうです。門跡とは、皇族か摂家の子弟が出家して相続している寺院です。
 これは西方尼寺。
 お隣に、上七軒芸妓組合事務所がありました。



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もち菓子

2009-01-25 | 食べること、レストランなど
北野天満宮の境内にある茶店で餅菓子、長五郎餅を食べました。
 境内の東側には「上七軒」という花街があります。
 「焼きもち」屋さんもあります。
 小分けにして買って帰りました。
 いずれも、素朴な甘さで大変結構でした。

 

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amazon

2009-01-24 | もろもろの事
デジタルカメラの電池が弱ってきたので、スペアの電池を購入しました。
 こういう「部品」は、量販店でも定価販売で割引はありません。プリンタのインクカートリッジなどは、本体は赤字販売して、あとから消耗品で儲ける方法です。
 電池部品は何種類も製品があって間違うとまったく役に立たない。そんな製品は店頭で自分で探して購入するよりも、インターネット通販のほうが規格を正確に調べてから発注できるので安心です。
 amazonを良く利用しています。1500円以上ならば送料無料。
 で。
 この電池を購入しました。サイズは、切手程度の大きさで厚みは5mm程度。
 これ1個が、このダンボールの箱に入って送られてきました!!
 いわゆる「規格化」による合理化でしょうか。
 統一された箱にして、運送の仕分けを単純にする。小さいものも有る程度大きな箱にすれば、紛失、誤配の可能性を減らせる。
 まあそうですが、99%空気を運んでいるようなものですね。

 
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南都楽所(なんとがくそ)

2009-01-23 | 伝統芸能
日本芸能史第10回 「歌舞」 (1月19日)
 奈良時代に「雅楽」が盛んにおこなわれ、平安時代一条天皇のころ狛光高(舞楽と雅楽の奉行)によって「南都楽所(なんとがくそ)」がまとめられる。その後、いくたの変遷があったが一部の楽家が奈良にとどまり、春日大社などに奉仕をするとともに、後進の指導とその保存に努めてきた。
 昭和43年に「社団法人南都楽所」が結成された。重要無形民族文化財「春日若宮おん祭」を活動の主軸に、国内と海外で公演活動を続ける。
 今回は造形大学の劇場で、その実演と解説講義(木戸敏郎氏)を拝聴した。
 春日大社の例祭日、春日際は3月13日。若宮おん祭は12月17日。
 春日際では、春日大社「林檎の庭」で「和舞(やまとまい)」が勅旨の御前で奉納される。 
 雅楽は、明治以降、「雅楽局」(現宮内庁式部職楽部)の創立により、奈良、京都、東京(宮内庁)の楽人や組織の統合が図られたが、一部の楽人が奈良に留まった。
 現在では、奈良、京都、東京の流派が統合されている宮内庁の雅楽よりも、「古い伝統的(正統な)」楽曲と演奏が維持されている。
 この日の公演では、本式の和装で、楽器(和琴、笙、しちりき、笛、..)と歌に十人ほど、舞人が2名、別の演目では4名。白い上衣、黒、緋色の部分があり、虎皮の鞘に入れた刀剣をつけ、白い履物に榊の枝を捧げて登場した。
 大変に、みやびな音楽と舞でありました。



※この方たちは、プロ(この仕事だけしているのか)か、兼業、奉仕者なのか質問し損ねました。


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総力取材

2009-01-21 | もろもろの事
最大手月刊誌の記事です。もう発売から半月経ちますが。
 次の天皇はだれかを記事にしたかと、この背表紙のキャッチ、新聞掲載の広告を見るとそう思います。あるいは、昔の英国事例のように皇太子が王位継承辞退とか、天皇の存命中退位などを可能とする法改正の提案かと。
 なんのことはない、秋篠宮が「第二位」皇位継承者である、という文章を体言止めにしただけのタイトル。体言止めにすると、そのあとの述語が否定でも疑問形でもどうとも言い逃れられます。
 羊頭狗肉
 羊を掲げて犬肉を売る。中世の中国は蒙古系なので牛よりも羊肉が高級でした。
 この雑誌の「品格」、とういうかオピニオンリーダー記事を掲載した実績からは、大変がっかりです。
 現代の天皇制のありかた、天皇制「国家宗教」と憲法の厳密な政教分離の原則矛盾、皇族個人の役割(特に雅子妃)、宮内庁なる役所人材の質、国民支持のゆくえなど、本質的な論点、切り口はいくらでもあるのに。
 とても「総力取材」といわれても納得できない。
 そう思いませんか。
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旧式の電車

2009-01-20 | 京都の文化(冬)
宮崎駿の「千と千尋の神隠し」に、一両編成の電車が出てきます。
 油屋の前の谷間を走って、その先、海の上を進んでいきました。海原電鉄と言うそうですが。(実はパンタグラフが描かれていないので気動車だとの説あり)
 そんな電車が近所を走っています。
 ご他聞にもれず、観光シーズン以外は、がらがらで平日の朝夕だけは通学学生と通勤客が乗りますが。
 末永く継続してほしいです。
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