朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

インド:ベナレス4(鉄道駅)

2011-09-30 | インド仏教研修2011
鉄道駅に行ってみました。



駅前通りにはいろいろな屋台が並んでいます。



駅前広場は交通制限していて広々。左手の建物は予約受付、コンピュータ予約と大きく表示が出ていました。



中はこんな風に目的別の窓口が並びます。



これは駅舎の正面入り口の内部。改札はないのでだれでもプラットフォームまで入ることができます。切符の検査は列車内で車掌が行うのでしょう。



跨線橋を渡って、実際の長距離列車の発着を見にいってみました。



ムンバイ(ボンベイ、インドの西部海岸の大都市)行きの夜行急行です。



座席指定でない2等車は席を確保するために、列車がまだ止まらないときに何人も飛び乗って
いきます。停車したら我先に入り口に殺到。



2等車両の内部です。座席の上の荷物置きの棚にも乗客が座っています。

エアコン付きの寝台車もあります。等級があって、3段寝台、2段寝台、1等車と分かれています。

側面に取り付けられた列車表示には、なんと、”Super Fast Express"なっていました。



駅の構内にも、お牛さまが寝ています。人も。



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インド:ベナレス3(町の風景、舞踊)

2011-09-29 | インド仏教研修2011
鹿野苑から戻って、ベナレス(バナラシ)で自由時間になりました。


これはホテルの朝食。インダス河から戻ってから食べました。予想外にいつもおいしい。食べ過ぎる傾向なので、軽くしたつもりです。
多くのホテルでは、朝はお粥も選ぶことができました。

自由時間には町中に出てみました。



七輪で何かを炒める食べ物の移動式屋台です。



鐘を鳴らしながら町を一人で歩く行者。かついでいる棒の後ろの缶に喜捨を求めているのでしょうか。



裏通りに入ってみました。
子供たちが遊んでいたので、カメラを向けたら笑顔でポーズをとってくれました。



これは路上の喫茶屋台、超簡易形。



なんで、路上に大きな中華鍋があるのか不明。燃料は不要な材木や紙、とてもエコです。



ここでチャイを注文しました。

容器は、使い捨ての素焼きカップ。でも記念に持ち帰ろうとしたら、ここに捨てろと。で、いや、持ち帰るというと、新品の容器を一つくれました。チャイの料金は4バーツ(8円)。



ホテルの前に戻ってくると、このおじさん、素っ裸で道路にごろりと大の字になりました。



通行人は別に平気で行き過ぎていきますが、自動車はその人をひいては大変なので渋滞となりました。
ジャイナ教の僧侶だそうです。「裸の行」は警察も承認しています。

夕食の後にインド舞踏がありました。



今回は、特に、クラシックな流派であったようでわりと地味な踊りでした。



音楽演奏には、シタールという独特な弦楽器がその音色も楽器の形も印象的でした。

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インド:サールナート(鹿野苑)

2011-09-28 | インド仏教研修2011
ベナレスから10キロ先に、初転法輪、釈迦が初めて弟子に向かって説法をしたサールナートがあります。当時は鹿がが多くいて鹿野苑と呼ばれた場所。



きれいな緑の芝生に囲まれた遺跡公園になっています。右手に見える金色の塔は隣接するジャイナ教の寺院。



巨大なダーメクスツゥーパ。6世紀頃。



紀元前3世紀にはアショカ王により仏舎利塔、僧院、石柱など多くの施設が建設され、12世紀まで栄えた仏教都市でした。



これはアショカ石柱で、この上に四頭のライオン像が乗っていました。そのライン像はインドの至宝とされ、遺跡公園の隣にある考古博物館に展示されています。



その考古博物館の入り口は上の写真。館内へのカメラの持ち込みが厳禁されていたので展示物の画像はありません。

一般に、インドの博物館は数百円のカメラ料金が設定されていて、それを支払うと撮影自由なのですが。

ここのもう一つの名物は、初転法輪像、美しい仏像です。この土地で発掘されたもので小ぶりですがその瞑想する顔は凛とした威厳があり、横から見る顔には優しさが満ちた仏像でした。インドで一番美しい仏像といわれています。

初期仏教では、仏陀などの偶像を作って崇拝することはなかったようです。実際、仏陀の姿は恐れ多いので、長四角の図形で象徴した仏伝レリーフ彫刻がありました。
それが一転したのは、1世紀頃のマトゥラーでです。そこで仏像の彫刻が開始され発達したとされています。その地の博物館には後日訪問したのでそのところで説明を加えます。

四頭のライオン像は、大きくて完全な姿で保存されていました。

ライオンの頭上には巨大な石の法輪が乗っていたようです。その法輪も展示されていました。ライオンの足下には牛や羊などの動物の彫刻があり仏教の徳を教授しようとしています。

インド紙幣にはこのライオン像が印刷されています。



アップすると:



1ルピー硬貨のレリーフにもなっています。




※この博物館の画像が掲載されたwebがありました。旅行社のページで、ここの中段に記事と写真がありますので興味あれば。
もうひとつ見つけました。こちらの方が古い写真だそうですが、よくとれています。このページの下の方で、写真拡大できます。


さて、この近くにあった数珠屋に立ち寄りました。



日本婦人を奥様とするインドの方が経営する店舗です。

貴石、菩提樹の実などを数珠が多数あり、日本から糸は輸入して日本の宗派の様式に合わせて作成した数珠を販売していました。
現代風に、腕輪やアクセサリ、キーホルダー、ケータイストラップなども。

10月以降の乾期には、仏教関係の団体が日本からも多く参詣するそうですから、その人たちの懐は我らグループよりも豊かと思われるのでよいビジネスになっていることでしょう。

ここまで来た記念でもあるので、インド産の菩提樹で作られた数珠を二つ購入しました。(店主社長さん、もちろん日本語が上手、と長々価格交渉しました。途中で一旦当方から交渉放棄。しかし別の品物を他の店員に冷やかしていたら、再度、店主が介入してきてついには根負けで商談成立)
(インドの人件費を考えるとまだ高いとは思いましたが、他の店にいくという選択肢がこちらにはないので、最初から向こうの勝ちですね)




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インド:ベナレス2(ガンジス河 沐浴)

2011-09-27 | インド仏教研修2011
旅行開始から、第9日目。

今回の大きなハイライトの一つです。仏教ではなく、その前段となるヒンドゥー教の聖地、インダス河です。

日の出の儀式を見学するため、早朝にホテルを出発します。



どんな世界が広がるのか。


この人は、木の小枝を切りそろえて販売しています。誰が何のために買うのでしょうか?



実は、歯を磨くため。楊子と歯ブラシを兼ねた道具です。むー、なるほどですが。わざわざ買うものなんでしょうか。


途中の路上には、ごろごろと寝ている人々もいます。寝ている姿は想像できるでしょうから、写真は省略。




この土器やプラスチックボトルは、信者の人々が河の聖水(川の水そのもの)を故郷に持ち帰るための容器です。この水は、決して腐らないと信じられています。

キリスト教でも、フランス南部のルルド、聖母マリアが再臨した聖地のわき水は同様に腐らない聖水だと聞きました。



ガートと呼ばれる河岸の階段に着きました。



夜明け前ですが、もう、沐浴している人がいました。



このガートから小舟に乗ります。



このように真剣に祈る人を直接に見聞すると、自ずと敬虔な気持ちになります。



小舟に乗ると、花と葉に乗せたろうそくを売る女性がいました。祖先の霊を慰めるため河に流すのだとか。



10バーツ(20円)でいただいて、ご先祖への感謝の気持ちを込めて流しました。



出航します。



雨期の終わりなので上流からの流量が多く、流れもかなり速い。

河岸のアップ写真だけを見ていると、衛生的に不安な気持ちも抱きますが、実はこのあたりのガンジス河の川幅は何百メートルもあるので、桁違いに大量の水が流れあっという間に希釈されています。



河岸に並ぶ寺院のテラスでは、日の出に向かって祈祷する人の姿もみえました。

Varanasi 2011


Varanasi 2


実に不思議な空間でした。



東の空が明るくなってきました。



ご来光です。



元のガートに戻ってきました。
一緒にいった学生の一人は、勇気をだして沐浴を経験しました。

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インド:ベナレス 1

2011-09-26 | インド仏教研修2011
国道2号線は、アジアハイウエイと名付けられています。



確かに立派な道路に乗り入れました。



有料道路なので料金所がありました。

ところが、、



道路には、人も、駐車も、なんでもあり。側道がないので生活道路も兼ねているようです。

しばらく走ってベナレス(バナラシ)のホテルに到着し、ここで昼食でした。ここでは二日連泊なのでゆっくり。

余興として、午後には、絹織物の商店に。バスで20分くらいの町中ですが、外見からは奥まった大きな屋敷風。



絹織物の昔の織機と現在の手織り機のデモ、そして本物の絹糸と、バナナ繊維の区別の仕方の説明がありました。確かに、バナナ繊維も外見は艶もよくて本物以上。

識別方法は、ライターで繊維を燃やすことです。バナナはさあーと早く燃えるのですが、絹はじわじわと燃えて、動物臭がしました。





サリーの生地を選び、気に入れば、採寸してその日の夜か翌日にホテルに届けてくれます。



わざとピンぼけ写真です。本人の承諾を得ていませんので。

日本では、実際のところ、サリーを着ていく機会は少ないかもしれません。卒業式後の謝恩会とかには是非着てきてほしいものです。

高いのか安いのか見当がつきません。でも日本からの添乗員女性の方もスカーフなどを買っていたので、気に入ったデザインならば品質はよいのでしょう。

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インド:ブッダガヤ

2011-09-25 | インド仏教研修2011
ホテルを出発して、近くの竹林精舎へ(場所はラージギル)。



整備された池があり、この池の中から仏像が発見されたそうです。それをお祀りした小ぶりのお堂。



この仏像は掘り出されたので古いものだとの説明を聞きましたが、まあ真偽のほどは、、、美形の仏さまでした。

本当に古い仏像ならば、色を塗り直さずに汚れを落とす程度にてお祀りしたらもっと有り難みが増すと思うのですが、その感覚は日本人だからでしょうか。

インドでは、あるいはタイでも、博物館に納められた仏像は別ですが、お寺や聖堂に祀られた仏像は色鮮やかになっています。



学術的に価値ある古美術は盗難を避けるため博物館に収納されているそうですから。

その後、しばらくバスに乗りました。



生きたまま取引される鶏です。

それほど遠くない場所に、ブッダガヤがありました。

まず、宿泊するホテルにチェックインして、昼食です。インドの田舎町では外国人が団体で食事をとれる場所は、(高級)ホテルしかありません。



ずーと以前ですが、その昔、インドにはまった人の話を聞いたことがありました。
その人が「沈没」したのが、ブッダガヤ。

それで、とてもここに期待していたのです。



さすがに参詣する人の数は、これまでと段違いです。

釈尊が菩提樹下で禅定を修せられ成道された地。仏教における最も重要な聖地です。



小雨が降ってきました。



大菩提寺です。



雨のため、座ってではなく立礼でお勤めしました。

目の前にあるのが、歴史的な菩提樹。



聖堂の中の仏像です。

日本の仏像とは異なり、色鮮やかです。我らには、厳かさとありがたみが、あまり感じられないのですが、これも文化と既成概念の差異でしょう。

聖地なのですが、写真はOK。ただしカメラ持ち込み料金を入り口で支払います。まあ外人むけ税金ですね。



同じ敷地にある蓮池。・・この名前は個人的に、感慨無量です。



さて物売りの人々を無視して、でも、ぬれた歩道にあった菩提樹の葉を拾いました。

次にバスで向かったには、スジャータ。(コーヒー用ミルクではありません)



仏陀が修行で断食し餓死寸前の時に、牛乳がゆを与えてくれた村の娘の名前がスジャータでした。その村です。

その近くには、「生命の科学」の道場や日本の有志が経営する無料小学校がありました。



尼蓮禅河のほとりから、釈尊が苦行したと伝えられる前正覚山を遠望しました。

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インド:ラージギル、霊鷲山

2011-09-24 | インド仏教研修2011
五つの山に囲まれた盆地、釈尊が活動した当時マガタ国の首都ラージャグリハ(王舎城)を訪問しました。
ここには、竹林精舎のあともあります。

お釈迦様が説法した霊鷲山に登ります。



それなりに厳しい登山道が続くので、リフトも掛かっていました。隣接するより高い山に、日本の団体が建立した仏塔があってそちらに繋がっているようです。



物売りの諸君が麓からズーと、日本語で話しかけながらついてきます。



白い毛の猿が登山道に出現。多少乱暴でもあるようです。



頂上の礼拝所。
ここでも、皆でお勤めの読経しました。





周囲の山々、この日はあまり見晴らしはよくない。それぞれに名前があって説明を受けましたが、失念。





降りてくると、物売り勧誘がいっそう激しくなります。



物価の感覚が日本の1/10ですし、もともと安物が多いので、100円、200円を使ってあげるのも功徳かな。


関係ないですが、、



このコカコーラの看板が多く目立ちました。モデルさんの口元がなにかエロチックかと感じました。これも、インド顧客むけマーケティング。


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曼珠沙華、秋の大原

2011-09-23 | 京都の文化(秋)
閑話休題



ようやく秋の風景になりました。



最近は、足腰の弱い稲の品種、たとえばコシヒカリ、の作付けが増えたので、台風の季節より前に稲刈りすることが多くなっています。
田植えも早くなっていて、そのため発芽と苗作りは温室で規格の苗箱にて育成しています。田植えも機械ですから。





手前の植物はオクラ、背が高いく黄色い花が咲いていました。

秋は食べ物がおいしくなる季節でもあります。

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インド:ナーランダ

2011-09-22 | インド仏教研修2011
いつものように早起きして朝食後、バスで出発します。



インドでのコンクリート建築の足場には、木材や竹が使われていますが驚くほどに不揃いでそれらを器用にロープで縛って組み立ててありました。一応、鉄筋が見えるのでそれなりの強度はあるのでしょうが。水平、垂直は適当そう。

最近、さらに北東のシッキム州で大きな地震が発生して数十人の犠牲者がでたようです。インド北東部の山岳地帯は、紅茶で有名なアッサムがあり、ネーパル、チベット、中国とも接しているので国際政治的に緊迫している場所でしょうか。



しばらく田舎道を走って、休憩です。



インドのトラックは、前面に派手な化粧をしています。運転手がそれを競い合っているようです。



まともな喫茶店、食堂がありました。チャイを楽しみます。


車窓から外の村々を見ていると、こんなバスセンター?がありました。





車の屋根に乗るのは常識です。最近のエコ重視で車体を軽くした最新の日本車はこんな利用にはとても無理でしょう。
でも、トヨタのランクル、三菱のパジェロはもっと過激な軍事紛争地で人気があるようです。


この日午前中の目的地、ナーランダに到着。



釈尊の高弟シャーリプトラ(舎利弗)の生地で、5世紀から12世紀まで仏教の研究と教学の一大センター、つまり「大学」が設立されたいました。

7世紀に玄奘(三蔵法師)が滞在した頃は1万人もの学僧がいたと伝えられています。

645年(唐時代)に玄奘三蔵が657部に及ぶ経典を中国に持ち帰り、中国や日本仏教である「大乗仏教」の起源とされています。



これは、シャーリプトラを祀るストゥーパ。



12世紀にアイバク靡下の将軍が率いるトルコイスラム人の侵略によって大学は破壊され、この後の時代にインド仏教は衰退した。その時、図書館にあった書籍はすべて燃やされ一週間にわたり炎が絶えなかったと説明されました。

我らがインド人ガイド、ママニアさんは「イスラム教という宗教が悪いのではなくて、当時、強力な武力を持っていた外来勢力が来て、武力を持たない仏教徒を打ち破った歴史的な状況です」と、現代のイスラムに関する悪い印象を与えないよう中立的に説明をしていました。(本人はヒンドゥー教)



遺跡の門前には露天商がたくさん店を並べていて、遠足で来たらしいインド人生徒たちも品定めをしていました。



馬車が、観光用でなく普通の運搬用として走っていました。


~~
追記

平山郁夫画伯が、この遺跡をテーマに描いた絵があります。



奈良、薬師寺玄奘三蔵院に納められています。

引用:
東京国立博物館 特別展「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=709

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インド:パトナ

2011-09-21 | インド仏教研修2011
久しぶりの大都会パトナに夕刻到着し、ここで宿泊です。少し町を散策する時間がとれました。長時間、狭いバスの座席で揺られていたので散歩することにしました。と思っていたら強い雨が突然降り始め、しばらくしてぴたっと止みました。



これは宿泊したホテルの外観。多少設備は古いですが、十分に許容範囲です。どこのホテルも冷房が強すぎますが、ビル全体で共通の冷風ダクトからの空調なので微妙な温度調節は無理。取り込みのファンをオフにしてなんとかしのぎました。



州都の中心部でも交通信号はほとんど無く、ロータリーになっています。車はそれでまあよいとして、歩行者は大変。歩行者用信号などは全くありませんし、横断歩道もはっきりしません。横断する地元の人を見つけて、その人にくっついて、車の流れの川下側で渡りました。



路上での野菜販売。電灯をあかあかと照らしていました。





これは酒屋(リカーストア)、相対的に高額の現金と商品が取引されるので、鉄格子のなかに店員が居て、商品棚も外からは近づけません。



都会の夕陽。こんな写真をとるため、カメラを空に向けていたら、通行人が立ち止まり何を撮影しているのかと振り向いて空を見上げました。



ホテルでの夕食です。高級ホテルなので、ボーイさんの制服はきちんとしています。

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