朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

インド:デリー博物館

2011-10-11 | インド仏教研修2011
前日にデリー市内の裁判所の前で爆弾事件があったことと朝から強い雨が降ったので、午前中は豪華ホテルで休養。

午後になってデリー博物館を見学しました。



さすがに大きな博物館です。ここでもカメラ料金を支払えば撮影ができます。

古代文明展示部屋の最初のポスターです。

エジプト、メソポタミア、インダス、中国。・・・ギリシャ、ローマの文明はこれらの後の時代。

当時のインダス・ヴァレー文明の地域は、現代では、パキスタンとインドの両国にまたがります。インダス文明が栄えたのは紀元前2600年から紀元前1800年の間でした。



ハラッパー(現在パキスタン)、モヘンジョダロなどの遺跡には、都市遺跡が発掘されています。当時の都市がインダス河のほとりにあって交易で栄えていた様子を絵画で解説してありました。



インダス式印章が多数出土していて、インダス文字も発見されています。その文字は未解読。統計的分析ができる程度に長文のものや、ロゼッタストーンのような多言語併記のものがないため解読できません。最も、未解読の言語だけで併記されていても手がかりがないですが。

多数の興味深い展示品がありましたが、こんなデザインは現代でも通用しそうです。

スレンダーな人物像。



この穴がたくさん開いた土器はなんのために作られたのでしょうか。



途中の展示物はすべて省略して、仏像の典型例を2つ並べてみます。

仏陀が仏教を創始しそれが流布した初期には、仏像のような人工的な偶像を信仰することがなかったとされています。数百年たってから仏像が作り始められたので、当時の理想的人物の姿を手本として仏像になったと想像されます。



上はマトゥラー博物館で見た西の方に住んでいた目鼻立ちのはっきりした人相です。
ガンダーラ(インドの西部にある洞窟遺跡)に多くみられる様式。



こちらは、鼻が低く丸顔系の仏像です。

日本に現存する飛鳥時代、平城京時代の仏像や仏画は、どのようにして作成されていたか大いに興味がわきました。なにしろ、インドのナーランダ(仏教大学)に中国の三蔵法師らが留学して持ち帰ったのは、教典、いわゆるお経でしょう。中国からインドへの往復は、ヒマラヤを越える大変に交通不便のルートで、天候や盗賊のリスクも大きかった。仏教情報が詰まった教典を優先して持ち帰ったと考えられます。

それでも、日本の古い仏像の顔がインド人に似ているのは、当時の中国の仏像制作者が天竺から来訪していたインド人をモデルにしたのでしょうか。

宗教の神秘性を強調するには、エキゾチックな人物像を恐らく必要としました。

さて、この博物館の仏教的目玉展示です。



金色の装飾容器の中心に置かれたガラスのなかには、仏陀の遺骨(仏舎利)が収容されています。

カピラバストで発見された古いストゥーパの中に骨壺が見つかり、仏舎利であることの古代の文字で文章が記録されていました。その骨壺はケースの前段に展示されています。

この展示物の裏側の壁にはその拡大写真が掲示されています。



京都嵯峨野にある清涼寺の釈迦如来の衣文の源流がここでも見られました。
後に日本では「清涼寺式」と称される衣装の様式です。



ヒンドゥー教の像で多くの手をもっていますので、千手観音の源流でしょうか。



博物館や美術館は、教育のための設備でもあります。外国では、このように展示物の前に座って、先生の説明を聞いたり、スケッチや模倣画を描く学生たちを時々見かけます。日本の博物館や美術館でもそのような教育的行動を柔軟に許可してほしいと感じました。

長々と書いたインド記事は、これで終了といたします。

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インド:幸福な天国のイメージ

2011-10-07 | インド仏教研修2011
バスでデリーに向かって数時間走った際、途中の昼食や休憩所で見た風景です。



いかにもインドの絵画と思います。天国を描いているのでしょうか。(田舎ホテルの壁にあった絵)



ダンサーの父と娘。ドライブイン・旅行ホテルの玄関で踊りを見せてチップをもらいます。



デリーの中心、インド門の近くを通過しました。

高級ホテル「ラリット」(旧インターコンチネンタル)に到着しました。ここのビュフェ・レストランは品数が多くて大変に豪華でした。イタリアン、寿司、中華も。デザートは十種類以上。





もうすぐ旅が終わります。


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インド:マトゥラー博物館

2011-10-06 | インド仏教研修2011
アゴラから、デリーに向かって1時間ほど北上したところに、マトゥラーの町があります。
ヒンドゥー教の7大聖地の1つ(クリシュナ(8番目の王子)の生誕地)、そしてジャイナ教の聖地でもあるのですが、ここで発達した仏像や諸神の石像彫刻で知られています。



州立博物館に入場しました。

紀元前1世紀ころまでは、仏教においても偶像崇拝は行われていなかったようですが、ここマトゥラーの町で仏像が作られるようになったとされています。良質の砂岩や大理石が近くで産出したことも幸いしたのでしょう。



この博物館の目玉、カニシカ王の父の像。ブラミー語で碑文が記されています。













仏陀の誕生から涅槃までを物語りにしたレリーフです。



ヒンドゥー教の神々は妖艶です。



十本の手をもつヒンドゥー神の像です。千手観音の原点がここにあるのでしょうか。



象の頭をもつガネーシャ神です。



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インド:看板

2011-10-05 | インド仏教研修2011
都会に入ってくると、看板の種類にも変化があります。



上は、理工系大学の宣伝。化学と物理の学科をアッピールしています。化学は、農薬、肥料、医薬品、石油製品加工の分野に仕事があります。物理学は理系全般で、コンピュータ分野や機械製造分野への基礎ともなるでしょう。
IITとは、インド工科大学のことで全国数カ所にキャンパスがある理工系トップスクールです。



左の看板は豪華高層マンションの宣伝、右はホテル旅行学校の案内です。今後、経済成長に従い中産階級の人口が急速に増えていくので、いずれも有望な分野です。



こちらは、学士(工学)と修士(工学)の大学。さらにMBA(経営学修士)、いわゆるビジネス・マネジメント修士学位で、米国流の経営学が全盛の時代ですから大変有望で実務的な学問ですね。

インドは、欧米企業のIT、帳票処理、会計、監査のアウトソーシング(外部委託)で急成長しています。今では日本企業のIT受託もじわじわと増加しているようです。たとえば、新生銀行の情報システムはインド企業にプログラム作成と保守を委託しています。



これは、NTTドコモとインド最大の企業タタとの合弁のケータイ電話会社の広告です。一見したところあまりインパクトを感じませんが。(ヒンドゥ語読めないので単なる印象です)

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インド:アゴラ城

2011-10-04 | インド仏教研修2011
タジマハールから一度ホテルに戻って昼食を取りました。その時にかけてもらった白い花のレイ、とてもよい香りがしました。



午後は、アゴラ城の見学でした。



赤い堅い砂岩で建設されています。



これを設立した王朝は、イスラム教ですが、ヒンドゥー教と仏教の建築様式も折衷しています。



川の向こうにタジマハールが遠望できます。
それを創った皇帝は息子に王位を奪われ、タジマハールが見えるこの城の部屋に幽門され、毎日この風景を眺めて過ごしそして死去しました。墓は、タジマハールの王妃の墓に並べて作ってもらえました。

閉じ込められていた部屋は、さすがに豪華です。磨かれた大理石に草花の模様が彫刻されています。



多くの宝石と貴石で色づけされているのですが盗難が増えたことから、現在は金網で囲まれています。

暑さをしのぐために、水盤と噴水が作り込んであります。これも大理石。



イスラム様式の柱が見事です。



これが、イギリスがインドを征服してカルカッタに総督本部を置いた時代の総司令官(イギリス人)の小ぶりだが立派なお墓が敷地内にあってそれも説明表示板をつけて保存しています。・・(韓国における日本の歴史遺跡のことを、つい比較してしまいます)



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インド:タジ マハール

2011-10-03 | インド仏教研修2011
タジマハールが正面に見える場所に来ました。



外国人の観光客だけでなく、インドの人々も多数見学に訪れています。



聖堂のすぐ前に大理石のテラスに囲まれた池があり、そこは記念写真のよいスポットになっています。



その石の床に寝そべって写真を撮っている家族がいました。



この少女のポーズがかわいかった。他の家族の若い女子メンバーが次々と同じ姿勢の写真を撮っていました。きっと一生の記念写真になることでしょう。



この聖堂は、実はお墓なんです。

17世紀にムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが死去した愛妃のため建設した総大理石の墓廟でインド=イスラーム文化の代表的建築です。この皇帝は息子に王位を奪われてこの霊廟が見える川の対岸の部屋に死ぬまで幽門されました。

イスラム教なので、偶像にあたる人間の像やレリーフは全くなくて、草花や幾何学模様、文字の装飾だけです。



皇帝も愛妃と並んで葬られています。



くたびれて日陰で休憩しているインド人の大家族。裕福な人々でしょう。



この境内には、他にも赤い石でできた立派な廟や塔門が並んでいます。



驚いたことには、イギリスがインドを征服してカルカッタに総督本部を置いた時代の総司令官(イギリス人)の小ぶりだが立派なお墓が敷地内にあってそれも説明表示板をつけて保存しています。・・(韓国における日本の歴史遺跡のことを、つい比較してしまいます)(その墓は、ここではなくて、次項のアゴラ城でした)


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インド:デリー経由でアグラへ

2011-10-01 | インド仏教研修2011
ベナレスからは飛行機で一旦デリーに飛び、夕食を市内で食べた後、貸し切りバスで南に200キロ離れたアグラに向かいました。



デリーに出入りする幹線道路は立体交差の設備もあるですが、夕方大変に混雑し渋滞していました。経済成長しているとの実感があり、さすがに首都です。トヨタ・レクサスの看板を掲げた販売店も道路の脇にありました。日本でも5百万円から一千万円する車種です。

2時間ほどかかって郊外に抜けるとあとは広い直線的な幹線道路となりました。道路のでこぼこは田舎に比べるとまし。

夜の遅い時間にアグラの高級ホテルに無事到着。

翌朝に部屋の窓から見た中庭です。



朝食は、果物だけにしました。



歓迎のレイを掛けてくれるホテルの女性スタッフ。



美人をそろえています。

もう雨期の始まりのはずですが、幸いにもほとんど雨にはあわず、毎日晴天でした。この日も日差しが強いので、最強の日よけクリームを塗ったこの人。




バスで20分くらいで、名所、タジマハールの入り口に到着。駐車場からは、電気自動車に乗り換えねばなりません。
タジマハールは白い大理石でできている建築物なので、大気汚染により黒ずむことを防止するためだそうです。強制的に入場料、電気バス料金、PET水(ゲートで持ち物検査があり空港なみに液体の持ち込みは不可、ここで買う水だけOK)を渡されました。



我らが乗ったのはもう少し大きいマイクロバス、蓄電池駆動。



このゲートのすぐ内側に所持品と身体検査があります。男性と女性に別れて行列して検査を受けます。たばこ愛好家は、ライター、マッチだけでなく、たばこも没収。すぐ後にいた日本人の若い男性のポケットからマッチが見つかり、さらにたばこが箱入りで数本発見されました。即時に没収ですが、その男の子は何度も文句を言い立てていました。でも、NO。検査の警官がにやりとして、たばこの箱ごと握りつぶしてゴミ箱に投げ捨てました。・・我らのグループの喫煙者は、事前のガイドの注意で問題はありません。

ここもカメラ料金が必要でした。安い価格ですから支払う価値ありです。



この立派な塔門をくぐります。



(つづきます)
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インド:ベナレス4(鉄道駅)

2011-09-30 | インド仏教研修2011
鉄道駅に行ってみました。



駅前通りにはいろいろな屋台が並んでいます。



駅前広場は交通制限していて広々。左手の建物は予約受付、コンピュータ予約と大きく表示が出ていました。



中はこんな風に目的別の窓口が並びます。



これは駅舎の正面入り口の内部。改札はないのでだれでもプラットフォームまで入ることができます。切符の検査は列車内で車掌が行うのでしょう。



跨線橋を渡って、実際の長距離列車の発着を見にいってみました。



ムンバイ(ボンベイ、インドの西部海岸の大都市)行きの夜行急行です。



座席指定でない2等車は席を確保するために、列車がまだ止まらないときに何人も飛び乗って
いきます。停車したら我先に入り口に殺到。



2等車両の内部です。座席の上の荷物置きの棚にも乗客が座っています。

エアコン付きの寝台車もあります。等級があって、3段寝台、2段寝台、1等車と分かれています。

側面に取り付けられた列車表示には、なんと、”Super Fast Express"なっていました。



駅の構内にも、お牛さまが寝ています。人も。



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インド:ベナレス3(町の風景、舞踊)

2011-09-29 | インド仏教研修2011
鹿野苑から戻って、ベナレス(バナラシ)で自由時間になりました。


これはホテルの朝食。インダス河から戻ってから食べました。予想外にいつもおいしい。食べ過ぎる傾向なので、軽くしたつもりです。
多くのホテルでは、朝はお粥も選ぶことができました。

自由時間には町中に出てみました。



七輪で何かを炒める食べ物の移動式屋台です。



鐘を鳴らしながら町を一人で歩く行者。かついでいる棒の後ろの缶に喜捨を求めているのでしょうか。



裏通りに入ってみました。
子供たちが遊んでいたので、カメラを向けたら笑顔でポーズをとってくれました。



これは路上の喫茶屋台、超簡易形。



なんで、路上に大きな中華鍋があるのか不明。燃料は不要な材木や紙、とてもエコです。



ここでチャイを注文しました。

容器は、使い捨ての素焼きカップ。でも記念に持ち帰ろうとしたら、ここに捨てろと。で、いや、持ち帰るというと、新品の容器を一つくれました。チャイの料金は4バーツ(8円)。



ホテルの前に戻ってくると、このおじさん、素っ裸で道路にごろりと大の字になりました。



通行人は別に平気で行き過ぎていきますが、自動車はその人をひいては大変なので渋滞となりました。
ジャイナ教の僧侶だそうです。「裸の行」は警察も承認しています。

夕食の後にインド舞踏がありました。



今回は、特に、クラシックな流派であったようでわりと地味な踊りでした。



音楽演奏には、シタールという独特な弦楽器がその音色も楽器の形も印象的でした。

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インド:サールナート(鹿野苑)

2011-09-28 | インド仏教研修2011
ベナレスから10キロ先に、初転法輪、釈迦が初めて弟子に向かって説法をしたサールナートがあります。当時は鹿がが多くいて鹿野苑と呼ばれた場所。



きれいな緑の芝生に囲まれた遺跡公園になっています。右手に見える金色の塔は隣接するジャイナ教の寺院。



巨大なダーメクスツゥーパ。6世紀頃。



紀元前3世紀にはアショカ王により仏舎利塔、僧院、石柱など多くの施設が建設され、12世紀まで栄えた仏教都市でした。



これはアショカ石柱で、この上に四頭のライオン像が乗っていました。そのライン像はインドの至宝とされ、遺跡公園の隣にある考古博物館に展示されています。



その考古博物館の入り口は上の写真。館内へのカメラの持ち込みが厳禁されていたので展示物の画像はありません。

一般に、インドの博物館は数百円のカメラ料金が設定されていて、それを支払うと撮影自由なのですが。

ここのもう一つの名物は、初転法輪像、美しい仏像です。この土地で発掘されたもので小ぶりですがその瞑想する顔は凛とした威厳があり、横から見る顔には優しさが満ちた仏像でした。インドで一番美しい仏像といわれています。

初期仏教では、仏陀などの偶像を作って崇拝することはなかったようです。実際、仏陀の姿は恐れ多いので、長四角の図形で象徴した仏伝レリーフ彫刻がありました。
それが一転したのは、1世紀頃のマトゥラーでです。そこで仏像の彫刻が開始され発達したとされています。その地の博物館には後日訪問したのでそのところで説明を加えます。

四頭のライオン像は、大きくて完全な姿で保存されていました。

ライオンの頭上には巨大な石の法輪が乗っていたようです。その法輪も展示されていました。ライオンの足下には牛や羊などの動物の彫刻があり仏教の徳を教授しようとしています。

インド紙幣にはこのライオン像が印刷されています。



アップすると:



1ルピー硬貨のレリーフにもなっています。




※この博物館の画像が掲載されたwebがありました。旅行社のページで、ここの中段に記事と写真がありますので興味あれば。
もうひとつ見つけました。こちらの方が古い写真だそうですが、よくとれています。このページの下の方で、写真拡大できます。


さて、この近くにあった数珠屋に立ち寄りました。



日本婦人を奥様とするインドの方が経営する店舗です。

貴石、菩提樹の実などを数珠が多数あり、日本から糸は輸入して日本の宗派の様式に合わせて作成した数珠を販売していました。
現代風に、腕輪やアクセサリ、キーホルダー、ケータイストラップなども。

10月以降の乾期には、仏教関係の団体が日本からも多く参詣するそうですから、その人たちの懐は我らグループよりも豊かと思われるのでよいビジネスになっていることでしょう。

ここまで来た記念でもあるので、インド産の菩提樹で作られた数珠を二つ購入しました。(店主社長さん、もちろん日本語が上手、と長々価格交渉しました。途中で一旦当方から交渉放棄。しかし別の品物を他の店員に冷やかしていたら、再度、店主が介入してきてついには根負けで商談成立)
(インドの人件費を考えるとまだ高いとは思いましたが、他の店にいくという選択肢がこちらにはないので、最初から向こうの勝ちですね)




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