朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

外国へ

2009-08-31 | 外国の風物
2週間ほど、仕事で外国に出かけます。
 PCは持参するので、もしネットの接続が出来れば時々はアップしたいですが。
 さて、どうなるかな。
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ジムロジャーズの自動車世界一周

2009-08-30 | もろもろの事
図書館に資料探しに行ったついでに、こんな本を借りてきました。
 ジム・ロジャーズは、ヘッジファンドのマネージャとして、1970-80年代に活躍した米国人です。知らなかったですが。
 大いに成功した後、1980年に「引退」して、オートバイで世界中を旅行して趣味に生きることにしたのです。



この本は、オートバイから自動車に乗り換えて、1999年1月から3年間をかけて、婚約者と二人で世界一周をしたときのドキュメンタリーです。単純な、早周りの世界一周ではありません。
 まず出発は北大西洋の孤島、アイスランド。欧州から中央アジア経由で中国、韓国、日本に達し、それからロシアに渡ってシベリア、モンゴルを通って欧州に戻りました。

 車はメルセデスベンツの改造車で、派手な黄色に塗っています。メルセデス社をスポンサーにして、写真やビデオ記録のスタッフを乗せた伴走車付き。所々で、数週間の滞在もしているので、3年間をかけています。

 欧州からアフリカに渡り、この大陸を可能な限り陸路で周回しています。アフリカの諸国は、治安が悪くいたるところで賄賂を要求されたとあります。陸路の国境通過は大変な苦労と危険が伴ったようで、そのあたりが冒険譚として面白い読み物になっています。

 アフリカの西から南へ行き、さらに東部を回ってエジプトまで走行しています。そこからサウジアラビアに入国しています。業務以外で異教徒が、サウジの入国ビザは取るのが大変だったと書いています。

 南アジアの危険な国々の多くも陸路で通り、オーストラリアに渡ってこの大陸もほぼ一周。
 南太平洋は車は船でチリへ、本人は飛行機で飛び途中、南太平洋の島で休暇。
 南米を最南端まで走って、その後はドンドンと北上して中米、メキシコ、アメリカ、カナダを抜けて、アラスカまで。
 さらにアメリカ大陸の太平洋岸をカリフォルニアまで南下し、大陸横断して、ニューヨークの自宅でゴールでした。
 24万キロメートル、116カ国を走って、ギネス記録だそうです。



図書館で、拾い読みした時に興味を持った点は、彼の旅行中リアルタイムで、インターネットのウェブに日記を掲載していたことです。そのウェブの読者が応援メッセージを送ってきたり、旅の途中で出合ったりする場面が出てきます。
 1999年時点で、すでにネットが機能していたことが第一点。日本では、まだADSLのブロードバンド夜明け前でした。ダイアルアップの時代、スピードは28kbps程度。
 もう一つの興味は、旅行記のスタイルの比較。私の知人、近藤さんが「遊牧夫婦」として2003年から5年間、世界各地で働きながら貧乏旅行して、それをブログにしてずーと発信していたので、それとの違いに興味がありました。

 ロジャーズさんは、資金に困らない言ってみれば、金持ちアメリカ人の冒険旅行。それに世界最強のUSパスポート所持。
 でも、彼のレポートは、各国各地での「投資機会」の発見と評価が興味深いです。相当大変な目にあっていますが、それでもアフリカ贔屓の感想がたくさん書かれています。アジアにもかなり愛着があるようです。ネットで検索してみると、生まれたお嬢さんには中国語を学ばせていて、2007年にはシンガポールに移住したとのことです。
  
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百日紅

2009-08-29 | 京都の文化(夏)
さるすべりの花が咲いています。
 夏の暑い日には、この木の肌と赤いしっかりした花がよく似合います。
 北大路通の東のはし数百メートルの区間に、百日紅の並木があり花盛りとなっていました。





赤だけではなく、白やピンクの花をつける木もありました。





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比叡山3

2009-08-28 | 京都の文化(夏)
第2駐車場の脇にある自動販売機で、缶コーヒー微糖を買って朝食としました。

 しばらくすると、最初のロープウェイが到着したようで数人の人が現れました。自分の自動車でドライブして来たグループも出現。
 しかし、それまでは登山口から誰にも会いませんでした。

この写真は京都側の眺望です。よく見ると、京都タワー、東本願寺の修理用覆い屋根、京都ホテル、吉田山の緑が分かりました。(この写真では吉田山以外、判別はムリですね)




旧スキー場のすすき。



ロープウェイには乗らずに節約して。ケーブル駅まで、ゆっくり歩く。





ケーブルは、一人で貸切状態。
 すれ違う登り車両には21名乗車と無線で話していました。





麓の八瀬駅に到着し、叡山電鉄に乗り換えました。
 登りは良い運動になるのですが、降りの歩行は膝に負担が大きくなります。したがって、くだりに鉄道やバスがあるのは大変助かります。



すこし、長めの散歩になりました。



この山の頂上まで歩いたわけです。
 14,616歩でした。帰宅は10:20am。

 地図で測ると、直線距離は4.65kmでした。実際の片道距離は、7~8キロメートルくらいでしょうか。

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大比叡に登頂成功

2009-08-27 | 京都の文化(夏)
水飲対陣跡からは、杉林の中を淡々と登って行きました。



途中、「ケーブル比叡」駅への分岐がありましたが、体調もよいし気候も涼しいので山頂まで登ることに決めました。

 この写真は、スキー場跡地です。何年か前まではここでスキーが出来たのですね、人工降雪機で雪を作って。








下の方に、大原の盆地が見えました。



この石仏群の地点から、右に折れて(まっすぐ行くと「根本中堂」へ)、山頂を目指しました。徒歩10~20分で、....

 ほぼ、山頂に到着したのですが。。。。「山頂バス停」です、、、

 ここは「ガーデンミュージアム比叡」の入口です。世界の名画陶板と草花庭園、レストランなどがありますが、まだ朝早いので閉まっていました(開場は午前10時)。



琵琶湖と大津が直ぐ下に見えました。




さて、一等三角点がある「比叡山頂」が分かりません。聞くべき人もいません。

 ぐるりと見渡すと大きな第2駐車場の奥が小高く木々で盛り上がっていました。おお、あっちかかな?

 当てずっぽうで登っていき、途中で少し迷ったのですがどうにか到着しました。

 「大比叡」の手作り標識が木に掛けてありました。
 立派な三角点標識も発見。
 標高848メートル。





 午前9時04分登頂。自宅から3時間です。10,369歩でした。
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朝の散歩、きらら坂

2009-08-26 | 京都の文化(夏)
朝の気温が下がり、爽やかとなってきたので、散歩を再開しました。昨年の夏にはよく早朝に歩いていたのですが、その後すっかりご無沙汰しています。
 まずは、ベランダから毎日眺めている比叡山の登山口、きらら坂(雲母坂)の入り口まで行ってみることにしました。

 出発は、午前6時6分(2009-08-25)。日の出の時間が少しずつ遅くなっています。
 歩き始めて20分くらいは住宅地の中の道ですが、水田も残っています。そういえば「きらら」という米の銘柄があります。



 音羽川にかかる雲母橋に着きました。この川の北側は、宮内庁が管理する修学院の敷地です。事前申し込み制なので、まだ見学したことはありません。



昨年も8月にここまで散歩で来ています。(2008-08-21
 橋の写真が、ほとんど同じですね。

さて、ここまでゆっくり歩いて来て約40分かかりましたが、まだ7時前でした。
 登山道の入り口に掲示されている大雑把な案内図を見ると、修学院の敷地に沿ってここからの登山道があり、敷地の向こう側、北からの登り道と途中で合流することがわかりました。
 それならばと、修学院の外周を一回りして帰ることにしました。

登山道はすぐに狭くなり、かなりの急坂です。雨で削られてV字の溝状になっています。道の左側に並ぶ石柱には修学院境界の鉄条線が張ってありました。



土質は、花崗岩が風化した感じです。暗いので撮影時自動ストロボが光ったため、雲母らしき微小石片が光って写っているようにも見えます。



さて、修学院の敷地は半端ではなくてとても奥が深く予想が外れました。急坂が延々と続き、ようやく北側境界に沿って登ってくる道に合流したのは、雲母橋から30分近くも登ったところでした。



一応ペットボトルに入れた水も持っているし、天気もとても良いので、朝食は食べてこなかったけれど、ケーブルカーの「ケーブル比叡」駅までは登ってみることにしました。
 これが本当の「朝飯前」。
 京都側の「叡山ケーブル」は、「八瀬駅」から8合目くらいの「ケーブル比叡」駅に通じていて、そこから山頂へは「叡山ロープウェイ」が連絡しています。

この坂道は、歴史上、比叡山延暦寺と京都を結ぶ重要路でした。
 叡山の僧兵が坂本日吉大社の神輿を担いで都に押し寄せたり、親鸞が叡山横川にて修行の傍ら、毎晩、都心の六角堂に通うため登り降りしたりと。

 こんな狭い道ではなかったのでしょう。これではとてもお神輿は通れません。

午前7時20分には、水飲対陣跡の石碑のところまで到達できました。後醍醐天皇と足利尊氏の戦跡だとのこと。

 この少し前からは、京都市観光局が定める「京都一周トレイル」のコースに合流するので、路面の整備状況がよくなりました。





(つづく)



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真夏日を脱する、京都

2009-08-25 | 京都の文化(夏)
本日(2009年8月24日)のアメダス記録によれば、京都市の最高気温は30度を下回りました。
 つまり、今日は「真夏日」ではなかったのです。
 昼間も窓を開けていると、それなりに「爽やか」な風が通りました。

 やはり大文字が終わったせいでしょうか。





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江戸落語を京都で

2009-08-24 | 伝統芸能
こんな落語会のお誘いがあったので、高台寺近くの会場に行ってきました。
 阿吽坊という和食のお店で、元は料亭であったそうです。
 ここの1階のふすまをはずして、いくつかの和室をつなげて広間を作ってありました。







 登場した落語家は、古今亭菊六さん、弱冠30歳。
 大変な熱演でした。演題はいずれも古典を、途中に中入りをいれて、3席演じてくれました。


 (古今亭菊六公式サイトより)

その後は懇親会になり、菊六さんも交えて、皆さんで座卓を囲みました。



料理は、
・お造り(天然鯛、よこわ、生秋刀魚、貝柱)(いずれも少量)
・栗麩の甘辛煮
・賀茂茄子田楽
・無花果の揚げ出し
・海老と蓮のつくね焼き
・胡麻豆腐
・じゃこ御飯
・黒砂糖の葛餅

 写真は、賀茂茄子と無花果。いちじくの揚げ出しは、非常に変わった食感でした。とても甘くて野菜というよりもお菓子のような。



いろんな方々と親しくお話しすることができて、とても楽しい一夜となりました。

※演題メモ:1席目、しったかぶりご隠居、魚名の由来。 2席目、間男、お内儀と間抜けな手代、そして知らぬは亭主ばかりなり。 (中入り) 3席目、若旦那の船宿での船頭修行にお客がつく。

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吉田神社

2009-08-23 | 京都の文化(夏)
もう、立秋を過ぎたので、カテゴリーは「秋」にするべきでしょうか。
 でも新暦では、やはり秋分の日あたりから秋となる実感でしょう。

 先日の散歩で、吉田神社表参道の鳥居脇にこんな石灯籠の張り紙がありました。





「月」「日」だって。
 なにか意味あるのでしょうか。

この事とは全く関係ありませんが、先日、ある仏教研究者の方が「京都の(観光)仏教寺院はまじないばかりやっていて、観光客収入を増やすことしか関心がない」と批判していました。たしかにそんな傾向はあるような気がします。
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期日前投票

2009-08-22 | もろもろの事
衆議院選挙の投票に行ってきました。
 あいにく、投票日(08-30)前後に出張があるためです。



以前はたしか不在者投票といっていたと思いますが、現在の制度では別の種類です。
 不在者投票とは、「選挙人名簿登録地」(つまり現住所)以外の市区町村選挙管理委員会や病院等で事前に投票する方法です。

 なんと、土日も投票でき、午前8時半から午後8時まで開場しています。
 受付の時に、「宣誓書」に理由(選択肢が印刷されていて○をつけるだけ。理由も簡易、単純な項目が並んでいます。仕事、外出など)と、住所氏名を書きました。理由について説明は求められません。
 あとは郵送されてきた「入場券」を受付に提出するだけ。
 住所氏名をコンピュータらしき機械でチェックした後に、通常の投票券発行機械から用紙が出力され、小選挙区用と比例代表区用とで色の違う2枚が渡されました。その後は、全く通常の投票所と同じです。仕切りがある記入台が並んでいて、同じ室内の少し離れた場所に2種の投票箱があり、監視人1名が見守る中、自分で投票しました。

 平日の午後でしたが数名が投票中で、その後も三々五々と人が入ってきていました。付き添いに伴われた老人もいました。投票が済んですっとしたと感想を話している声が聞こえました。
 ちまたの噂では、たとえば宗教団体などは老人に付き添って投票所に連れて行くとか。まあ、それでも本人が了解しているならば、往復の安全のためにはよいことかもしれません。

 ついでに、気になったので海外在住者の投票は現在どうなっているか、調べてみました。
 2000年から国政選挙に対して「在外選挙」ができるようになり、当初は比例代表区の投票が、2007年からは選挙区に対してもできるようになっています。
 方法は、上記のような直接投票と郵便投票です。
 直接投票は、在住国の日本大使館・領事館等の投票場所にて行われるが、公示日の翌日から国内投票日の5日前までで締め切るとのことです。
 郵便投票は、本籍地の選挙管理委員会に郵便で投票用紙を請求し、それに記入して郵送するが、到着は投票日の午後8時までに必着。

 情報通信技術が進歩しているのですから、もっとコストのかからない効率的で信頼性のある方法を検討するべきでないでしょうか。
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