7月26日(火)NHK「クローズアップ現代」で、こんな放送をしていました。
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日本人が大陸からどうやって列島に渡ってきたか。
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この図のように、1)シベリヤから北の海を渡って、2)朝鮮半島を経由して、3)南方の台湾(その昔は大陸と地続きだった)から島伝いに、の3つのルートが考えられています。
番組はこの南方ルートに関する検証です。
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全く知らなかったのですが、3万年前ころ(旧石器時代)の人骨が、沖縄の南の島々から近年になって多く発見されているそうです。
これだけの数の人間が生息するには、この時代に少なくとも10人以上の男女が意図的に(遭難などで漂着したのではなく)渡海したのではないか、と。
台湾と石垣島など、南西諸島の間には黒潮が激しく流れています。そのような困難な海路をどのようにして渡ったか。現代とは違い、海図、船、コンパス、天気予報もない時代です。
大きな木をくりぬいて丸木舟を作るための道具(石の斧など)は、その石材がなく道具の遺物も発見されていません。
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国立科学博物館の研究者、海部陽介さんらの推論によれば、草舟で来たのではないかと。ヒメガマなる草を鋭利な貝殻できって蔓でしばり、舟を作ることができます。
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科博で研究プロジェクトを立ち上げて、数年がかりで準備をしました。
日本の最西端の与那国島から石垣島まで、この自作の舟を手漕ぎして渡る実験です。20時間くらいの走行を予定しました。
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悪天候の荒波で予定がおくれましたが、ようやく出発しました。2艘の漕ぎてはすべて地元の若者たちで、今回のためにトレーニングを重ねたそうです。
伴走する動力船からは、緊急性がない限り航路指示など現代技術による支援はしない約束。
数時間漕いだ時点で、強い潮流に流され予定コースから大きく外れてしまいました。やむなく、草舟を石垣島の近くまで牽引せざるを得ないことになりました。
大昔、どのようにして、なぜ渡海を決行したのでしょうか。何十回もやれば、何回かは成功したかもしれませんが、失敗すれば多くは死にます。目的はなにか、海の向こうに島があることを知っていたのか、敵に追われて逃げたのか。
東アフリカで生まれたホモ・サピエンスが、中近東で分岐して欧州コース、ユーラシア大陸コース、さらに沿岸コースでしょうか。後者はインド、インドネシア等を経由して東南アジアの諸島とポリネシアに拡散したとの仮説があります。一方、中国大陸経由でシベリア、(氷河期で水面が大きく低下した)ベーリング海峡を渡ってアラスカからアメリカ大陸にも移動したことは確実です。
3万年くらい以前の祖先の一部が、こんな海を渡って来たと考えると驚異です。