朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

秋の祭り4

2011-10-31 | 京都の文化(秋)
昔の女性の姿がやはり目を引きます。



清少納言と紫式部が同じ山車にて登場しました。実物のお二人は、日本文学史が誇る大変な才女でありますが、こんな美女ではなかったでしょう。



和気広虫。平安時代初期に活躍した和気清麻呂の姉で、我が国において孤児院の起源をなしました。唐風を色濃く残す平服姿です。



百済王明信。藤原継縄の妻。百済王氏の出身で、桓武天皇の信頼が厚く尚侍(女官長)として天皇を陰ながら支えました。平安初期の女官の正装姿をしています。

絵本にでてくる竜宮城の乙姫さまの服装はこの時代のものでしょうか。



神幸列。



迦陵頻伽と胡蝶。朱色の迦陵頻伽は、極楽浄土に住む美しい鳥を表しています。背には鳥の羽根、天冠には桜花を挿しています。
緑色の胡蝶は、高麗壱越調舞楽の舞人です。背中に蝶の羽根、天冠には山吹の花。



前の御鳳輦(ごほうれん)に西本殿の孝明天皇、後の御鳳輦に東本殿の桓武天皇が鎮まっており、一年に一度、市中を巡幸して市民の安らかな姿を親しくご覧になります。時代祭の中で主たる意義を持つ列です。



錦蓋、菅蓋。



白川女献花列。比叡山から流れる白川流域に住み、季節の花を売り歩くのを業としていました。平安時代中頃から御所に花を届けていたともいわれています。


時代祭は、本物の衣装を作り、着て、本物の化粧をして2000人もの人々が都大路を歩きます。京都ならではの規模と伝統の力です。


引用:e-Kyoto時代祭
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秋の祭り3

2011-10-30 | 京都の文化(秋)
京都時代祭、中世婦人列です。京都花街組合連合会・京都市地域女性連合会がその役割を担います。



淀君。太閤秀吉の側室で秀頼の生母。その外出姿は、唐織、刺繍、染め、絞りといった最高の技術を集めた桃山時代を代表する豪華さ。



淀君の侍女たち。



静御前。源義経の愛妾、悲劇の女性。義経の幼名は牛若丸。鞍馬山の天狗のもとで武術を習い、京都五条大橋にて弁慶をやっつけて家来にするおとぎ話でおなじみです。静御前は平安末期の女人舞装束・白拍子の姿です。



鎌倉時代、城南流鏑馬列。直前を歩く子供たち、そのお母さんも和装で付き添って歩いていきます。



巴御前。木曽義仲の愛妾で武勇の誉れ高き女性。白馬にまたがり、透彫りの天冠に胴丸を付け太刀に長刀を携えて義仲と共に出陣した時の姿です。



常磐御前。源義朝の側室。義朝が平治の乱で戦死した後、子供達の助命を平清盛に乞うため雪中を六原に向かう姿を表しています。連れているのは今若と乙若、牛若は常磐の懐にいます。

参考サイト:e-Kyoto時代祭

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国家の経営

2011-10-29 | 外国の風物
インドから帰国する日、デリーで滞在中のホテルの室でこんなTV番組を見ました。



シンガポールのリー元首相です。

大学生を集めて大きなホールで演説したあと、質疑応答になりました。
シンガポールの学生は非常に積極的に質問の手を上げます。

こんな質問が記憶に残りました。

Q「外国人の入国移民数を年間2万人も許可しているのは、反対である。我らの仕事を奪われる。移民をそんなに多数許可する理由は何か?」(シンガポールの人口は約470万人なので、2万人という数字は約0.4%相当)

A「日本を見てみなさい。・・・
 米国は、他国から(優秀、勤勉な)人々を積極的に輸入して、それらの人が高い価値を作り出し、あるいは単純労働に従事し、消費して、その結果GDPを増している。ドイツやフランスも同様です」
 「一方で、日本はシンガポールと同じく若い人が子供をあまり生まなくなっていて少子高齢化が進んでいる。日本は民族の純粋性を維持するために、外国からの移民を実質的に拒絶して、そのため人口は年々減少。シンガポールが経済成長を維持するには、適切なレベルで人口を増やしていかねばならない。経済がよくならないと国家と市民生活の安定はない」

 質問した女子学生に対して、リー元首相が逆に質問「あなたは結婚していますか?」

 「結婚していません、博士課程(Ph.D)学生です」

 「あなたのPh.Dも大切ですが、ぜひ早く結婚してお子さんを作ってください。それが国家のためにも大切です」(会場から笑い)

・・・シンガポールは経済成長を成し遂げて欧米や日本なみの生活水準を達成しています。周辺国のマレーシア、インドネシア、タイ、インド、ベトナム、中国などからの人々の流入を恐れる意見は当然です。しかし少子高齢化は長い目で見て国家的大問題です。

「反面教師」に取り上げられた日本は、今後も海外からの人々の流入を厳しく拒絶すべきなのでしょうか?

 仮にシンガポールにならうとすると、日本人口の0.4%、50万人を毎年受け入れるということになります。

 外国人看護師や介護士の試験を、難しくしたままで年間数人程度しか合格させないでいいのでしょうか。日本語にこだわりすぎでしょう。カタカナまじりの英語はすでにかなり流通していると思います。農業に従事する若者がいないならば、老年の農業指導者が生存している間に外国人を含む若者を育成しなくては。海外移転が止まらない製造業の工場を日本に留めるために(いまより低い賃金で)働く勤労者を輸入することもありでしょう。
 リー元首相の発言には、「日本はかつて経済成長期にブラジルから(民族的に同根の)日系人多数の「帰国」(日本への移民)を許容した。しかしその多くは適応できなくて元の国に戻ってしまった」と。
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iPhone4S

2011-10-28 | もろもろの事
auのiPhoneをようやく、一昨日(10月26日)夜に入手しました。



発売開始は10月14日、予約開始は10月7日午後4時とアナウンスされましたが、予約開始日は出かけていて出遅れ、予約申し込みは10日。結局、入手は発売開始後12日目になりました。

一昨日ヨドバシカメラ京都店のKDDIコーナーでは、16Gブラックモデルは即日(かつ実質0円)、その他は予約と掲示されていたから、やはりメモリーが大きいモデルに人気があるようです。

今回他社ケータイからの移行なので、MNP(ケータイ電話番号の継続)のため事前に電話で元の会社のオペレータに申し込んで「予約番号」を発行してもらいそのメモを持っていきました。

帰宅後、旧ケータイの中にある既存「電話番号帳」を、新iPhoneにコピーする作業をしました。その説明書はauショップでもらってきたのですが、簡単ではなかったです。

旧端末の本体に取り付けたミニSDカードに本体の電話帳をコピーする(その方法は元の会社のwebから機種を選んでダウンロードして調べる)。次にそのSDカードを取り外して自分のPCに刺して、KDDI所定のwebにあるアプリを使って(そのために事前にダウンロードしてPCにインストールしておく)、電話帳データを取り出し所定の形式に変換。MSオフィスの「Outlook」を起動して(そんなアプリを今まで使っていなかったのでその起動までにいくつかの手順あり)、Outlookの中の「連絡先」にコピー。さらに、iPhoneをそのPCにUSBコードで接続して、iTunesを経由して、電話中データを転送。ついでに自分のPCの「お気に入り」のファイルも転送。これでようやくOK。

さて、この新型iPhoneをどう活用しようか、今はワクワクしているところです。

とりあえず思いつく応用は、
・ケータイ内蔵カメラの性能が向上したので、これまで以上に街中で画像を記録できる、
・Facebook、Twitterのソーシャルメディアの活用、
・Evernoteによるメモ取り、いつでも、どこでも、
・遠隔地の仲間とのグループウェア活用(いつでも、どこでも)、、、

ちなみに、iPhone4S内蔵カメラで撮影した画像はこうなりました(下記はサムネイル):


(クリックで拡大[=原画の約1/3縮小])

コメント (2)
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秋の祭り2

2011-10-27 | 京都の文化(秋)
京都時代祭2011の続報です。



豊公参朝列。

牛車が来ました。檳榔毛唐庇車(びんろうげひさしくるま)。

ほとんど、人の力で引いていますが、それでも後ろには交代用の牛が一頭従っていました。現代では牛も、過保護なのか、御所から平安神宮までの距離も歩くのが辛いのでしょう。葵祭にて、かつて牛車を引く牛が疲労のため行進中に倒れてしまったことがあったようです。



千成瓢箪の馬印は、豊臣秀吉公のシンボル。



室町洛中風俗列。

室町時代後半(16世紀)に経済的に繁栄した京の町衆によって催された風流踊りを再現しています。この踊りは全国各地に伝承されて江戸時代以降の盆踊りの原型となりました。

室町時代の大事件、「応仁の乱」はこの繁栄の前段になります。
室町時代、応仁元年(1467年)に発生し11年間にわたって継続した武力衝突で京都の町がほとんど焼けてしまったといわれています。

京都では「前の戦争」というと「応仁の乱」のことだそうです。

8代将軍足利義政の継嗣争いによって発生し、室町幕府管領家の細川勝元と山名持豊らの有力守護大名が争いほぼ全国に拡大しその結果、乱の影響で幕府や守護大名が衰退し戦国時代に突入していく原因になりました。



小袖姿で竹製のささらを持って踊る「側(がわ)踊り」で、男性が女装してして踊る「風流踊り」ご庶民の間の広がっりまいた。

京都時代祭2011 風流踊り 室町時代



応仁の乱でほぼ全焼した京都の復興は、現代の公共事業の大盤振る舞いがあって好景気につながったのかと想像しました。が、”義政は幕府財政を幕府の権威回復や民衆の救済にではなく、趣味の建築や庭園に費やした。結果、応仁の乱後の京都の復興は大幅に遅れることとなった。”(wikipedia)とあるので、政府(幕府)の投資ではなくて、町民の経済力がひっぱたようです。つまり、民活。

(つづく)

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秋の朝日

2011-10-26 | 京都の文化(秋)
鱗雲が朝日の光に突き刺されていました。


 (iPad2のカメラにて撮影)

左手に比叡山があるのですが、日の出の位置がもうずいぶん南に移動しています。

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秋のきつねうどん

2011-10-25 | 食べること、レストランなど
シンプルなランチ、近くのうどん屋に週末の昼に行きました。



小天丼つきキツネうどん。

デンプン質過多、カロリーオーバーかもしれません。でも、天丼のエビ、おいなりさんのほのかに甘い味、うどん、醤油味のだし。満腹感があり落ち着く味でした。

「秋の」と形容したのですが、、、 まあ季節に関係ないです。

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秋の祭り

2011-10-24 | 京都の文化(秋)
時代祭が10月23日(日)に京都の大路を練り歩きました。



最初の予定は22日でしたが、当日早朝、雨天の天気予報が出ていたため順延となりました。本物の装束を使っているので雨には弱いようです。



時代祭り 2011年


明治維新が先頭で、時代をさかのぼって歴史的人物、特徴ある装束や道具が次々と現れました。
三条大橋で参観しました。



これは、いわゆる「錦の御旗」、官軍(天皇の命令で行動する軍)の証明です。反対語は「賊軍」。「勝てば官軍」(権威付けは後からやってくる)という言葉もあります。



毛槍。ときどき立ち止まって、パフォーマンスします。



和宮。
皇女でありながら、幕末の開国問題によって引き起こされた政治混乱の妥協策、徳川幕府と天皇家との公武合体の証として、最後の将軍家茂のいる江戸に降嫁されたヒロインです。

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秋の新刊書

2011-10-23 | もろもろの事
発売されたばかりの近藤雄生さんの「中国でお尻を手術。(遊牧夫婦、アジアを行く)」(ミシマ社)を購入しました。

楽しみながら、読んでいくつもりですが、取り急ぎ紹介します。



帯に曰く:
「年収30万の三十路ライター、人生に迷う。」

”初の新婚生活、先生との日中大議論、
 寝ゲリ、吃音コンプレックス・・・・
 現地で学び・生活する遊牧夫婦の新しい「暮らし方」。”

”昆明の早朝四時。もう二十代も終わりが見えてきているものの、仕事も収入もまるで安定していない。その上、妻の隣で寝ゲリして、未明にシーツを洗う自分ー。
 おれは大丈夫なんだろうか。
 こんな間抜けな状態でシリアスに行く末を悩んだことは、後にも先にもこのときだけだった。”

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秋の朝顔

2011-10-22 | 朝顔のこと
朝顔は秋の季語。



長野県上伊那郡箕輪町の休耕田で10月8日に撮影。畑の地面に這うアサガオが鮮やかに咲いていました。品種名:ヘブンリーブルー。

花言葉は、「愛情」「平静」「愛情の絆」「結束」「短い愛」「明日もさわやかに」「はかない恋」
(引用:http://www.hanakotoba.name/archives/2005/09/post_12.html)

花言葉とアサガオで検索すると、微妙に異なります。
では「花言葉」とはだれが考案して、どう定着してきたのかなと疑問がわきました。

調べてみると、17世紀のオスマン帝国(トルコ)に起源があり、英国に伝わって19世紀ヴィクトリア時代に大流行したことがわかりました。

「花言葉」とは、Flower Language の翻訳。Languageですから、「コトバ」というニュアンスとは少し違います。言葉や文章ではなくて、花そのものでメッセージを伝えるためというのが本意でしょうか。

その時代に描かれたきれいなイラストの本があります。



引用:http://p.booklog.jp/book/31980 (電子書籍の販売サイトです)

ついでに、上記webから紹介文を抜き書きします:

”この本は19世紀後半にイギリスで出版された、"Language of Flowers (花言葉)" の翻訳です。

19世紀後半のイギリス、いわゆる "Victorian England" (ヴィクトリア朝イングランド)では「花言葉」が盛んでした。花言葉とは、花がもつとされた象徴的な意味のことで、バラは「清純な愛」、月桂冠は「栄光」などが代表的なものです。

当時は物事をはっきり言う代わりに花にメッセージを渡して送るのがエレガントとされ、ロンドンの街角では花屋が繁盛を極めましたが、花言葉のルーツは古代ギリシャの「寓意」だと言われています。”


コメント (2)
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