朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

朝顔展

2011-07-31 | 朝顔のこと
府立植物園では、恒例の朝顔展が始まりました。(7月29日から8月2日まで)朝7時に開園なので、7時過ぎの涼しい時間に訪問しました。



噴水を逆光で撮影してみました。



さて、今年は「節電」のための、すだれ式朝顔つるし作りが目を引きました。





愛好者の人たちが丹精したみごとな作品が並びます。







鉢植えや種を販売していましたが、育てる自信がないのであきらめました。

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電波は人類の共有財産

2011-07-30 | もろもろの事
昨日記事の続きです。

わかりやすい例として、電波国有の土地のような存在です。つまり国民の共有財産です。

土地の完全国有化は、理想共産主義の失敗で実現されませんでしたが、電波は眼に見えないし、存在を一般市民は気がつかないために幸い「私有化」はされずにきました。ある種の電波は遠距離まで届くため、他人や隣国に雑音妨害を与えます。そのため古くから国際条約と国際機関によって国同士で調整を図ってきました。国内的には総務省が管理しています。(あくまで管理人であって、オーナーは国民)

さて、時代が変わって電波需要が急拡大しています。
今から70年前の技術で固定されてきたアナログテレビ電波には、別の場所(周波数)に引っ越してもらって、使いがってのよい「駅前の1等地」には高層ビルを建てる、ショッピングモールを作る、災害対策の準備基地にするなど、大きく発展させることにしました。

ちなみにアナログテレビ電波の空き地を「ホワイト・スペース」(更地)と呼んでいます。



これが「テレビの地デジ化」なんです。

・電波は、国民の共有財産
・有効利用して、その利便性と利益は国民に還元


この基本的目的をしっかり説明していなかったと感じます。
やれ、外国の先進国では既に実施していて早くやらないと日本は出遅れるとか、デジタルになると画面がきれいになる、情報の双方向性が増す(それらは事実ですが)とか、目先の利益ばかり強調したのです。

すると、反論として、今のままのアナログテレビで不自由していない、つまらない番組が多くてニュース程度しか見ないので古い方式で困らないとかいう意見が出てきます。

もし、東京駅正面の丸の内や大阪駅前の梅田が、全部、国有地でその大部分が草ぼうぼうで、まばらに平屋建て御殿(NHK、民放)だけがぽつんと建っていたら、「もったいない」「国民の資産を有効に使え」「税金の足しにしろ」となるでしょう。

「電波は国民の共有財産」、国有土地と同じと広く認識されると色々な既得権益が明るみにさらされて困る人々がいるからかもしれません。(共有のはずが時代の役割が変わっても占有し続けて大きな利益を得ているかもなど)

ホワイトスペースが活用されると、将来は、モバイル・コンピューティング、ワイヤレス・クラウド、防災情報、道路交通情報化など大きく発展できると楽しみにしています。


~~
脚注:
 電波の発見は、19世紀後半であると昨日記事に書きました。もう少しその時代のエピソードを述べることにします。
 電気と磁気の相互作用に関する原理を考察し、数学的に表現したのは1864年のマクスウェル(英)でした。しかしその論文は難解いな数式で埋まり長大なページ数があったため、論文が本質的に理解され、実用的な意義が再認識されるのにはさらに20数年かかったのです。
 1888年になって、ヘルツ(独)がマクスウェルの論文を再検討して電波の存在を確信し、証明のため実験をしました。現代と違って、電源や特殊電気回路も全て独自に作成する必要があったのです。
 ほぼ同時期の1884年にはヘヴィサイド(英)がマクスウェルの方程式をわずか4つの微分方程式に書き改めている。現代の無線通信技術者・研究者にとってこの方程式はバイブルとなっています。
 帰納法的な発見や発明が多かった当時において、理論が先にあってその物理現象が発見された例として稀有であったと思います。
 さらに、その数年後、電波を真に実用化したのはマルコーニ(伊)という起業家でした。彼は数mの距離の無線実験から始め、英仏海峡の横断、さらには大西洋横断の英国とアメリカ・ボストン郊外までの無線通信に成功しました。映画タイタニック号でも、遭難時の無線通信士はマルコーニ社員でした。
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テレビ放送電波の引越し

2011-07-29 | もろもろの事
アナログの地上波テレビが、東北3県を除いて7月24日正午、全国的に終了しました。


引用:日経トレンディネット2011-07-27

その瞬間をアナログ画面で見てみようと、たまたま実家にいたのでそのTV受像機でデジタルからアナログチャネルに切り変えてみました。

結果は、普通に番組を放送している画面でした。おや、何か変!

正午(昼間)ではなくて、真夜中(midnight)だったかな?

同じような経験した人が多かったようです。

ですが画面を良く見ると「デジアナ」と右上に文字表示がでていました。

実は数年前に液晶テレビを買ったときに、ついでにケーブルテレビに加入していたのです。つまり、ケーブルテレビ会社の装置で、地デジ放送をアナログに変換してその地域のケーブルを通じて加入者に提供していたのです。これならば、新規のアンテナもチューナーも不要でアナログ受信機が利用できます。

その後、大きな混乱は報道されなかったのですんなり移行できたのかと思っていました。

ところが知人のブログを読むと、「大阪の都心に住む「おばちゃん」の家では、突然テレビが映らなくなってしまって、問い合わせたり、テレビを買いに走る(都心なので近所に電気店多し)、しかし安いTVは入手困難」「そんな苦情を1時間も電話で知人にぶつけてきた」とありました。

原因は、ビル影による共同アンテナのため、その管理者か組合がなにも対応していなかったこと。ビルや鉄塔、高架線などによる電波障害対策で作られた共同施設は、その当時、テレビ電波が変更されるなど想定していなかったので、設置時の契約条件には入ってないでしょう。その利用者のだれかが気がついて、「加害者」に交渉するとか設備変更する必要があったのです。

さて、今回のアナログ波停止は、一般市民にとって大迷惑、国の勝手な施策だと受け取られていると思います。

行政の説明不足だと思います。国民に根本的な必要性をきちんと訴えていなかったと感じました。単に、買い替え需要による景気対策ではありません。

アナログテレビの技術は、1940年代にアメリカで設計された方式です。なんと戦前です。NTSCと呼ばれています。当時の電子技術は今とは桁外れに低い水準でした。

現代の電子技術から見ると、最も使いやすい、利用価値の高い電波周波数帯を使って、さらにたっぷりと余裕を持たせて雑音対策などをおこなっています。つまり、今となってはとても効率の悪い電波利用をしていたのです。電子回路技術が相当に進歩して、民間業務用コンピュータの本格的実用化が1964年(IBM S/360)ですから、そのさらに20年以上前のTV技術です。

電波というのは、宇宙が出現した時点から宇宙の物理現象として存在しています。人類にとってのとても重要な共有財産となったのです。しかし電波の発見と原理の解明は、19世紀後半になってからです。

現代では、電波は多方面に活用されていて、今後も益々大きく発展するでしょう。

(つづく)
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天神祭2

2011-07-28 | 国内各地の風物
御迎え人形。



江戸時代中期の大阪に元禄文化が花開いて、この等身大の人形が天神祭に登場しました。船渡御を迎えるために仕立てた御迎え船に飾るための風流人形です。

当時の裕福な大阪商人たちが競って寄進した大変に高価な最高の工芸品です。大阪府の有形民俗文化財にもなっています。



藤の花を模した飾りがこの人形の前にありました。しじみ貝を皆でたくさん食べて貝殻を集め、町内会の人たちが手作りしたそうです。





天神さんと言えば、牛。立派な本物の牛が奉納されていました。

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天神祭

2011-07-27 | 国内各地の風物
大阪に出かけたついでに、天神祭の宵宮祭(7月24日)を見てきました。



天神橋筋商店街は夕涼みと宵宮祭見物の客で一杯でした。



七夕の笹が飾ってあります。



境内に入ると、地車囃子(たんじりばやし)の軽快な音が響いてきました。このリズムに乗って演じるのが「龍おどり」と呼ばれていて、踊手の巧みな指の動きに特長があります。「蛇おどり」とも。



「催太鼓」(もよおしだいこ)。低音を響かせ渡御(とぎょ)の先陣を切る役割。



太鼓をたたく願人は真紅の高い四角の投頭巾をつけています。太鼓を乗せている台が大きく上下して大変にダイナミックでした。





お父さんの肩車の男の子、天神カットで、後頭部に梅のマークでした。

(つづく)
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中国、高速鉄道脱線事故

2011-07-26 | 外国の風物
実態として、43人の死者を引き起こした2011年7月23日の列車事故のニュース、画像、映像を見て多くのことに驚きました。

先進国でも、時々列車事故は起こります。JR西の宝塚線、信楽鉄道、西ドイツのインターシティー事故、スイス氷河鉄道など。



テレビのニュース映像で最初に「おお、なんだこれは」と思ったのは、この高架線路から片側が落下して地面との間に斜めにひっかかた車両が、クレーン車で丁寧に引き下ろすのではなくて、上部を押し剥がして一挙に地面に落下させた映像が放映されました。この車両にあったかもしれない故障原因(台車や車輪等)、被害者の遺留品などを放置したまま力ずくで始末するとは。

その翌日の新聞紙面です。


引用:京都新聞朝刊2011-07-25


その次は、なんと追突した先頭の運転席のある車両を転がして移動し、パワーシャベルで叩き潰して隣接する畑に掘った大きな穴に埋め込んでしまったのです。その画像が外国メディアの画像と記事になって記録され広報されました。

事故原因の解明、再発防止よりも、運行再開と政府機関の責任隠蔽(あるいは沈静)が優先されました。

その結果、事故後わずか1日半でこの区間の列車運行が再開され、多くの乗客は所用があり切符を買ってしまったので乗車すると取材にコメントしていました。例えば、事故区間だけバスで代行輸送するなどいくらでも代替方法はあるだろうに。

中国国内の世論は押さえられても、外国の対応評価や中国の鉄道輸出は、地に落ちたというべきでしょう。でもアフリカなどの独裁国には中国の「営業活動」と政治、あるいはまいないで中国製鉄道が今後も導入されていくのでしょう。
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帰国後。英語教育のこと

2011-07-25 | 国内各地の風物
フィジーから香港までの10時間半の機内で、ある中国人がフィジーに英語研修に行っていたと話していました。

すぐには発想が湧かなかったのですが、帰国して、調べてみると確かに英語留学の場所として特長があります。

実際、タクシー運転手もスーパー店員も、島の中の地元民は全員わかりやすい英語を話していて、こちらの注文や質問も完全に通じましたから。つまり、過去の英国植民地であったことを強みにして、小学校から英語教育をしているそうです。

ある程度、専門的な学習となると、社会科や理科、算数も教科書は英語で書かれていると思います。日本語は、漢字、かな、カタカナで外来語借用とどんな専門用語でも簡単に自国語に取り込めますが、そんな言語はめずらしい。

生活物価が安い、住民がやさしい、治安が良い。


引用: http://www.southpacificfreebird.co.jp/

もう数年前から、こんな好条件を知って現地で英語学校事業を展開している会社がありました。校舎は地元公立学校の教室を借用し、先生も地元学校教諭の雇用対策。寮、ホームステーで、地元経済にも貢献します。

物価は、アメリカの3分の1とか。週末の自然のレクレーション場所も沢山。ロンドン、ニューヨーク、ロスアンジェルス、シドニーなど大都会とは違って町中に遊ぶところがない。

中途半端な「小学校の英語授業義務化」に税金と時間をつぎ込むよりも、夏休みや冬休みの一月くらい、多くの中学生高校生を短期留学させることに奨学金を出してあげればいいと思いました。そうすれば、南洋諸国と、Win-Winの互恵関係が作れます。

英語は、確かに必要だけれど、日本国民の全員が習熟する必要はない。その一方で、大学入試レベルの英語で留まっていると、職業レベルでは役に立たない。大学入試レベルが下がる一方。

人口減少により国内マーケットも縮小する状況で、日本の産業はますます外国に依存していかざるを得ないでしょう。そのため、職業レベルで使い物になる英語、あるいは中国語が使える人材が増やさなければなりません。あわせて、異文化環境でも生活していける精神力も鍛えねば。



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フィジーまとめ

2011-07-24 | 外国の風物


ロビンソン・クルーソ・アイランドのブロシャーです。1日コースの価格は189フィジードル(約8500円)(送迎、2食込み)。



搭乗が始まると、楽団の演奏にて送り出されました。



この会議の現地主催した国営企業の方が見送りに来てくれました。ほぼ役人の方なので、パスポート検査の内側エリアまで入ってくることができるようです。右の方は同じ飛行機の搭乗するミャンマー(旧国名ビルマ)の方。香港経由便で帰国だといっていました。

出発が2時間半も遅れたので、香港から関西空港接続便に乗り継ぎが不可能となって、航空会社負担でHK空港内ホテルで1泊して翌日の帰着となりました。

お土産はいつもほとんど買わないのですが、食べて消費するものならが良いかなと、こんなものです。



伝統的産物サトウキビからできる砂糖(実はホテルの室内サービス品、でもこうやって消費するとホテルの購入量が増えるから)、インドカレーの香料(インド人が多いので名物)、ジャム(パイナップル、マンゴー、きんかん)、紅茶(イギリス系なので。レモンとジンジャーという珍しい「ティーバッグ」)。


水のPETボトル。結構、四角の形と南洋らしいラベルデザインが気に入ったので。(空にして機内持ち込み)




ティーシャツも、手作りというので買いました。

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市民ファンド、あるいはマイクロファイナンス

2011-07-23 | 東日本大震災
被災地の住民の人たちの仕事を作り出すための資金、ハイテクでなくてもノウハウがあり社会に受け入れられる商品を作り販売する能力のある「起業家」に、多くはないけれど仕事を立ち上げられる資金を「出資」(もし破綻すると帰ってこないお金)で、提供するプロジェクトがいくつか始まっています。



NHKテレビ(2011-07-21)からの引用です。



以前は、アフリカ、南アジアなど、とても貧しい国の経済発展を手助けする手法かなと思っていました。

現代の日本で、大震災を契機にして、マイクロファイナンスに
支援さた起業(ハイテクでなくてもよい)企業が多く生まれるといいと思います。

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ファイヤーダンス

2011-07-22 | 外国の風物
食事が始まる前に、大きな焚き火の周りにあつまって、別の儀式がありました。



夕方、このくぼみに芋をアルミフォイルに包んで焚き火の周りに埋めていたのです。ここで夕食に感謝する祈りと踊りです。

最後には、まだ赤い薪の上を歩いて渡ったりします。

夕食の後、ダンスショーが始まりました。







上の写真は、真ん中に白人女性が椅子に座っています。実は、彼女はこの日が誕生日。友人たちとテーブルで、ハピーバスデーを歌っていたところ、ダンサーたちからも祝福されたというわけです。



力強く、激しい動きです。これまでにも、いろんなダンスショーを見ましたが、まじかで見たこと、肌の色が汗で光ることなど迫力随一です。



松明を使ったファイヤーダンスになりました。



ライトを消して、火の光りだけ。これも大変にダイナミックです。





ダンサーの数も多くて、充分に見ごたえのあるショーでした。

1時間くらいのショータイムが終わると、Party is over!

島の音楽隊に見送られて帰ります。予定時間よりも2時間くらい遅くなっていました。桟橋がないので、潮満ちてくるのをまっていたのかもしれません。



月も沈み、真っ暗な河を船のトーチライトだけで進んで行きます。両岸に全く灯の光りはありません。

ようやく出発したときと同じ桟橋に戻ってきました。



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