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「車返し」
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なぜ日本ではこれほどまでに仕事を休めないのか」
「 日本の働き方の特殊さは、主に以下の2点に象徴的に現れていると考えている。
1. 寛容さの欠如
2. 責任の所在の曖昧さ
まず「寛容さの欠如」についてであるが、欧米の多くの地域に比べ日本では、仕事上の不具合を許し合わない傾向にある」
「 次に、「責任の所在の曖昧さ」についてであるが、日本では複数人で仕事を分担する際に責任の所在を曖昧にしてしまう傾向がある。
例えば研究業界でもプロジェクトを進めるにあたり、個々に割り当てられた担当部分を越えたプロジェクト全体への責任をリーダーから各担当者まで多くのレイヤーの人が感じていたり、場合によっては、担当以外の部分を手伝うことを当然のように強要されるなど、自身の担当領域を越えた“過剰な責任”が変動的に個人に課せられる」
私は日本の企業で働いていた時、海外の外国人と国際的プロジェクトに参加して働いた経験がある。
また外国に住んで数年間仕事をした。
欧州では仕事の質、特に賃金の安い仕事や水道や電気職人などは日本と全く違う、例 イギリス。ドイツやスイスでは日本以上に良い仕事をするが、残業はしないし年休はきちんと消化する。(代替可能な仕事より)家族や生活を優先する。
米国は低い賃金の労働者は低い質の仕事しかしないが社会的に許容されている。一方で高給な職種では残業も休日出勤も多くの場合しっかりこなす。特にスタートアップ企業では。その見返りは、もし仕事が成功すれば億単位の報酬が得られる。
中国、シンガポール、タイなどは米国に近い。ただし中国は成功にはコネや親類も必要。
これからの日本は両者のいい所どりをするべきだと思う。つまり:
#過剰な完全主義を求めない。
#お客様も供給者も対等(お客は神様ではない)。
#部署やプロジェクトのリーダーとスタッフの明確な責任切り分け。
#信賞必罰、だが敗者復活戦あり。
#責任とリスクにほぼ比例した報酬。
いかがだろうか。
アニメ「けいおん!」(京都アニメーション制作)に登場する高校教室のモデルとなった公立小学校、すなわち「聖地」。本校出身者の私財によりW.ヴォーリズ設計で昭和12年に建設された。当時としては画期的な鉄筋コンクリート造で暖房設備もあり「東洋一の小学校」と称された。(ITUジャーナルMar.2020)