朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

祇園祭後祭2

2014-07-25 | 京都の文化(夏)
大船鉾を見終わって、新町通を上がりました(23日)。



加山又造画伯の描いたうちわ絵がたくさん展示されていました。その中の朝顔です。



南観音山。立派な松の木が立っていました。松には尾長鶏を取り付け、巡行の時には諸病を防ぐといわれる柳の大枝をさします。



後祭の宵山では、屋台が全く出ません。それを補って、道路に面した飲食店や商店がその敷地内でお客さんを呼び込みます。



「くろちく」も祭りに合わせた大バーゲンをやっていました。



旧家では、恒例の屏風祭です。



北観音山。ここの松には、白い鳩を飾ります。赤い鳥居の上には二羽の鳩も飾るのですが、元々は左甚五郎作と言われる彫刻でした。



上の写真の奥の鳩が左甚五郎作、手前が最近新調した鳩です。



立派な装飾品をたくさん所有しています。



鳩の紋章をあしらった幕が町内の色々な家に飾ってありました。


(引用:KBS京都テレビ2014-07-24放送画面)




椅子を置いていて飲み物を売る店があったので、しばし休憩しました。



こんな屏風祭も。



鯉山。龍門の滝を登った鯉は龍になるという中国の伝説から、「登竜門」を題材にしています。



その大きな鯉が飾ってありました。この山は、16世紀のベルギーのタペストリーを使い、それを前懸、同懸に加工して使っています。大変に貴重なので、普段は京都博物館にて保存しています。



後祭のくじ取りで、山一番を引き当てた橋弁慶山。



弁慶と牛若丸が五条の橋で戦う場面をあらわしています。



巡行の時には、牛若丸は下駄の金具一本で支えられて山の上に乗ります。



今年のちまきは、黒主山にしました。謡曲「志賀」から六歌仙の一人大伴黒主が桜の花を眺める場面が山で表現されています。



宵山の時に保存会で展示されていた黒主さんの姿です。

威張って反りくり返っているわけではありません。実は、山に乗ると、彼の目の前に大きな満開の桜の木が立つので、それを見上げている姿になります。

そこで、ちまきにも桜の花がついていました。

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なぜ、当時大変貴重で高価な飾り物、あるいは西洋から渡来したタペストリーなどがふんだんに使われているのかについて、ライブで中継したKBS京都テレビ解説の歴史研究者が話していました。室町などの鉾町は当時日本経済の中心地であり、各鉾町が競って名品で山鉾を飾って自慢した。大切な一人娘に精一杯良い着物を買ってやりたいという気持ちだったのだろうと。
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