朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

ITUカレイドスコープ学術会議2017 (速報)

2017-11-30 | 社会貢献(仕事)

中国南京で開催された掲題の学会で、最優秀論文賞に選ばれました。(3件の一つ)



63件の論文投稿が22ヶ国からあり、その中から23論文がコンファレンスで発表されました。採択論文の査読はダブルブラインド方法により40人の国際論文委員会で決定されたとのことです。



論文発表セッションのポディウム情景。



表彰式は最終日の最後でした。発表者の上田敏樹先生(大谷大学)は授業実施ため少し早く帰国されたので、共著者として小生が賞状を頂きました。



筆者らの論文テーマは、IoTを高等教育の現場にどう活かすか、その構想、実績、効果の測定データに基づく報告でした、



セッションチェアの講評は上のスライドで、Paper 3のパラグラフです。

この会議には302人が26ヶ国から出席し、加えて20人がインターネットビデオシステムによって遠隔参加しました。

(╹◡╹)

~ 追記 (2018-01-04) ~

ITU News より転載:

https://goo.gl/Qaq5ud

http://news.itu.int/yonsei-university-e-health-research-claims-1st-prize-kaleidoscope-2017/#.WinjcbSFhhE

翻訳:2位賞「ウェアラブル、タブレット端末、クラウドそしてオープンeラーニングサービスを利用したコスト効果の高いキャンパスに関する社会経済・教育的事例研究」

上田敏樹・池田佳和(大谷大学)の論文は、タブレット端末とウェアラブルe-healthデバイスを活用して大学の運営コストを削減した、より効果的な教育実績の事例研究について報告した。タブレット端末は授業資料の配布や、教員と学生とのインターラクティブなコミュニケーションに有効利用され、学生はオープンデータとeラーニングサービスにも利用できる。ウェアラブルe-heathデバイスは学生のより健康的な生活習慣の実現を支援し、その結果、学生の勉学習慣を向上させた。

The 2nd prize paper – authored by Toshiki Ueda and Yoshikazu Ikeda of Japan’s Otani University – presents a case study of the ability of tablets and wearable e-health devices to decrease universities’ costs and support a more dynamic education experience. Tablets assisted the distribution of course materials, encouraged interactive communication among professors and students, and enabled students to capitalize on open databases and e-learning services. Wearable e-health devices were shown to assist the planning of university services and encourage healthy behaviours known to contribute to successful study habits.

**

 

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ITU Kaleidoscope Nanjing 2017

2017-11-27 | 外国の風物
今日から学術会議の開始です。



中国政府の高官が挨拶をするので、テレビカメラも入っています。

何人かの演説があって、論文発表セッションです。



座席の後半には、南京郵電大学の学生さんが数十人聴講しています。

現在のITU事務総長Zhao氏はこの大学を卒業されたとのことです。

午前のコーヒーブレイク。



学生の研究や協賛企業の成果を立派なポスターや、デモで表示しています。ロボットに観客が集まっていました。



ランチも無料で提供されます。しかも会場は高級ホテル(シャングリラH)なので、ホテル通常のランチビュッフェに入場できました。



寿司コーナーでは刺身があります。

麺類も当然あり、果物をデザートに。

(╹◡╹)

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南京 玄武湖公園の日曜

2017-11-26 | 外国の風物





ー〜ー

中国のインターネット制限のため、グーグル検索、Gmail, Facebook, Twitter などにアクセスできません。

したがって、Facebook更新や、メールの受信発信ができません(Gメール以外のメールサーバのIDとPWメモを自宅に置いてきました。もし急用があればケータイに電話かSMSしてください。orz
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東福寺、毘沙門堂

2017-11-25 | 京都の文化(秋)
今週は京都市内の紅葉名所の最盛期となりました。



少し早く家を出て、洛南の東福寺を訪問。朝霧が出てお寺さんの建物、実は橋が烟っていました。11月23日勤労感謝の日🎌🍁。



まだ開門まで30分以上あるのですが、数十人は並んでいました。境内に入ることはやめました。

都心から少し離れた山科へ。



ここはこのゆるい石段に散り敷いた紅葉が有名です。JR東海の「そうだ京都」のポスターにもなりました。



前夜に雨が降ってしっとりした朝でした。

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曼殊院門跡

2017-11-24 | 京都の文化(夏)

圓光寺から徒歩15分くらいで、このお寺に到着(11月17日)。門跡といっても遺跡ではありません。皇子・貴族などの住する特定の寺院のことです。

この坂道をあと100m登れば到着。右手に武田薬品工業(株)の京都薬用植物園があります。一般公開はされていません。

勅使門。

日当たりの良い場所のカエデがきれいに紅葉していました。

ここはやや少ない観光客でした。

境内には入らずに、門前の弁天池の辺りにある茶屋で昼食をとるつもりで歩いてきたのですが・・

茶屋の建物はあるのですが、閉店していました。飲食業の経営はなかなか大変そうです。

町中に戻って遅めの昼食にすることに。

田んぼの中に、こんな棟をくっつけた「文化住宅」が並んでいます。この反対側は幅4mくらいの道路に密着した玄関があります。現代の建築物であれば、建築確認が取れないでしょう。

***

こんな政党ポスターが目立ちました。マルクス・エンゲルスが考えた共産主義は、労働者階級と資本家とは「革命」(武力による政権転覆)でしかなし得ない、その思想をうけてレーニンがロシア王朝を倒してソ連を作りました。その後幾多の変遷があり、現在の主な「共産主義国」は、中国と北朝鮮でしょうか。「憲法」がそのまま残っても、国民の安全が脅かされることが起こっては「木を見て森を見ず」とならないのでしょうか。

 

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圓光寺

2017-11-23 | 京都の文化(秋)

洛北の紅葉の名所、圓光寺に散歩の途中立ち寄りました。(11月17日正午頃)

平日でしたが、多くの観光客で賑わっていました。

水琴窟があり、コぁーン、コぁーンという音が時々小さく響いています。ここから本堂ぼ座敷に上がります。

パノラマ風景。

赤毛氈の縁側には座らないで、皆さん部屋の奥に並んで座りカメラやスマホを庭に向けていました。時々、縁側前の庭の通路を人が横切りますが、やむなし・・・

座禅堂がありました。臨済宗南禅寺派。

裏山に登り境内の紅葉を俯瞰しました。

洛北のパノラマ風景です。正面には愛宕山が遠望できます。右手奥の緑は金閣寺裏にある左大文字の山。

このお寺をひらいた徳川家康公を祀った東照宮が最近新築されていました。

竹林。

庭園の池には紅葉の木々が写っていました。

**

竹林図屏風六曲(応挙作・重文)

江戸時代の木製活字です。

”慶長6年(1601)徳川家康は国内教学の発展を図るため、下野足利学校第九代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に圓光寺を建立し学校とした。

圓光寺学校が開かれると、僧俗を問わず入学を許した。また孔子家語・貞観政要など多くの書籍を刊行し、これらの書物は伏見版または圓光寺版と称された。当寺には、出版に使用された木活字が現存しており、我国出版文化史上特筆すべき寺院であるといえよう。

その後、圓光寺には相国寺山内に移り、さらに寛文7年(1667)現在の一乗寺小谷町に移転された” (http://www.enkouji.jp/history.html

奔龍庭 白砂を雲海に見立て、天空を自在に奔る龍を石組であらわした平成の枯山水。龍の頭部と背中付近にそびえ立つ石柱はかつて井戸の部材として使われていたもの。(引用 http://www.enkouji.jp/grounds.html

この日は天気も良かったので、もう少し遠くまで散歩しました。

 

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奈良散策

2017-11-20 | 国内各地の風物

ちょっと、懐かしい用件があったので、奈良に行ってきました。(11/15)

これは、おなじみ興福寺五重塔。・・友人のなかにはこの境内が子供時代の遊び場だったそうですが。

そして・・ ここで多分ザリガニくらい釣っていたのでしょう。

 猿沢池。そういえば、この池の前の旅館オーナーの家で育った有名画家さんもいますね。絹谷幸二氏。

その辺りで道端のナンキンハゼが紅葉真っ盛りでした。右端に五重塔の水煙がみえていました。

南円堂。赤い旗が並ぶ石段が、フォトスポットになっています(外国人の)。中国の人にとって「赤旗」は珍しくないでしょうに。

三条通りを歩くと、コンビニが町家の外観をそのまま使って店舗を営業していました。

さて、その後、郊外にある友人自宅の素晴らしいガーデニングを拝見しました。その記事は後日に。

その往復にには、なんと豪華なドイツ車(P)で別の友人が送迎してくれました。快適&感謝。

楽しくガーデン見学と庭園内ウッドコテッジでコーヒーを満喫した後、車で高畑の友人宅に戻り、そこで車を置いて、

この禰宜道を徒歩で急ぎました。飛火野の東側にある森の中の道です。ほぼ平行して「ささやきの小径」なる馬酔木の茂る秘密のルートもあります。

途中に、こんな杉の巨木がありましした。もしかすると縄文杉に負けないかもしれません。

これが慎ましい道標です。

賑やかな参道に出ました。

この分かれ道の先頭にある石灯籠には、特別な特徴があります。

実は・・・

この台座に鹿の姿、顔が彫り込まれています。・・高畑住人の友人が教えてくれました。

こんな、なんちゃって茶屋のそばを通り抜けて、

奈良春日野国際フォーラム~甍 なる大きな建物に到着。奈良公園の真ん中にあるので

建物の外観は調和しています、もちろん。

目的は数十年前に卒業した高校のクラス有志食事会です。この春日野フォーラムのなかにある著名なイタリアンレストランで、豪勢な(でも、やや安価な)ランチをいただくことです。

その高校は男女同数で1学年3クラスの学校でした。当時のクラス定員は約50人、いわゆるベビーブーム世代。今回は30名を超える参加者でした。

こんなんや、いろいろの料理が並びました。

まどの外には、

素晴らしい紅葉と、左手の先には若草山が遠望できます。

食後には公園を散歩しました。

外国からのお客さんが多くいました。

東大寺の山門、運慶作の仁王さんを見に行きました。(そこまではダタ)

運慶が制作した仁王像の巨大さと威力にはやはり圧倒されました。

鮮やかな真紅の紅葉の前で、何度もセルフィー写真を試みる(多分中華の女性)・・

相撲取りみたいな着物と帯のアジア男性。

世界各国、たくさんの人々が好天の古都を楽しんでいました。この赤くて白い実がアクセントになっているのは、ナンキンハゼの木。

紅葉が美しいのは素晴らしのですが、日本古来の樹木ではない、繁殖力が高い、そんなことから奈良市では徐々にこの種を排除していく方針だそうです。・・いろはカエデを植えてください。

 

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永源禅寺

2017-11-18 | 国内各地の風物

滋賀県の湖東の山麓に古刹の永源寺があります。紅葉の名所なのでこの季節をねらってお参りしました。(11月16日)

紅葉に囲まれた山門の風景が一番のポイントです。

臨済宗永源寺派 大本山です。

 楓の色づきが美しい。到着した時点では曇り空でしたが、時々太陽の光が差し込む天候となりました。

愛知川に削られた岩山の中腹に境内があり、急な石段を登って参詣します。この川は音無川とも呼ばれるようです。豆柿の大きな木が崖下から枝を伸ばしていました。

大きな茅葺屋根の本堂。

ご本尊は秘仏。

少し戻って、境内の茶屋で名物のこんにゃくを食べました。 

 

さらに境内を奥に進みました。

もみじの木々が見事にグラデーションとなって庭園を飾っていました。

 真っ赤なもみじがあります。

この花瓶に誘われて、お茶席にて休憩しました。

 

 広い座敷に案内され、

奥の庭園の風景です。

手前の楓は、色づきが最も遅いとのこと。

鮮やかな黄色になるそうで、案内の方にそんな写真帳を見せてもらいました。

寒山拾得の掛け軸を拝見しました。

さて、お寺を辞して、次にさらに愛知川を上流に向かいました。

 永源寺ダムという大きなダムがあります。その上流に遡ると、トンネルで三重県に通ずる国道(八風街道)となっていて、廃校となった学校を利用して道の駅「奥永源寺渓流の里」ができていました。

滋賀県の道には必ず現れる飛び出し坊やと、女の子が歓迎してくれます。

こんにゃくが名産です。

そしてイワナも、、

イワナと野菜の天ぷらを大盛りにしたランチセットを食べました。

永源寺ダムカレー、ご飯をダムの堰堤に見立てて、貯水はカレー、そしてイワナのフライ3尾。

自動運転バスの実験をやっていました。

まだ試行実験なので、運転席には運転手が座っていますが、GPS、電子地図、接触防止のレーダーやセンサーを車両に取り付けています。この日は事前に申し込んだ人たちに試乗してもらいアンケート調査をしていました。

過疎地での公共移動手段としての可能性を探っているようです。田舎ではバスもタクシーも廃止が増えています。オンデマンド(必要な時に)で自動バスやタクシーが来てくれると、車を持たない老人、身障や病人にとって大きな支援になると思います。実現のコストによりますが。

 

 

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ボジョレヌヴォ 2017

2017-11-16 | 食べること、レストランなど
今年の解禁日は今日(2017-11-16)だそうで、、、



今夜はこのワインを楽しんでいます。



スーパーの店内では、



プロモーションが色々飾っていました。



思ったよりも、色の濃いボジョレです。美味しい。
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京都賞 2017

2017-11-12 | 京都の文化(秋)

毎年、京都賞の表彰式が11月にあり今回が33回目です。京セラ創業者の稲盛和夫氏が私財を投じて創設した稲盛財団が、先端技術、基礎科学、思想・芸術の3つの分野から受賞者を選定します。



「京セラ」とは、当初は京都セラミックという名称でした。京都の伝統技術である清水焼と同じ原理で作られる、高純度のセラミックスは熱に強く、微細加工にも適しているので、トランジスターの集積回路(IC)の基盤として採用されてきました。その初期の頃から優れた技術力で京セラ社はIC製造の急速な進歩と大量生産の波に乗って、大きく成長し世界的な企業になりました。



受賞者に贈られる工芸品メダル(金、再結晶エメラルド、ルビー)、表彰状(ディプロマ、「一生与抽釘抜楔」[一生ひとのために釘を抽(ぬ)き楔(くさび)を抜く](臨済宗妙心寺派管長墨書)が展示されていました。賞金はお一人に5,000万円。表彰式会場は京都国際会館です。



高松宮妃が名誉総裁として臨席されました。安倍首相の祝辞は、経産省政務官の某氏が代読(役所としては地位のあまり高くない政治家を送ってますね。稲森さんがかつて民主党が政権を取った時に、JAL再建などに協力したせいかもしれません??)

受賞者は3名、内お一人は日本人で超高性能トランジスタを開発した三村氏、植物の光合成の研究者ファーカー氏(オーストラリア)、そして音楽史研究者タラスキン氏(米国)です。



京都聖母女学院小学校の生徒さんが合唱を披露してくれました。

最後の曲は「青い地球はだれのもの・・」で、この歌は第1回の表彰式から歌われているそうです。

私は最も下っ端の専門委員を十数年前から担当しているので、自分の研究分野の人が表彰される年には招待状が送られてきます。

式が終わると、お向かいにあるグランドプリンスホテルで晩餐会が開催されます。

それが始まるまで、広い別室でカクテル、ワイン、清酒、ジュースなどがふるまわれました。



お坊さんも何人か参列していました。

たまたま目があった外国人ご夫妻と会話を交わすことができました。オランダ国の大阪総領事さんで、最近大阪に着任したとのこと。数年前には東京に勤務したそうで、日本の事情には詳しいかたでしたが、テクノロジーは分からないと言われたので、京セラ稲盛氏の成功譚、セラミクスとはどんなものか、ICとはなど「講義」してしまいました。汗 



この写真はご了解を得たのでupします。

さて宴会場への入り口には、主催者のトップの稲盛氏が金屏風の前で出迎えていました。

これが晩餐会のテーブルセッティング。指定席になっていて周辺には同業者の方々がいました。お隣は古巣の研究者からでしたが、私より相当若い世代でした。

メインゲストの方々、高松宮妃の入場があり、しばらくすると、・・



祇園甲部の芸妓さんが多数、拍子木を打ち鳴らしながら入場してきました。この花街の芸妓にだけ許された芸だそうです。



食事がかなり進んだところで、次は舞妓さんが美しい着物姿で登場し、もみじの枝を手にして日本舞踊を踊りました。



料理の写真を少しだけ掲載します。乾杯の直前にはウエイター、ウエイトレスが数十人一列に並んで壮観でした。



オードブル

牛肉のフィレステーキ



デザート



ホテルの車寄せで、舞妓さんの姿が見えました。

~~~~~

翌日には、特別講演会がありました。



京都国際会館の庭のもみじは色づいていました。



講演は三村氏から始まりました。



一般市民も事前申し込みで聴講できます。

子供時代の話から始まり、小学校のころ親に買ってもらった本を読んで理科が好きになった、小学校の卒業文集に将来は科学者になりたいと。関西学院大学の理学部物理学科入学、その後大阪大学大学院で修士修了し、富士通に入社。今回の業績につながる発明までには失敗の連続だった。トランジスターの高性能構造を試作して国際学会で発表したところ、米国の研究者が同様なアイディアにたどり着いていることが判明した。わずか数ヶ月の先行差で勝てたそうです。その後、製造方法の改良があり、衛星放送テレビの受信機に使われることになって一挙に社会に貢献することができたとのお話でした。



この博士はオーストラリアのタスマニア島の農業技術者の家に生まれ、大学では物理学と数学を専攻。大学院では当初からの計画どおり植物学を研究しました。光合成の機能・数学モデルを作り上げ、地球環境問題の分析に活用されているとのこと。京都議定書の会議で初めて京都に来たときはオーストラリア政府チームの一員だった。驚いたことに、彼は若いときからクラシックバレーにも専門家、ダンサーとして活躍していて、現在もバレー劇団の運営者だそうです。



タラスキン博士はニューヨーク生まれ。祖父母はソ連出身(現ウクライナ)ユダヤ人。音楽家一族の両親に生まれ、音楽の歴史を「オックスフォード西洋音楽史」として5000ページに及ぶ著作を完成させました。

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