のれんの隅に「総本店」とある。何軒かの支店があるのだろう。
名古屋には著名な鳥料理屋が沢山あるが、東京三ノ輪駅の近くの「弁天」という店で鶏調理を頂いた。小ぢんまりした店で奥の座敷に案内される。磨かれた床が、期待できそうと予感させられた。ハツ、レバー、セセリ、胸、など5種10本の串焼き盛り合わせ、コラーゲン鍋、親子丼、などを注文。串焼きはそれぞれレアーな焼き加減で各部位の風味を生かしてあり、なかなかの料理の腕である。生ビールの後、ハイボールを頼んだが、それが山崎のハイボールとは恐れいった。たしかにうまいが、もったいない気もする。
その他サラダ2種、函館ポテト(じゃがいもとイカ塩辛を鉄板にのせたもの)、レバーの燻製、レバーのパテ、などを注文。
真ん中の丸い塊がコラーゲン
シメと思って注文したコラーゲン鍋もまろやかでいける。後の雑炊は鍋の旨さを逃さずいける。まだまだお腹に入りそうだと、親子丼を注文、名古屋コーチンの旨さが生きており、絶品と言えるが、丼にしてはちと高い。
全般に我々庶民の財布、鳥料理にしては少し高めであるが、それなりの腕は伺え、まずまず納得できる。ただ大きめの親子丼2300円は、おいしいが、少し高いとは思う。いや、少し高いと思うが、おいしい。といったほうが良いか。
親子丼 傍の吸物椀と比べると大きさがわかる。
息子の同級生に山形の曹洞宗住職の息子がいる。学生の頃からたまに会い,話しをしていたが、至って真面目な好感の持てる男である。大学卒業後は永平寺に修業に入り、其の後駒沢大の研究所で研鑽を積んでいた。私は今の日本の社会心理を見て、宗教の出番ではないか、とかねがねおもっており、折にふれて彼にそのことを問いかけてきた。大震災があり仏教界も葬送の局面では大きな役割を果たしたが、残された遺族が感じている、喪失感、生き残ったことの罪悪感などのケアをどう進めているのか、を聞きたくて久しぶりに東京で飲むことになった。
ついでに、宗教(の役割)とはなにか、仏教とは何か、について聞きたかった。彼は仲間を連れて来て説明しようとした。
彼らは若く、ディベートをしようと、意気込んできたようだ。いろいろ話をして分かったことは以下のとおりである。
宗教は社会制度、権力構造の枠内にあるものである。仏教の目的は成仏をすることにある。仏教では死について善悪を言わない。あらゆる死は平等に扱う。したがって自殺に対してもそれなりに理由を理解するが、死刑には反対である。
など、改めて理解を深めることが出来た。若い彼らがすこぶる現実的なことに、僧籍についてある種の憧憬を持っていた私は驚いたが、これも時代の流れなのか、と少し寂しい思いを抱いた。
こういう若い、比較的前向きな僧侶が、精一杯努力している事が感じられ、その限りでは有意義であり、面白かったが、宗教の普遍性,社会的な指導性について、もう少し聞きたかった。又現実的にも葬式仏教と言われる現実をどう打破しようと考えているのかについても聞きたい。
それにしても普段とは違う面白い会合だった
休日、と言っても私にとっては毎日が日曜日だが、半年ぶりに浅草に出かけた。
昨年に比べ、活気が戻っている。人力車の数、外国人の数が格段に増えている。若い人が多いのも活気の要因のようだ。
まるでお祭りのような人出だ。
名高い洋食屋のヨシカミをめざす。ちょっと探しあぐねて迷い、演芸ホールの前の交番で尋ねたら、若いお巡りさんが実に親切に、親しみやすく教えてくれた。お上りさん相手は慣れているのだろう。たどり着いた店の前には噂通り行列ができている。色々なメッセージが掲示されていて面白い。15分ほど待って、店内に入る。厨房には5人ほどの料理人がキビキビと、休みなく立ち働き
手際よく注文の料理を仕上げている。
シチュー、ステーキ、チャーハン、オムライスなどフライパンが鮮やかに振られている。食材が惜しげもなく投入されるのがいかにも庶民のキッチンらしい。ここはデミグラスソースが自慢らしい。ハヤシライスはもう売り切れだ。
満席のお客は中年客だけでなく、紋々を入れた人とその子分らしき人、若い女性の二人連れ、男性の一人客、等多彩だ。聞けば昨日TV放映されたとも言う。我々は定番のランチを注文。
コーンクリームスープ、エビチャーハン、一口カツ、コーヒーのコースだ。たっぷりの量に満腹になって退散。
相変わらずの人出の中、浅草寺にお参りをして、浅草を後にした。スカイツリーのオープンと共にますますここは繁忙を極めるだろうなあと感じた。
13:40路傍の花 側溝にスミレがかれんに咲いている。春はすみずみまで来ている。
17:12名残の春、さくら。蓼科湖畔の聖林寺の境内は一面の桜〓。標高1200mのこのあたりは満開を過ぎ落花盛んの風情。最後の花見を楽しんだ。
from Photomemo/gaiki
17:12名残の春、さくら。蓼科湖畔の聖林寺の境内は一面の桜〓。標高1200mのこのあたりは満開を過ぎ落花盛んの風情。最後の花見を楽しんだ。
from Photomemo/gaiki
「江分利満氏の酒・酒・女」山口瞳著 新潮文庫
1980~90年代、サントリー宣伝部に所属し、開高健都のコンビで、一世を風靡した直木賞作家のエッセイである。
高度成長時代、週刊新潮の連載エッセイで読んだ覚えがあったが、改めて目にしてみると、この人は大人だなあ、男だなあ、と感じる。
バブル前夜の、意気軒高たる世の中を色濃く反映している。
終わりの方に、女房なんか怖くない、という文章があるが、何度も何度も同じフレーズを繰り返しているのが、妙におかしい。
気楽に読めるエッセイらしいエッセイだ。
1980~90年代、サントリー宣伝部に所属し、開高健都のコンビで、一世を風靡した直木賞作家のエッセイである。
高度成長時代、週刊新潮の連載エッセイで読んだ覚えがあったが、改めて目にしてみると、この人は大人だなあ、男だなあ、と感じる。
バブル前夜の、意気軒高たる世の中を色濃く反映している。
終わりの方に、女房なんか怖くない、という文章があるが、何度も何度も同じフレーズを繰り返しているのが、妙におかしい。
気楽に読めるエッセイらしいエッセイだ。
我が家の桜がやっと満開となった。
1350mの高さにあるのと、今年の春の遅さで、近頃やっと満開となった。
小さな木だが、花のひとつひとつはたわわに枝についている。あたりまえだが音もなく咲いているのが不思議なくらいだ。
今年は何度も桜が楽しめた。これが最後だと思うと淋しさが漂う。
1350mの高さにあるのと、今年の春の遅さで、近頃やっと満開となった。
小さな木だが、花のひとつひとつはたわわに枝についている。あたりまえだが音もなく咲いているのが不思議なくらいだ。
今年は何度も桜が楽しめた。これが最後だと思うと淋しさが漂う。